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  • 7月9日、今日は【鴎外忌(1922)】

    更新 : 2011/7/10 0:44

    今日は【鴎外忌(1922(大正11)年)】です。

    由来は、1922年(大正11年)の今日、「舞姫」などの作品で知られる作家の森鴎外が亡くなった。陸軍軍医だった鴎外は一部の軍人にねたまれ、その中傷をかわすため、30余りのペンネームを用いたという。本名は森林太郎。墓は東京・三鷹の禅林寺と郷里・島根県津和野の永明寺にある。


    森 鷗外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日)- 1922年(大正11年)7月9日)は、明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。

    石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部卒業[1]。第一次世界大戦以降、夏目漱石と並ぶ文豪と称される。

    大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツで4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。

    晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。

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