関西の文化史跡・遺跡(28ページ目)
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- 埋立記念碑
和歌山/文化史跡・遺跡
大正5年〜昭和4年(1916〜1929)にかけて埋め立てられた網代(あじろ)の築地(つきじ)には臨港線がつくられ石灰等の陸上げに利用された。碑は昭和5年(1930)1月に由良臨港土地株式会...
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- 平岩
和歌山/文化史跡・遺跡
神功(じんぐう)皇后が挑戦半島からの帰途(4世紀頃)神谷、衣奈、そのあとここの平岩にも立ちより舟をつないだといわれる所で、その時応神天皇は赤児で武内宿弥(たけのうちのすく...
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- 里二遺跡
和歌山/文化史跡・遺跡
由良小学校を中心とした埋蔵文化財包蔵地で、昭和39年(1964)2月に弥生式土器、古墳時代のものが多く出土した。特に弥生時代前期の「つぼ」と古墳時代の「はぞう」は原型のまま出土...
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- 鹿ケ瀬城址
和歌山/文化史跡・遺跡
「玉葉」の治承5年(1181)9月28日の条に「伝聞、熊野法師原、一同反了、切塞鹿瀬背山」とあり、日高郡と有田郡との境界に位置す要衝地で、そのあと、各時代に山城として利用されたよ...
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- 明恵上人吉原遺跡
和歌山/文化史跡・遺跡
有田川町歓喜寺生まれ、鎌倉時代の京都高山寺華厳宗の高僧。吉原遺跡は、上人誕生の地と伝えられている。国の指定を受けた、上人紀州八遺跡の内、有田川町内にはこの吉原遺跡の他3カ...
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- 高野参詣道三谷坂
和歌山/文化史跡・遺跡
丹生酒殿神社を起点として、紀伊山地尾根筋を通り天野の丹生都比売神社に参詣し、六本杉で町石道に合流する古道。平成28年10月24日、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」へ追加...
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- 光恩寺庫裡
和歌山/文化史跡・遺跡
紀伊吐前(はんざき)城主・津田監物が建て、監物の法号である光恩居士から光恩の部分を取って寺名としたといわれています。初代住職の信誉上人は松平家の出身であり、紀州藩祖徳川頼宣...
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- 土舞台
奈良/文化史跡・遺跡
「聖徳太子伝暦」によると,聖徳太子が百済人味摩之の伝えた伎楽舞を少年たちに習わしたという,いわば日本最初の演劇研究所があったところ。仏寺の供養音楽の発祥地というわけである...
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兵庫/文化史跡・遺跡
宝暦十二年(1762)に書かれた、地誌(播磨艦)に当時、宮本武蔵が太子町宮本村で生まれたと記載されています。 また、晩年、武蔵を知る唯一の史料、自筆’(五輪書)に武蔵が自ら〔生国播...
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- 波賀歴史伝承の家
兵庫/文化史跡・遺跡
築300年以上とされる茅葺き屋根の古民家を移築したもので、邸内には一昔前の生活用具や農作業道具など、昭和初期以降の民具70種、約100点を展示しています。囲炉裏、牛部屋、...
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- 八上城跡
兵庫/文化史跡・遺跡
永正12年(1515)波多野氏が、丹波富士と呼ばれる高城山(朝路山ともいう)に築城。一時城を失ったが、永禄9年(1566)波多野秀治が奪回、丹波国内に40余の城と30余の...
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- 安福寺横穴群
大阪/文化史跡・遺跡
木々に囲まれた小さな谷のような安福寺参道の両側には、古墳時代の横穴がある。凝灰岩(ぎょうかいがん)に掘削された横穴群で、40基が確認されている。古代人の住居といわれたことも...
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大阪/文化史跡・遺跡
古墳時代・4世紀末期の応神天皇の時に百済(現朝鮮半島南部)から来て日本に漢字を伝えた渡来人・王仁が、現出岡弁財天付近に孔子を祀る聖堂を立てて学問を広めたという伝承があります...
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- 丹後大仏
京都/文化史跡・遺跡
無病息災にご利益のある、丈六の露天石仏の阿弥陀如来像。この大仏は、大正7年(1918)筒川製糸の従業員42名が、東京見物から帰った後、スペイン風邪(流行性感冒)にかかり亡くなっ...
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- 山瀧寺跡
京都/文化史跡・遺跡
白鳳時代(7世紀後半)に建立された古代寺院跡で、付近から飛鳥の寺院や平城宮などと同じ瓦が出土している。「禅定寺文書」の鎌倉時代の記述に「山瀧寺」の名が見られ、昭和20年代ま...
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京都/文化史跡・遺跡
南山城の最高峰である鷲峰山(682m)は役行者によって開かれたといわれ、古来吉野と並び称される山岳宗教の拠点として栄えた。現在は山頂付近の金胎寺境内が国史跡に指定され、山頂か...
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京都/文化史跡・遺跡
江戸時代を代表する俳人のひとり「与謝蕪村」は、晩年に宇治田原の門人の招きで来訪し、松茸狩りなどを楽しみ紀行文「宇治行」を記した。そのときの礼状に記された句を刻んだ句碑が郷...
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- 宝筐印塔
京都/文化史跡・遺跡
大宮神社宝筐印塔と同じタイプで鎌倉時代の塔。南区の旧「切林村」に位置し、和束町から伊賀方面へ向かう街道横にある。ここで旅人がわらじの緒を締め直し旅立ったことから地元では「...
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京都/文化史跡・遺跡
治承4年(1180)、以仁王の平氏追討令に呼応して挙兵した源頼政は平等院に布陣し宇治川を挟んで平氏軍と対峙した。その頼政軍を攻めて武功を揚げた平氏方の武将足利忠綱は、地元の伝...
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- 禅定寺五輪塔
京都/文化史跡・遺跡
禅定寺山門を入った場所に置かれてあり、康永3年(1344)銘が刻まれている。当時禅定寺の財産の管理者に男子の跡継ぎがなく、長女の蘭雀女のためにその妹が建てたと伝えられる。
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- 信西入道塚
京都/文化史跡・遺跡
平安時代末の「平治の乱」で源氏に敗れた藤原信西が、領地のある宇治田原に逃れたところを捕らえられ斬首され、その首を持ち帰った領民により葬られたという塚。向かいの大道神社とと...
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- 松の下露跡
京都/文化史跡・遺跡
さしていく笠置の山をいでしより 天が下にはかくれがもなし(太平記)武家政治を打破し、天皇政治をとり戻す策略が発覚した後醍醐天皇が、逃れようとする途中に大きな松の下で休まれ...