新島襄旧宅
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新島襄旧宅の口コミ一覧
1 - 10件 (全11件中)
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- 一人
新島は元治元年(1864年)に渡米、アマースト大学、アンドーヴァー神学校に学び明治8年(1875年)に帰国、同志社英学校設立までの間、この地でキリスト教布教活動を行った。- 行った時期:2024年3月9日
- 投稿日:2024年3月20日
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- カップル・夫婦
「新島襄旧宅」とされていますが、実際は安中藩士であった襄の両親が江戸から移り住んだ武士長屋で、襄の生家というわけではありません。襄は安中藩士の子として江戸神田にあった安中藩江戸屋敷で生まれ育ったのであり、正確には、維新後に襄の両親が江戸から移り住んだ長屋です。新島襄自身は安中藩の江戸屋敷に生まれ、幕末の1864年に密出国してアメリカに渡るまで安中を訪れたことはなく、1874年に帰国した後、安中に移り住んでいた両親の家に3週間滞在したというのが「旧宅」とされる所以のようです。1963年に二軒長屋のうち新島家が住んでいた東半分を切り離して現在地へ移築し、西半分は新築して内部は管理人室・展示室を設けたとのことで、1965年に安中市の史跡に指定されました。- 行った時期:2023年1月18日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2024年1月2日
他3枚の写真
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- カップル・夫婦
歴史で学んだ新島襄氏の人となりなや信仰心や業績を学びやすい資料展示で訪れて良かったと思った。また来たい。- 行った時期:2016年3月
- 混雑具合:やや混んでいた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年7月14日
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- カップル・夫婦
維新後、江戸から引き上げてきた安中藩士のために安中藩が建てた二軒長屋とのこと。二間の居室と土間。新島襄の旧宅ということを置いても中々貴重。- 行った時期:2015年12月20日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年1月30日
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- カップル・夫婦
新島襄の足跡とキリスト教との関わりが分かりやすく展示されて説明されているのでとても興味不覚勉強になります。- 行った時期:2014年12月6日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2015年1月11日
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- カップル・夫婦
新島襄の資料館が併設されています。
住宅を見学していると、資料館のかたにいろいろと説明していただきました。
大河ドラマで八重の桜の影響もあり、来館者が10倍以上に増えたそうです。
同志社大学卒業の人には、資料は感慨深いです。
駐車場は広かったですが、駐車場までの道は狭いです。- 行った時期:2014年12月7日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2014年12月23日
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富岡製糸場の帰りに立ち寄りました。NHK「八重の桜」の平成15年10月20日の放送でも紹介されていました。とても静かな佇まいで新島襄を育んだ人情味溢れる土地柄を感じます。入場無料にも関わらずボランティアの方が非常に適切に説明をして下さいました。日本キリスト教協会の「安中教会」とセットで見学すれば日本で最も早くキリスト教が根付いた地域性を楽しむことができると思います。帰りは新島襄に物心ともに支援を惜しまなかった醤油醸造業「有田屋」さんに寄り、醤油マドレード・醤油サブレーなどを買って帰りました。夏ならば醤油ソフトクリームが人気のようでしたが、菓子類も大変美味でした。
- 行った時期:2013年10月20日
- 投稿日:2013年10月21日
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