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延命館のお知らせ・ブログ
”橘広庭宮跡の所在
更新 : 2018/12/17 15:13
昨日は「橘広庭宮跡「」をテーマにしましたが、その所在はいまも不明であり、地元の伝承では橘広庭宮から南西700mの地点に「天子の森」があり、この付近ではないかと云われています。
また須川地区から南へ3km余りの入地地区には、今から800年ほど前の世阿弥元清作である宝生流謡曲「綾の鼓」の舞台となった「桂の池跡」があり、この池は斉明天皇が橘広庭宮に移られたときに舟遊びの宴を催したと伝えられています。
さらに、杷木志波の東隣り恵蘇宿地区の恵蘇八幡宮境内には斉明天皇崩御の際に中大兄皇子(天智天皇)が喪に服したとされる殯宮「木の丸殿跡」や背後の御陵山は天皇の殯陵という伝承を持つ古墳があり須川地区から4kmの位置です。
このように朝倉には宮跡と関連性のある場所がいくつも点在します。
結論として、様々な諸説はあくまでも伝説で考古学の裏付けはないのですが、1357年前の橘広庭宮はどのあたりに所在したのか、現在では、大分自動車道の発掘調査で発見された志波地区内の計画的に配置された建物跡(11棟)が朝倉橘広庭宮の周辺施設とされ、志波小学校辺りが宮跡との説もあっていにしえのロマンを感じます。