神指城跡
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神指城跡の口コミ一覧
1 - 5件 (全5件中)
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神指(こうざし)城は、慶長5年(1600年)越後から会津へ移封された、上杉景勝が築いた平城。直江兼続が普請奉行を務めた。『日本城郭大系 3』- 行った時期:2024年4月6日
- 投稿日:2024年4月11日
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神指城の築城工事は突貫工事で進められたが、完成には至らず、景勝は米沢に移って行った。本丸・二の丸・堀が残る。『日本城郭大系 3』- 行った時期:2024年4月6日
- 投稿日:2024年4月11日
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秀吉の命で上杉景勝が会津に移動した後、直江兼続が来たるべき徳川との決戦に備えて、鶴ヶ城に代わる拠点として建造を行っていた大要塞。しかし完成前に関ヶ原の合戦が勃発、西軍の敗北によって未完のまま終わることとなる。
今では田んぼや住宅地の中に構造の一部が残るだけだが、かつての櫓跡には桜の木が植えられており、春には綺麗な花を咲かせる。- 行った時期:2013年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年8月17日
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かつて直江兼続が鶴ヶ城に替わる会津の拠点として計画した城ですが未完のまま廃墟に
なり、会津戦争の時には斎藤一が新政府軍を相手に奮戦した場所です。若松市街からは北西に位置し、移動には自動車か自転車の使用が不可欠です。わたくしが行った時には隅櫓が予定されていた石垣の上には桜が満開で、地元の方の憩いの場になっていました。- 行った時期:2013年4月
- 投稿日:2013年6月9日
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