一石橋迷子しらせ石標
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一石橋の南西詰の親柱と並んでいます - 一石橋迷子しらせ石標の口コミ
東京ツウ 雷雷クーンさん 男性/70代
- 一人
-
全高180cm 弱の石標です
by 雷雷クーンさん(2015年9月撮影)
いいね 0 -
一石橋の親柱と並んでいます
by 雷雷クーンさん(2015年9月撮影)
いいね 0
この石標は、江戸時代の後半になると、この付近の盛り場で迷子が多かったらしく、ここ一石橋の橋詰に、迷子探しの告知石碑が建てられたもの とのことです。
この石標の全高は、180cm 弱で、刻まれてる文字がはっきりしています。
場所は、一石橋の南西詰の親柱と並んでおり、説明板もあるので、分かり易いです。
- 行った時期:2015年9月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2015年10月10日
- この口コミは参考になりましたか?0はい
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安政4年に建立
古くは江戸時代の日本橋から一石橋界隈は盛り場であり、迷子などが多くおりました。当時迷子は町内が責任を持つことになっており、安政4年に石碑が建立されました。
詳細情報をみる
- 行った時期:2018年7月
- 投稿日:2018年8月24日
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石標
石標と案内板のある観光スポットです。橋の入口の脇に隠れているように建っているため、地図などで確認してから行きたい場所です。
詳細情報をみる
- 行った時期:2014年4月
- 投稿日:2018年6月7日
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迷子しらせ用 紙を貼って
この界隈を散策している自分とダブってしまいます。
この石柱って都指定文化財ですが、迷子しらせ用なんですね。
江戸時代のここは、迷子の紙を貼って、お尋ねしていたのです。
それだけ人々の往来が激しかったのですね。
一石橋って、「いちこくばし」と読むそうですが、
この名も何かいわれがありそうです詳細情報をみる
- 行った時期:2017年11月
- 投稿日:2018年1月14日
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迷子が多かったようです。
江戸時代に日本橋から近い、この辺りは盛り場で、迷子が多かったことから、この石碑を建てたようですが、歴史を感じさせる興味深いスポットです。
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- 行った時期:2018年1月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年1月12日
Kuda12さん
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満よひ子の志るべ
東京駅の八重洲口から日本銀行へ向けて歩く途中にある江戸時代の石柱です。
案内板によれば、正面には「満よひ子の志るべ」と書いてあるそうで、「迷い子の標」と意味の当て字なのでしょう。
右側には「志らす類方」(知らする方)ということで迷子を保護したことを知らす人が、
左側には「たづぬる方」(尋ねる方)ということで迷子の行方を尋ねる人が、それぞれ紙を貼って迷子を親元へ帰す仕組みでした。
いったいどれほどの迷子とその親が出会えたのか、どうだったのでしょうね。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年10月24日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年11月2日