宝林寺梵鐘
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宝林寺梵鐘
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立派な鐘楼
木菴により銘が刻まれた梵鐘
秋の宝林寺
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評価分布
宝林寺梵鐘について
この鐘は、国の重要美術品とされた名鐘で、館林城主徳川綱吉が、当時、宝林寺に来住の潮音道海禅師を住持に迎えて創建した館林の廣済寺に、寛文10年(1670)家老の黒田信濃守が寄進したもので、潮音の師 木庵禅師によって銘が刻まれています。徳川綱吉が5代将軍となった後の天和3年(1683)、館林は廃城、廣済寺も取り壊しとなり、本尊、什宝等が宝林寺に移されました。その後、江戸深川に廣済寺が再建され、前記什宝等の引き渡し要求があり、交渉は難航しましたが、天保14年(1843)小幡龍門寺、三光和尚の斡旋により解決し、梵鐘等すべて宝林寺に永代伝えることになりました。
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。
所在地 | 〒370-0505 群馬県邑楽郡千代田町新福寺705 MAP |
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交通アクセス |
(1)東武伊勢崎線川俣駅から車で20分
(2)東北道館林I.Cから車で30分 |
宝林寺梵鐘のクチコミ
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舘林廃城を生き延び、供出も免れた名鍾
綱吉公が将軍となった後の舘林藩を継いだ綱吉の子徳松丸が5歳で夭折、舘林藩は天領に城は廃城とされました。
綱吉公の支援を受けて潮音禅師が城内に設立していた廣済寺も廃寺となり、綱吉の家老が寄進した梵鐘は同じ黄檗宗の宝林寺に移されたそうです。
潮音禅師の師、黄檗三筆のひとりである木菴禅師により銘が刻まれた梵鐘は、国の重要美術品に指定されていたおかげで太平洋戦争での供出も免れ、東毛地区の大切な歴史の証人として大切にされています。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年11月21日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年12月5日
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宝林寺梵鐘の基本情報
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。
名称 | 宝林寺梵鐘(ホウリンジボンショウ) |
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所在地 |
〒370-0505 群馬県邑楽郡千代田町新福寺705
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交通アクセス |
(1)東武伊勢崎線川俣駅から車で20分
(2)東北道館林I.Cから車で30分 |
料金 |
その他:その他 無料 |
その他 |
文化財:市町村指定重要文化財 |
駐車場 | 無料 |
お問い合わせ |
じゃらん旅行ガイドを見たと伝えるとスムーズです。 0276-86-3077(黄檗宗眞福山宝林寺) |
ホームページ | https://horinji.or.jp/diboric/temple-bell |
最近の編集者 |
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宝林寺梵鐘に関するよくある質問
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- 宝林寺梵鐘の交通アクセスは?
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- (1)東武伊勢崎線川俣駅から車で20分
- (2)東北道館林I.Cから車で30分
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- 宝林寺梵鐘周辺のおすすめ観光スポットは?
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- 里山学校
- いずみ緑道といずみ総合公園 - 約2.9km (徒歩約37分)
- 第一三共なかさと公園 - 約1.7km (徒歩約22分)
- 利根大堰 - 約6.4km
宝林寺梵鐘の訪問者傾向
みんなが行った時期
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1月
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2月
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3月
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4月
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5月
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6月
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7月
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8月
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9月
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10月
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11月
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12月
訪問者の特徴
- 滞在時間
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- 1時間未満 100%
- 1〜2時間 0%
- 2〜3時間 0%
- 3時間以上 0%
- 混雑状況
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- 空いている 100%
- やや空き 0%
- 普通 0%
- やや混雑 0%
- 混雑 0%
- 年齢層
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- 10代 0%
- 20代 0%
- 30代 0%
- 40代 0%
- 50代以上 100%
- 男女比
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- 男性が多い 100%
- やや男性多 0%
- 約半数 0%
- やや女性多 0%
- 女性が多い 0%
- 訪問人数
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- 1人 0%
- 2人 100%
- 3〜5人 0%
- 6〜9人 0%
- 10人以上 0%
- 子供の年齢
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- 0〜1歳 0%
- 2〜3歳 0%
- 4〜6歳 0%
- 7〜12歳 0%
- 13歳以上 0%