菅江真澄墓
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旅人 - 菅江真澄墓のクチコミ
北海道ツウ ポンタさん 男性/30代
- 一人
江戸時代後期に東北、北海道の旅した人です。真澄はその旅の記録を膨大な紀行文と地誌、図絵に残しました。最期は、秋田県で客死し、その墓にねむります。
- 行った時期:2015年6月
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年8月2日
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菅江真澄墓の新着クチコミ
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菅江真澄の眠る墓
現在も共同墓地として利用されている土地です。寺内の古四王神社の正面の反対側に位置する小道で、黄色い看板の道案内が目印です。そこから真っすぐの狭い一車線程度の道のり(民家の中に位置する道路)で、徒歩でも行くことができます。
旅人の鑑のような菅江真澄、その墓前では感慨深いものを感じました。自分の中ではこの墓を訪れることで、下北半島に始まった一種の菅江真澄の辿った足跡・菅江真澄探しの終焉(この数時間前には角館神明社の終焉の地を拝見)のようなイメージでしたが、単に一区切りのような感じとなりました。彼はどのように旅したのか、何を記録したのか、機会があれば新ためて確認してみたい衝動に駆られました。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年8月19日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年8月22日
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稀代の旅行家のお墓
菅江真澄は、故郷の三河国を30歳で出奔し、その後の生涯を一人で東北地方を中心に遠く蝦夷地まで旅行し、紀行文を書き残した江戸時代後期の稀代の旅行家です。民俗学者の柳田國男や赤坂憲雄は惚れ込んでいると言えるほど真澄に興味を示していますが、その理由は単に真澄の紀行文が学術上貴重であるというだけでなく、旅を本当に愛する柳田や赤坂にとって真澄の一生は自分では実現できなかった理想の人生であるからなのかもしれません。
出奔以来一度も故郷へ戻らなかったとも言われている真澄のお墓は、共同墓地の隅で他のお墓から離れて、少し寂しげに佇んでいるように見えました。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年12月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年4月24日
まるみさん
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未知の国陸奥に魅せられた真澄の眠る場所
共同墓地の一角に有名な旅人菅江真澄のお墓があります。
通称「旧国道」の古四王神社の向かいの細い路地に入ると、茂みの先の小高い場所にあります。
この界隈は城跡や神社、霊泉が点在しており、風情や歴史的魅力も満載です。
なおこの辺には民家や地域猫も多く居住しているので、徐行など安全運転の配慮を賜わりたいです。詳細情報をみる
- 行った時期:2014年9月
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2014年10月5日