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宿番号:337486

受け継がれる歴史の湯 登録有形文化財「桃山風呂」

ハイクラス

湯田中温泉
車/上信越道・信州中野IC→R292佐野・角間ICより3分。電車/長野電鉄湯田中駅徒歩7分(15:00より送迎有)。

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    天国の「らいてう」、その胸中やいかに。 らいてう1

    更新 : 2010/6/14 18:54

    知人に「飯島ユキ」さんという
    俳人がいます。

    若いころ、
    平塚らいてう(らいちょうと読みます)
    の隣に住んでいたため、
    らいてう夫妻と
    家族のように
    親しく付き合っていた方です。

    彼女から
    らいてうについて
    いろいろ聞いたため、
    わたくしにとって
    らいてうは、
    特別な親近感を
    感じる存在となっています。

    そこで、
    らいてうの話を少しだけいたします。



    明治44年(1911年)、
    「青鞜」という女性による
    思想・文芸の雑誌を創刊した人物として、
    らいてうは広く知られていますね。

    でも「青鞜」での活躍の後、
    らいてうは
    社会運動に身を投じるんです。

    大正8年(1919年)、
    らいてうはあの「市川房枝」らと
    日本初の婦人団体
    「新婦人協会」を作りました。

    当時の女性は
    政党に入ることも、
    政治演説会に参加することも
    禁止されていたんですよ。

    今では
    考えられないことでしょう?

    らいてうは
    それを禁じた
    悪名高き「治安警察法」を変えるために、
    市川房枝と共に
    汗だくになって都内を歩きまわりながら、
    活動するんです。

    このとき二人は、
    当時の女性にしては大変珍しい
    「洋服」を着て
    話題になったんですよね。

    「和服」では
    活動しにくかったからなんです。

    でもらいてうは、
    この運動のために
    体がボロボロになり、
    活動の休止を余儀なくされてしまいます。

    市川房枝も
    アメリカに渡ってしまいました。



    戦後二人は、
    平和・反戦運動で
    再び一緒に活動するようになるけれど、
    らいてうは生涯、
    治安警察法を変える運動をしたときの
    後遺症に悩まされ続けたといいます。

    そんならいてうの
    苦労を聞いているから、
    かつて
    らいてうの「右腕」だった市川房枝の、
    さらにそのまた「右腕」であった菅直人氏が、
    日本の首相になるというのは
    感慨深いものがありますね。

    やっぱりらいてうは
    「時代の先駆者」だったんだな〜
    と思います。

    無理解と誹謗(ひぼう)中傷が
    絶えなかったのは、
    生まれるのが
    早すぎたからかもしれません。

    (続く)


     ※ 写真は
       斑尾高原で咲き残っていた
       キクザキイチゲの群落。

       らいてうたちも、
       まさしく
       時代の「星」でした。


       ブログ担当 ミソサザイ



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