一石橋迷子しらせ石標
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一石橋迷子しらせ石標の口コミ一覧
1 - 10件 (全13件中)
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- 一人
古くは江戸時代の日本橋から一石橋界隈は盛り場であり、迷子などが多くおりました。当時迷子は町内が責任を持つことになっており、安政4年に石碑が建立されました。- 行った時期:2018年7月
- 投稿日:2018年8月24日
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- 一人
この界隈を散策している自分とダブってしまいます。
この石柱って都指定文化財ですが、迷子しらせ用なんですね。
江戸時代のここは、迷子の紙を貼って、お尋ねしていたのです。
それだけ人々の往来が激しかったのですね。
一石橋って、「いちこくばし」と読むそうですが、
この名も何かいわれがありそうです- 行った時期:2017年11月
- 投稿日:2018年1月14日
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- 一人
江戸時代に日本橋から近い、この辺りは盛り場で、迷子が多かったことから、この石碑を建てたようですが、歴史を感じさせる興味深いスポットです。- 行った時期:2018年1月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年1月12日
東京ツウ Kuda12さん 男性/40代
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- 一人
東京駅の八重洲口から日本銀行へ向けて歩く途中にある江戸時代の石柱です。
案内板によれば、正面には「満よひ子の志るべ」と書いてあるそうで、「迷い子の標」と意味の当て字なのでしょう。
右側には「志らす類方」(知らする方)ということで迷子を保護したことを知らす人が、
左側には「たづぬる方」(尋ねる方)ということで迷子の行方を尋ねる人が、それぞれ紙を貼って迷子を親元へ帰す仕組みでした。
いったいどれほどの迷子とその親が出会えたのか、どうだったのでしょうね。- 行った時期:2017年10月24日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年11月2日
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- カップル・夫婦
「一石橋迷子しらせ石標」は、江戸時代ならではのエピソードを持つ石碑です。
残念ながらすぐ隣に工事中のフェンスが立ち、一石橋の上には首都高速道路が走り、やや雑然とした光景に呑み込まれていいました。- 行った時期:2017年1月
- 投稿日:2017年7月9日
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- 一人
江戸時代の日本橋界隈は盛り場で迷子や尋ね人が多かったため、町の世話人が人探しの告知板的な石標を置いたみたいです。- 行った時期:2017年1月19日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年1月23日
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- 一人
江戸時代に江戸町内各所にあった迷子の連絡網だそうです。現在ではこの1基しか残っていないそうです。野晒しなのですが保存状態が良く、人相書きや情報を張り付けたらしい石標のくぼみがはっきりと残っています。- 行った時期:2016年12月12日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年1月22日
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- 一人
東京駅から神田方向に外堀通りを歩いて行くと、日本橋川の手前に花崗岩でできた一石橋の親柱4基のうち1基だけが残っている場所がありますがその横に、一石橋迷子しらせ石標があり説明板もあります。迷子や尋ね人を探す際、左側面の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、心当たりのある人はその旨を書いて右側の側面の窪みに貼ってしらせたそうです。ネット時代の現代では考えられませんが、興味深いしくみだと思いました。- 行った時期:2016年4月
- 投稿日:2016年9月16日
東京ツウ えいさん 男性/50代
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- 家族
江戸時代に迷子なってしまった子を探す為にこの石に子の特徴を張って情報を集めていたらしいです。
昔は迷子で親子が一生離れてしまうことも多々あったらしく切なくなりました。- 行った時期:2013年7月
- 投稿日:2016年9月5日
東京ツウ kさん 女性/30代
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