愛知・瀬戸

架空の帰省で、ぼくは新しいぼくを知る。

AICHI・SETO

 いつからだろう。今の自分とは別の人間として生きてみたいと思うようになったのは。ゆるい転生願望とでもいうべきか。現実がすごく辛いわけではない。ただ三十歳を迎えた時に気づいたのは、今のぼくは明らかにこの人生に飽きているということだった。

「どこか誰も自分のことを知らない場所に行って、別の人間として生きていけたらなあ」

 そんなある日、ひとつのアイディアが頭に浮かんだ。

 はじめての土地に行き、そこに滞在している間は普段の自分だったら絶対にやらないことにたくさん挑戦して、

 別人になりきって過ごしてみるのはどうだろう。いっそ、その街で生まれて久々に帰省をするという設定もいいかもしれない。

 人間は環境によってつくられる生き物というではないか。きっと生まれる場所が違っていたら、ぼくだって今とは違った人生を歩んでいたに違いない。架空の帰省をすることで、新しいぼくの可能性が見えてくるかもしれない。

 そうと決めたら、行き先を考えなくては。悩んでいると、お気に入りの骨董品の招き猫と目が合った。「これは大正時代につくられた瀬戸焼の招き猫なんですよ」店員さんの言葉を思い出す。なんだか呼ばれている気がした。

 こういうのは直感が大事なのだ。調べてみると瀬戸市は愛知県にあった。ここなら今週末にでも大阪から十分行って帰ってこれそうだ。

 そんな他愛もない思いつきから、ぼくの架空の帰省旅行が幕を開けた。

 いつからだろう。今の自分とは別の人間として生きてみたいと思うようになったのは。ゆるい転生願望とでもいうべきか。現実がすごく辛いわけではない。ただ三十歳を迎えた時に気づいたのは、今のぼくは明らかにこの人生に飽きているということだった。

「どこか誰も自分のことを知らない場所に行って、別の人間として生きていけたらなあ」

 そんなある日、ひとつのアイディアが頭に浮かんだ。

 はじめての土地に行き、そこに滞在している間は普段の自分だったら絶対にやらないことにたくさん挑戦して、別人になりきって過ごしてみるのはどうだろう。いっそ、その街で生まれて久々に帰省をするという設定もいいかもしれない。

 人間は環境によってつくられる生き物というではないか。きっと生まれる場所が違っていたら、ぼくだって今とは違った人生を歩んでいたに違いない。架空の帰省をすることで、新しいぼくの可能性が見えてくるかもしれない。

 そうと決めたら、行き先を考えなくては。悩んでいると、お気に入りの骨董品の招き猫と目が合った。「これは大正時代につくられた瀬戸焼の招き猫なんですよ」店員さんの言葉を思い出す。なんだか呼ばれている気がした。

 こういうのは直感が大事なのだ。調べてみると瀬戸市は愛知県にあった。ここなら今週末にでも大阪から十分行って帰ってこれそうだ。

 そんな他愛もない思いつきから、ぼくの架空の帰省旅行が幕を開けた。

 名鉄瀬戸線の終点、尾張瀬戸駅の改札を出ると、頭上には雲一つない青空が広がっていた。まだ太陽は東の空にいる。こんな時間に外を散歩するのなんていつぶりだろう。最高の天気にすっかり気分をよくしたぼくは、見知らぬ街を歩きはじめた。

 古き良き時代の面影を留めている末広商店街を横切って、閑静な住宅街の中をしばらく進むと、趣きのある古民家が姿をあらわした。「ますきち」は築百四十年の古民家を改装したカフェ。帰省気分を味わう旅行のはじまりにはこの上ない場所だ。

「いらっしゃい」

 お店の扉を開けると玄関では南慎太郎さん、未来さん、そして昨年生まれたばかりの葉流くんが笑顔で出迎えてくれた。なんだか、久しぶりに遠い親戚の家に遊びに来たみたいだ。それから、二人は瀬戸の街の歴史やおすすめのお店をたくさん教えてくれた。慎太郎さん未来さん夫婦は共に瀬戸の出身だが、それぞれ一度県外に出てからUターンして帰ってきたという。

「一回外に出たからこそ地元のよさが分かるようになったのかもなあ」

 そんな風に話すに二人にはそれぞれ役割がある。夫の慎太郎さんが「はじめる」係で、妻でライター・編集者

でもある未来さんが「ひろめる」係。

「性格は真逆なんですけど、お互いに補い合ってるのかもしれません(笑)」

 息がぴったりの二人。地元の幼馴染とかなのだろうかと思いきや、出会いは意外に数年前、慎太郎さんが古民家カフェを立ち上げるためのプロジェクトページを開設して、そこにUターンを検討していた未来さんがたまたま問い合わせたことがきっかけらしい。

 人生何があるか分からない。真っ直ぐにやりたいことに向き合っている二人が眩しく見えた。

 もしも、この街に生まれていたら、ぼくにもこんな未来がありえただろうか?

 名鉄瀬戸線の終点、尾張瀬戸駅の改札を出ると、頭上には雲一つない青空が広がっていた。まだ太陽は東の空にいる。こんな時間に外を散歩するのなんていつぶりだろう。最高の天気にすっかり気分をよくしたぼくは、見知らぬ街を歩きはじめた。

 古き良き時代の面影を留めている末広商店街を横切って、閑静な住宅街の中をしばらく進むと、趣きのある古民家が姿をあらわした。「ますきち」は築百四十年の古民家を改装したカフェ。帰省気分を味わう旅行のはじまりにはこの上ない場所だ。

「いらっしゃい」

 お店の扉を開けると玄関では南慎太郎さん、未来さん、そして昨年生まれたばかりの葉流くんが笑顔で出迎えてくれた。なんだか、久しぶりに遠い親戚の家に遊びに来たみたいだ。それから、二人は瀬戸の街の歴史やおすすめのお店をたくさん教えてくれた。慎太郎さん未来さん夫婦は共に瀬戸の出身だが、それぞれ一度県外に出てからUターンして帰ってきたという。

「一回外に出たからこそ地元のよさが分かるようになったのかもなあ」

 そんな風に話すに二人にはそれぞれ役割がある。夫の慎太郎さんが「はじめる」係で、妻でライター・編集者でもある未来さんが「ひろめる」係。

「性格は真逆なんですけど、お互いに補い合ってるのかもしれません(笑)」

 息がぴったりの二人。地元の幼馴染とかなのだろうかと思いきや、出会いは意外に数年前、慎太郎さんが古民家カフェを立ち上げるためのプロジェクトページを開設して、そこにUターンを検討していた未来さんがたまたま

問い合わせたことがきっかけらしい。

 人生何があるか分からない。真っ直ぐにやりたいことに向き合っている二人が眩しく見えた。

 もしも、この街に生まれていたら、ぼくにもこんな未来がありえただろうか?

 午後の穏やかな日差しが降り注ぐ縁側で、しばらく読書をした後、ぼくは再び街に出た。

 本が好きなぼくに、南さん夫婦がおすすめしてくれた本屋さんが次の目的地だ。

 路地裏を抜けた先、可愛らしい看板が目印のお店の中には、店主の綾さんが丁寧に選んだ本が並ぶ。本好きが高じて、古民家の一階に自分のお店を開いたのだそう。

「この時代に本屋をはじめるって勇気がいりませんでした?」

 元々本屋に関わる仕事をしていて業界の大変さを知っているので思わず聞いてしまった。

「ずっと本屋さんが好きで、勢いではじめたらなんとかなりました」と笑う綾さん。

 ぼくにも本屋をやるという人生もあったのかな。しばしあり得たかもしれない世界線に思いを馳せる。

 夜は、ますきちさんいちおしの個性的なレストランに行ってみることにした。幼い頃から偏食で野菜をほとんど食べないぼくだが、ヴィーガン料理に初挑戦。

 大豆ミートなど、はじめて見る食べ物を前にすると、お店の雰囲気もあいまって不思議の国に迷い込んだような気分になる。ところが、おそるおそる口に運んでみると、あまりの美味しさに箸が止まらなくなった。

 普段一人ではお酒は飲まないのだが、勢いでヴィーガンワインを飲み干して、夢見心地で宿への帰路についた。

 翌日は、瀬戸のカルチャースポット巡り。旅行の思い出の品を求めて、遊び心ある品がそろう生活雑貨のお店に足を運んでみたり、未来さんの弟さんが運営されているパン屋でおいしいパンに舌鼓を打ったり、アートギャラリーのあるカフェで、絶品ランチをいただいたり。

 最後に、瀬戸に来る前に絶対に行きたいと思っていた瀬戸焼の窯元を訪れた。案内してくれたのは、三百年続く窯元の八代目後継予定の水野さん。千年以上にわたって綿々と続くせとものの歴史を教えてくれた。かつて家庭の台所にある食器の七割を占めていたとも言われるせともの。知らないところで普段のぼくたちの暮らしにも繋がっていたのだ。

 工房の中に不思議なかたちをした塊を発見した。なんでも郷土玩具をつくっているのだとか。もらった冊子を眺めていると、見覚えのある顔が載っている。うちにいるのとそっくりの瀬戸焼の招き猫。

「ここがあいつの故郷だったのか」。しみじみした気持ちで、窯元を後にした。

 架空の帰省も終わりに近づいていた。この二日間で歩いた末広商店街、瀬戸川に架かる歩道橋、そして、ますきちへと続く街並み。気づけば自分でも驚くほど自然に馴染みの場所になっていた。油断するとこのままずっとこの街での日常が続いていくような気さえする。

 明日の今頃には、ぼくはまた普段のぼくに戻っていて、空の狭いビルの谷間であくせく働いているのだろう。そう思うと途端に名残惜しくなってくる。

 午後の穏やかな日差しが降り注ぐ縁側で、しばらく読書をした後、ぼくは再び街に出た。

 本が好きなぼくに、南さん夫婦がおすすめしてくれた本屋さんが次の目的地だ。

 路地裏を抜けた先、可愛らしい看板が目印のお店の中には、店主の綾さんが丁寧に選んだ本が並ぶ。本好きが高じて、古民家の一階に自分のお店を開いたのだそう。

「この時代に本屋をはじめるって勇気がいりませんでした?」

 元々本屋に関わる仕事をしていて業界の大変さを知っているので思わず聞いてしまった。

「ずっと本屋さんが好きで、勢いではじめたらなんとかなりました」と笑う綾さん。

 ぼくにも本屋をやるという人生もあったのかな。しばしあり得たかもしれない世界線に思いを馳せる。

 夜は、ますきちさんいちおしの個性的なレストランに行ってみることにした。幼い頃から偏食で野菜をほとんど食べないぼくだが、ヴィーガン料理に初挑戦。大豆ミートなど、はじめて見る食べ物を前にすると、お店の雰囲気もあいまって不思議の国に迷い込んだような気分になる。ところが、おそるおそる口に運んでみると、あまりの美味しさに箸が止まらなくなった。

 普段一人ではお酒は飲まないのだが、勢いでヴィーガンワインを飲み干して、夢見心地で宿への帰路についた。

 翌日は、瀬戸のカルチャースポット巡り。旅行の思い出の品を求めて、遊び心ある品がそろう生活雑貨のお店に足を運んでみたり、未来さんの弟さんが運営されている

パン屋でおいしいパンに舌鼓を打ったり、アートギャラリーのあるカフェで、絶品ランチをいただいたり。

 最後に、瀬戸に来る前に絶対に行きたいと思っていた瀬戸焼の窯元を訪れた。案内してくれたのは、三百年続く窯元の八代目後継予定の水野さん。千年以上にわたって綿々と続くせとものの歴史を教えてくれた。かつて家庭の台所にある食器の七割を占めていたとも言われるせともの。知らないところで普段のぼくたちの暮らしにも繋がっていたのだ。

 工房の中に不思議なかたちをした塊を発見した。なんでも郷土玩具をつくっているのだとか。もらった冊子を眺めていると、見覚えのある顔が載っている。うちにいるのとそっくりの瀬戸焼の招き猫。

「ここがあいつの故郷だったのか」。しみじみした気持ちで、窯元を後にした。

 架空の帰省も終わりに近づいていた。この二日間で歩いた末広商店街、瀬戸川に架かる歩道橋、そして、ますきちへと続く街並み。気づけば自分でも驚くほど自然に馴染みの場所になっていた。油断するとこのままずっとこの街での日常が続いていくような気さえする。

 明日の今頃には、ぼくはまた普段のぼくに戻っていて、空の狭いビルの谷間であくせく働いているのだろう。そう思うと途端に名残惜しくなってくる。

 ふと南さん一家、慎太郎さん、未来さん、葉流くんのことが頭をよぎった。もう一度会って、瀬戸の素敵な場所をたくさん教えてくれたことのお礼と二日間ぼくの帰省の旅行の話を伝えたくなったけど、ぐっと堪えることにした。それは次回の楽しみにとっておこう。「また、来ます。」そう呟いて、ぼくは街をあとにした。

 帰りの新幹線の中、窓辺でうたたねをしているのはもういつものぼくだった。一瞬これまでの出来事がすべて夢のように思える。けれど、リュックにつまっている瀬戸で買った本や軍手、旅先で撮った街の風景の断片が、確かにぼくが瀬戸で生きていたことを思い出させてくれる。

 二日間、知らない土地に滞在して、あえて「自分らしくない」ことをたくさんやってみた。ひとつひとつは些細なことだけど、その度に、新しい自分との出会い、新しい世界の発見があった。

 次にこの街を帰る時は、どんなぼくになっているだろうか?

 今までは、憂鬱だった先の見えない未来が、ちょっとだけ楽しみになってきた。

 ふと南さん一家、慎太郎さん、未来さん、葉流くんのことが頭をよぎった。もう一度会って、瀬戸の素敵な場所をたくさん教えてくれたことのお礼と二日間ぼくの帰省の旅行の話を伝えたくなったけど、ぐっと堪えることにした。それは次回の楽しみにとっておこう。「また、来ます。」そう呟いて、ぼくは街をあとにした。

 帰りの新幹線の中、窓辺でうたたねをしているのはもういつものぼくだった。一瞬これまでの出来事がすべて夢のように思える。けれど、リュックにつまっている瀬戸で買った本や軍手、旅先で撮った街の風景の断片が、確かにぼくが瀬戸で生きていたことを思い出させてくれる。

 二日間、知らない土地に滞在して、あえて「自分らしくない」ことをたくさんやってみた。ひとつひとつは些細なことだけど、その度に、新しい自分との出会い、新しい世界の発見があった。

 次にこの街を帰る時は、どんなぼくになっているだろうか?

 今までは、憂鬱だった先の見えない未来が、ちょっとだけ楽しみになってきた。

おかえりコーディネーター 南さん一家

おかえりコーディネーター
南さん一家。
慎太郎さん、未来さん、葉流くん。慎太郎さん、未来さんは共に瀬戸出身。一度県外に出た後にUターンして、2018年にゲストハウスますきちをオープン。ヒトツチ名義でPRの仕事も手掛けていて、慎太郎さんが「はじめる」、未来さんが「つたえる」を担当している。

ただいまライター 金井塚悠生

ただいまライター
金井塚悠生。
ライター。教育・福祉系の企業での採用広報、観光系の会社での企画・PRの仕事を手掛けるかたわら、WEBメディアでインタビューやコラム等を執筆。漫画や映画、美術等日本のカルチャーをこよなく愛するパラレルワーカー。大阪在住。