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竹田町屋寺子屋はな亭のお知らせ・ブログ
時空を超えた石垣!本日TV朝日18:30〜竹田城を紹介♪
更新 : 2013/10/6 11:24
本日10月6日18:30〜「奇跡の地球物語」で
「竹田城址」の石垣の秘密を科学的に解明^^
↓
詳細 こちら
http://www.tv-asahi.co.jp/miracle-earth/trailer/cur/
竹田城は、石垣だけの山城遺跡ですが、400年前の石垣が
そのままに残る珍しい山城遺跡です。
国指定史跡にも指定された美しい縄張りは、
空から眺めると虎が寝ている様に見える為、別名「虎臥城」と呼ばれています。
このお城の最後のご城主は、赤松広秀公。
豊臣秀吉の弟の秀長の命を受け、
但馬の入り口と生野銀山の守りを固めるため、「竹田城」を作りました。
標高300mの山頂にどうやって、このような大きな石を積んだのか?
疑問ですね〜。。
又、美しい石組は、排水性のよい「穴太積み(あのうつみ)」と
呼ばれる丸い石の面を合わせながら積んでいく、職人の勘と経験に頼る素晴らしい技術です。
この石組を積むために滋賀県の「穴太衆(あのうしゅう)」という
技術者集団が呼び寄せられ、また地元竹田の住民も作業に駆り出され、
一緒に石垣やお城を作ったそうです。
あまりに過酷な築城作業だった為、竹田の田んぼは手入れができず、
松が生えたと言われています^^;
その際の住民のまとめ役をしたのが、現在改装中の「竹田暮らしの交流館」
の以前の持ち主「木村酒造」の祖先の庄屋さん。
そんな官民一体となって作り上げた「竹田城」は、
1600年の関ヶ原の戦いで城主赤松広秀は鳥取焼き打ちの罪を
一人でかぶされ鳥取の真教寺で自刃。
残された奥さんの千鶴さんと娘さん3人は、村岡に逃げ延びて
その子孫は現在も但馬にお住まいです。
竹田城は1600年に廃城になって、石垣だけが400年も時を経て、
現在天空の城として急に注目を集めてるなんて、
時空を超えたロマンですね〜^^
妙に天守閣などをよくぞ再建せず、石垣のままに置いておいてくれた!
と最初訪れた時に感謝しました!
円山川の川霧と石垣が織りなす上品なお城の姿は、すでに
人工物の範疇を超え風景の一部になっています。
低い山なので気軽に登れるのに、登山者が襟を正す気品を持つ
何度でも行きたい不思議なオーラを持つ場所です。
秋の雲海の季節になりました。
時空を超えた技術者集団や地元民の思いが残る「竹田城跡」に
ぜひ!お越し下さいませ^^
館主
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