露国皇太子遭難地碑
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露国皇太子遭難地碑の口コミ一覧
1 - 4件 (全4件中)
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- 一人
お盆休みに大津市街をぶらりとした際に立ち寄りました。街角にひっそりと石碑と説明文がありました。 明治24年来日中ロシア皇太子が襲われた大津事件の現場だそうです。- 行った時期:2018年8月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年1月7日
この口コミは参考になりましたか?1はい -
- 一人
旧東海道を伊勢朝日駅から京都三条大橋まで歩いた際に通りました。
今から126年ほど前の1891年(明治24年)に、訪日中のロシア帝国の皇太子がこの場所で斬りつけられ負傷した現場です。
京都に滞在していた露国皇太子は、琵琶湖への日帰り旅行からの帰途に、この旧東海道上にて災難に遭ったわけです。
当時の日本は自他認める弱小国家であったわけで、大国の要人を巻き込んだこの事件の発生に、
日本人はさぞかし混乱し緊張したであろうことは想像に難くありません。
今では見過ごしてしまうほどの石碑が、静かな旧街道筋の辻に、わずかに土地の記憶を示しています。
その後の126余年の日本の歴史の流れは激流であったなと、私達は知っているけれども、
当時の日本人は誰一人知ることが出来なかったのだなと、過去・現在・未来というものが持つ意味を改めて考えた次第です。- 行った時期:2017年3月20日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年8月1日
この口コミは参考になりましたか?2はい -
- カップル・夫婦
大津駅から5分くらいの普通の住宅街の角にある石碑です。
歴史の教科書に出てくる大津事件の場所ということですけども、石碑が立っているだけなので当時の面影はわかりません。
ただ、こんな狭い道をロシアの皇太子がパレードしたのかと思うと逆に昔はこれが普通だったのかなという感じもしました。- 行った時期:2015年3月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年7月5日
この口コミは参考になりましたか?0はい -
- カップル・夫婦
明治24年5月に発生したこの事件によって日本中が恐怖のどん底に陥り、近々あの大物が攻めて来ると国民が恐怖に震え続けた事がありました。
えっ、ゴジラ?
いえ違います、ロシアです。
正確にはロシア皇太子ニコライ二世が斬り付けらて負傷したいわゆる大津事件で、その現場がここ大津下小唐崎町5の津田岩治郎宅前(現・大津市中央二丁目6)です。犯人は藤堂家家臣だった津田三蔵という滋賀県警察の巡査だった人物で、軍曹で陸軍除隊後、三重県警察と滋賀県警察に任官した経歴の持ち主で、犯人と現場宅が同姓だったのは単なる偶然で、当時を偲ぶ物は現場にある目立たない石碑だけです。
大津事件は色々な意味で維新後の日本の分岐点になった事件で、有名なのが児島惟謙により司法権が確立したとされる事です。時の政府高官や軍関係者は問答無用で死刑にせよと息巻いており、特に西郷従道がその強硬派でしたが、児島は最後まで屈せず政府や軍の介入を防ぎ切った法曹人として、今もその功績が称えられている人物です。
そしてもう一つがロシアとの関係です。日清戦争後の三国干渉や日露戦争後の賠償金の断固拒否、またはヤルタ協定での密約による南樺太と千島列島の交換、そして太平洋戦争終末期の突然の裏切り参戦とその後の領土問題などに見られるロシア(ソ連時代含む)の強硬姿勢は、大津事件によるニコライ二世の日本憎悪が尾を引いているのではないでしょうか?- 行った時期:2014年9月25日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2014年11月19日
この口コミは参考になりましたか?0はい