本日は湯河原の春のイベントをご紹介いたします♪
4月はじゃらんより[先得プラン]をちょっと早めにいつもよりお安くご提供しております(^_-)
先得プランは3月15日までの期間限定ですのでご予定のお決まりの皆様是非ご活用くださいませ。
4月5日に執り行われます武者パレードは湯河原の歴史に触れるとても希少な機会ですので
皆様、挙ってご参加くださいませ。
【武者パレード】
平成27年4月5日(日)
荒天中止(小雨決行)
五所神社11時出発〜湯河原駅11時30分着
儀式 五所神社(10:00〜11:00)
武将の名乗り・出陣の儀・焼亡の舞
湯河原駅(11:30〜12:30) 武将の名乗り・焼亡の舞・出陣の儀
土肥祭(式典・法要・墓参) 平成27年4月5日(日)雨天決行
城願寺境内 12時30分より
土肥實平、頼朝主従法要・焼亡の舞奉納・一般参加墓参 等
【源頼朝旗挙げ武者行列】
この行列は、今から約830年前、わが湯河原(当時は土肥郷といいました)の地は、平安時代の末期、関東八氏のひとり豪族土肥次郎實平が、今の小田原周辺までを領地とし、荘園をなしていました。
治承4年8月17日、蛭ケ小島の頼朝挙兵は、この實平が一族をあげ、韮山の北条氏とともに戦略、挙兵、合戦を指揮したものであります。
駅周辺が土肥の館の跡で城願寺(駅裏手300m)は持仏堂でした。
伊豆の挙兵後、この館で頼朝以下300余騎、鎌倉を目指す作戦を練り、軍備を整え石橋山合戦に出陣したものです。
多勢に無勢、不幸にも源平第一戦に敗れ再度土肥の地に退去、椙山に逃れました。
頼朝は實平の勇武機略思慮遠謀に助けられ、土肥の椙山の隠潜、真鶴より海上脱出。
わずか4カ月後、三万の大軍となり鎌倉入り、幕府樹立となりました。(時に實平73歳、頼朝34歳、遠平31歳。實平の高齢パワーに驚嘆)
日本の歴史の中で、この土肥郷約10日間が中世の武家政治発祥の機縁になったので、まさに「その時歴史が動いた」といえます。その後信長、秀吉、徳川幕府に連綿と続く歴史を偲んでくださいませ。(源平盛衰記、吾妻鏡に詳しく記述されています。)