あの日の「ただいま」を求めて、私は帰省という旅行に出かけた。
KUMAMOTO・UEKI
思えば「ただいま」とは、わたしをたちまちおしゃべりにさせてしまうキラキラした魔法のような言葉だった。
急いで靴から足を引き抜くと、「今日はね、」「びっくりすることがあったんやけどね、」と、迎え入れてくれた母にその日の出来事のあれこれを、みんなみんな話してしまう。
母は夕食の支度をしながら「うんうん」と頷いたり、「まあ」と驚いたりと忙しそうだった。あとから聞くと、母は「趣味は、娘の話を聞くこと」と言っていたらしい。
上京し、帰宅ではなく帰省となってもそれが変わることはなかった。「ただいま!」とキャリーバックを玄関に放っぽりだして母に抱きついた途端、「新幹線でね、」「そういえば先週ね、」と、わたしは帰省したときだけ本当のわたしになった。
その日見たもの、体験したこと、味わったものをよくよく覚えておくのも、そうして母に話すためであったから、わたしは帰省のために毎日を過ごしていたのかもしれないとさえ思うのだ。
けれどもある時から、そんなふうに毎日を大切に心に綴じる必要はなくなってしまった。
母が亡くなりもう七年が経つ。父はひとり、実家から少し離れた小さな部屋で暮らし、わたしは相変わらず東京で忙しく日々をこなしている。「帰省」も「実家」も「ただいま」も。あれからすべてどこかへと失くしてしまった。魔法は全部とけたのだ。
空き家となった兵庫県のがらんとした家は、もうすぐ売って手放してしまうという。整理に、と立ち寄るとわたしはついアルバムを眺めてしまう。そして、ふと一枚の写真に目が止まった。馬に跨っている、泣きはらした顔の幼い私が写っている。「熊本旅行」と母の字で書かれているけれど、わたしには記憶がまるでない。
「たった一日でもいいから、この日に帰れたら」
写真を眺めながらそう願った。
これは、「あの日に帰りたい」そんなふうに過去ばかり羨むわたしが、「記憶のない熊本に帰ってみることにした」という、不思議な旅行のお話だ。
思えば「ただいま」とは、わたしをたちまちおしゃべりにさせてしまうキラキラした魔法のような言葉だった。
急いで靴から足を引き抜くと、「今日はね、」「びっくりすることがあったんやけどね、」と、迎え入れてくれた母にその日の出来事のあれこれを、みんなみんな話してしまう。母は夕食の支度をしながら「うんうん」と頷いたり、「まあ」と驚いたりと忙しそうだった。あとから聞くと、母は「趣味は、娘の話を聞くこと」と言っていたらしい。
上京し、帰宅ではなく帰省となってもそれが変わることはなかった。「ただいま!」とキャリーバックを玄関に放っぽりだして母に抱きついた途端、「新幹線でね、」「そういえば先週ね、」と、わたしは帰省したときだけ本当のわたしになった。
その日見たもの、体験したこと、味わったものをよくよく覚えておくのも、そうして母に話すためであったから、わたしは帰省のために毎日を過ごしていたのかもしれないとさえ思うのだ。
けれどもある時から、そんなふうに毎日を大切に心に綴じる必要はなくなってしまった。
母が亡くなりもう七年が経つ。父はひとり、実家から少し離れた小さな部屋で暮らし、わたしは相変わらず東京で忙しく日々をこなしている。「帰省」も「実家」も「ただいま」も。あれからすべてどこかへと失くしてしまった。魔法は全部とけたのだ。
空き家となった兵庫県のがらんとした家は、もうすぐ売って手放してしまうという。整理に、と立ち寄るとわたしはついアルバムを眺めてしまう。
そして、ふと一枚の写真に目が止まった。馬に跨っている、泣きはらした顔の幼い私が写っている。「熊本旅行」と母の字で書かれているけれど、わたしには記憶がまるでない。
「たった一日でもいいから、この日に帰れたら」
写真を眺めながらそう願った。
これは、「あの日に帰りたい」そんなふうに過去ばかり羨むわたしが、「記憶のない熊本に帰ってみることにした」という、不思議な旅行のお話だ。
飛行機で飛び、バスに揺られ、熊本県へとたどり着く。訪れたのは植木町(うえきまち)。日本でいちばんのすいかの産地だ。空はパッと青くて、視界を邪魔するものは何も見当たらない。
「雲が立体的に見える」と、初めてのことを思った。やけに輪郭がくっきりとして、近くて大きいのだ。
まず、と立ち寄ったのが果実園「ハナウタカジツ」だった。オーナーの片山さんがおっとりとしたやさしい笑顔で迎え入れてくれる。
「どうも」「はじめまして」
側から見れば、それはとてもぎこちないものだったかもしれないけれど、わたしにはちっとも初めて会った気がしない。なぜなら、帰省に向けてこの町のお店や農園をネットで検索していたとき、いくつものサイトで片山さんご夫婦の似顔絵をたくさんたくさん見かけていたからだ。
それだけ多くの場所に、ハナウタカジツは新鮮な果物を卸されているようだった。そして育てている果物たちへの想いも片山さんはとても丁寧に発信されていた。熱心でずいぶん熱い愛に溢れた人なのだということは、そこからも充分に伝わってきたのだった。
「十九年間やってるんです」
何気なく片山さんはそう言うけれど、きっとその十九年間に休む暇はなかったろう。これだけの広さの畑を見守り続け、雨風が酷ければ対策をし、また九州という土地柄、台風の折にも準備は欠かせないことだろう。
「最初は農家になりたいとは思っていなかったんですけどね。でも、近くの学校の生徒が見学に来てくれれば先生のような気持ちにもなるし、果物を卸しているケーキ屋で新しいケーキが完成すれば、ケーキ屋さんみたいな気分もちょっと味わえます。届ける場所や方法を広げれば広げるほど、果物を通してどんなものにでもなれる
気分ですよ」
片山さんはゆっくりと言葉を選びながら、そんなことも話してくれる。
よく晴れた幸楽日和。「せっかくだから」と植木町のおすすめの場所を片山さんにいくつか教えてもらう。また戻ることを伝えて「いってきます」とハナウタカジツを後にした。
どの場所のことも、まるで自分の家のように家族のように話す様子がなんだか不思議だった。けれど片山さんにとって、植木町でいっしょにものづくりをする人々は
誰もみんな「家族」のようなものなのだろう。
飛行機で飛び、バスに揺られ、熊本県へとたどり着く。訪れたのは植木町(うえきまち)。日本でいちばんのすいかの産地だ。空はパッと青くて、視界を邪魔するものは何も見当たらない。
「雲が立体的に見える」と、初めてのことを思った。やけに輪郭がくっきりとして、近くて大きいのだ。
まず、と立ち寄ったのが果実園「ハナウタカジツ」だった。オーナーの片山さんがおっとりとしたやさしい笑顔で迎え入れてくれる。
「どうも」「はじめまして」
側から見れば、それはとてもぎこちないものだったかもしれないけれど、わたしにはちっとも初めて会った気がしない。なぜなら、帰省に向けてこの町のお店や農園をネットで検索していたとき、いくつものサイトで片山さんご夫婦の似顔絵をたくさんたくさん見かけていたからだ。
それだけ多くの場所に、ハナウタカジツは新鮮な果物を卸されているようだった。そして育てている果物たちへの想いも片山さんはとても丁寧に発信されていた。熱心でずいぶん熱い愛に溢れた人なのだということは、そこからも充分に伝わってきたのだった。
「十九年間やってるんです」
何気なく片山さんはそう言うけれど、きっとその十九年間に休む暇はなかったろう。これだけの広さの畑を見守り続け、雨風が酷ければ対策をし、また九州という土地柄、台風の折にも準備は欠かせないことだろう。
「最初は農家になりたいとは思っていなかったんですけどね。でも、近くの学校の生徒が見学に来てくれれば先生のような気持ちにもなるし、果物を卸しているケーキ屋で新しいケーキが完成すれば、ケーキ屋さんみたいな気分もちょっと味わえます。届ける場所や方法を広げれば広げるほど、果物を通してどんなものにでもなれる気分ですよ」
片山さんはゆっくりと言葉を選びながら、そんなことも話してくれる。
よく晴れた幸楽日和。「せっかくだから」と植木町のおすすめの場所を片山さんにいくつか教えてもらう。また戻ることを伝えて「いってきます」とハナウタカジツを後にした。
どの場所のことも、まるで自分の家のように家族のように話す様子がなんだか不思議だった。けれど片山さんにとって、植木町でいっしょにものづくりをする人々は誰もみんな「家族」のようなものなのだろう。
片山さんおすすめの道の駅で、すいかのジェラートを片手にしばし休憩をする。東京でひとり暮らしていると、すいかを口にする機会は少ない。「懐かしい・・・」。まだ、家族に包まれた小さな女の子だった遠い日をぼんやりと思いながら、その甘い香りと味をひんやりと舌と喉でたのしんでいた。
食べ終わったあとも「忘れられそうにないな」とその味を口の中で恋しんでいると、道の駅の事務局長さんとお会いすることができた。東京から訪れたことを話すと大層労ってくれて「せっかくですから」と、すいかのにごり酒をご好意で持たせてくれる。すこし傾けると、瓶の中では淡いピンク色がゆっくりと揺らめいてすごく
すごくきれいだった。
「ありがとうございます!」
きれいなビー玉をもらった子どものようにはしゃいでしまったことに後から照れたけれど、そのくらいすいかの味は懐かしく、そのピンクはわたしをときめかせた。
宿へとたどり着けば、空はもう夕暮れだ。淡く染まる空は、すいか酒にあまりにもそっくりで、思いがけず「ああ・・・」と声を漏らす。思えば、今夜この宿に泊まることを伝えると、事務局長さんもまた、家族のように話してくれた。
夕暮れに包まれ、「家族のような人がたくさんいる」とはどんな心地だろうかと考えてみる。そして長らく、帰る場所のないこと、家族のような愛に包まれることがないことに、本当はジクリジクリと胸を痛めていた自分にひとり気づく。そして、抱えきれないほどの景色の中、なんだか「どうしよう」と、途方に暮れるのだった。
翌日もまた農園や工場を巡る。どこの人もみな「ああ、ハナウタカジツさんで」と目を細めて迎えてくれた。そのたしかなつながりがわたしにはやっぱりうらやましい。
けれど、昼食で立ち寄ったレストランでのこと。食材はすべて植木町のものだそうで、「おいしいです」と感激
してシェフに伝えると、「ありがとうございます。地の利ですね。植木町には、こんなに良いものがあるんです」そう微笑んでくれたあと、シェフはこんな言葉を続けた。
「でも、それを他所の方に褒めていただいたりしないと、自分たちでもその良さがわからなくなってしまうことがある。だから広めたいんです」
わたしにもそれは、なんだか痛いほどわかる気がした。「書く」ということを生業にしている。時に、遠くの誰かに認めてもらうことで「自分」の輪郭を確かめることが誰しもあるだろう。むしろ、それ無しでは上手く歩けているかさえわからなくなってしまうんじゃないだろうか。
そして、「そうか」とひとりごつ。
植木町の人たちは、決して「同じ土地でものづくりをしている」、それだけでつながっているわけではない。
「植木町の魅力を遠くまで届けたい」。そんな想いで深くつながっているのだ。
雄大な山々に見守られ、丁寧に懸命にものづくりをし、同じ想いで生きている。だから、この人たちは「家族」なのだ。血のつながりや時間の長さではない。想いと営みでつながっている。
そして、そんな家族なら、頑張ればわたしにもこれから「作れる」のではないか。そんな家族がいま欲しい。
片山さんおすすめの道の駅で、すいかのジェラートを片手にしばし休憩をする。東京でひとり暮らしていると、すいかを口にする機会は少ない。「懐かしい・・・」。まだ、家族に包まれた小さな女の子だった遠い日をぼんやりと思いながら、その甘い香りと味をひんやりと舌と喉でたのしんでいた。
食べ終わったあとも「忘れられそうにないな」とその味を口の中で恋しんでいると、道の駅の事務局長さんとお会いすることができた。東京から訪れたことを話すと大層労ってくれて「せっかくですから」と、すいかのにごり酒をご好意で持たせてくれる。すこし傾けると、瓶の中では淡いピンク色がゆっくりと揺らめいてすごくすごくきれいだった。
「ありがとうございます!」
きれいなビー玉をもらった子どものようにはしゃいでしまったことに後から照れたけれど、そのくらいすいかの味は懐かしく、そのピンクはわたしをときめかせた。
宿へとたどり着けば、空はもう夕暮れだ。淡く染まる空は、すいか酒にあまりにもそっくりで、思いがけず「ああ・・・」と声を漏らす。思えば、今夜この宿に泊まることを伝えると、事務局長さんもまた、家族のように話してくれた。
夕暮れに包まれ、「家族のような人がたくさんいる」とはどんな心地だろうかと考えてみる。そして長らく、帰る場所のないこと、家族のような愛に包まれることがないことに、本当はジクリジクリと胸を痛めていた自分にひとり気づく。そして、抱えきれないほどの景色の中、なんだか「どうしよう」と、途方に暮れるのだった。
翌日もまた農園や工場を巡る。どこの人もみな「ああ、ハナウタカジツさんで」と目を細めて迎えてくれた。
そのたしかなつながりが、わたしにはやっぱりうらやましい。
けれど、昼食で立ち寄ったレストランでのこと。食材はすべて植木町のものだそうで、「おいしいです」と感激してシェフに伝えると、「ありがとうございます。地の利ですね。植木町には、こんなに良いものがあるんです」そう微笑んでくれたあと、シェフはこんな言葉を続けた。
「でも、それを他所の方に褒めていただいたりしないと、自分たちでもその良さがわからなくなってしまうことがある。だから広めたいんです」
わたしにもそれは、なんだか痛いほどわかる気がした。「書く」ということを生業にしている。時に、遠くの誰かに認めてもらうことで「自分」の輪郭を確かめることが誰しもあるだろう。むしろ、それ無しでは上手く歩けているかさえわからなくなってしまうんじゃないだろうか。
そして、「そうか」とひとりごつ。
植木町の人たちは、決して「同じ土地でものづくりをしている」、それだけでつながっているわけではない。
「植木町の魅力を遠くまで届けたい」。そんな想いで深くつながっているのだ。
雄大な山々に見守られ、丁寧に懸命にものづくりをし、同じ想いで生きている。だから、この人たちは「家族」なのだ。血のつながりや時間の長さではない。想いと営みでつながっている。
そして、そんな家族なら、頑張ればわたしにもこれから「作れる」のではないか。そんな家族がいま欲しい。
一通り巡り終え、ハナウタカジツの片山さんの元へと戻った。
「おかえり」
そう迎え入れられると、みかんを摘んだこと、お箸の工場見学をして少し手伝わせてもらったけれどちっとも上手く行かなかったこと、どれだけ食事がおいしかったかということ。気づけば片山さんにその日のできごとをみんなみんな話している自分がいた。
それは、幼いあの頃の、ずっと帰りたかったあの日のわたしにあまりにもそっくりで、これがわたしの知る
「ただいま」だと、胸が震えた。
「また来ます、じゃあ行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
片山さんはずっとずっと手を振ってくれた。今度帰ってくるときには、わたしにも、家族と思えるような人が、あるいは家族が、できているといいな。それをまた、「ただいま、」の続きに話せたら。
そんなことを考えながら、ゆっくりと曲がって下る車に身を任せ、わたしは心地よく揺られている。過去では
なく、次に見える景色のこと、これから自分が作れるものについて考えていた。
空はもうすぐ、すいか色の夕暮れだ。
一通り巡り終え、ハナウタカジツの片山さんの元へと戻った。
「おかえり」
そう迎え入れられると、みかんを摘んだこと、お箸の工場見学をして少し手伝わせてもらったけれどちっとも上手く行かなかったこと、どれだけ食事がおいしかったかということ。気づけば片山さんにその日のできごとをみんなみんな話している自分がいた。
それは、幼いあの頃の、ずっと帰りたかったあの日のわたしにあまりにもそっくりで、これがわたしの知る「ただいま」だと、胸が震えた。
「また来ます、じゃあ行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
片山さんはずっとずっと手を振ってくれた。今度帰ってくるときには、わたしにも、家族と思えるような人が、あるいは家族が、できているといいな。それをまた、「ただいま、」の続きに話せたら。
そんなことを考えながら、ゆっくりと曲がって下る車に身を任せ、わたしは心地よく揺られている。過去ではなく、次に見える景色のこと、これから自分が作れるものについて考えていた。
空はもうすぐ、すいか色の夕暮れだ。
おかえりコーディネーター
片山和洋。
果実園「ハナウタカジツ」のオーナー。桃やすもも、みかん、キンカンなどの栽培の他に、植木町の活性や、果物の新たな可能性を模索し積極的に活動するなど、植木町と果物を愛してやまない。名前の「ハナウタ」には、「毎日のなかにあるちいさなしあわせ」という意味が込められている。
ただいまライター
中前結花。
エッセイスト・ライター。兵庫県生まれで東京暮らしは十一年。ものづくりを応援しながら、日々の出来事や工芸、ラジオ、音楽に関する文章を執筆。手作りの帽子と古いタイプライターを集めている。いつか四国を巡り、母の伝記を書くのが目標。