高村光太郎旧居跡
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高村光太郎旧居跡 - 高村光太郎旧居跡のクチコミ
東京ツウ いなばちゃんさん 女性/20代
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高村光太郎旧居跡
by いなばちゃんさん(2018年10月撮影)
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高村光雲の長男で、詩人彫刻家として活躍した高村光太郎の旧居跡です。案内板だけですがじっくり見ていくのもいいです。
- 行った時期:2018年10月
- 人数:2人
- 投稿日:2018年12月8日
- このクチコミは参考になりましたか?2はい
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説明案内のみ
文京区のガイドマップをみながら根津神社から夏目漱石猫の家〜森鴎外記念館〜須藤公園(庭園)〜旧安田邸宅(島薗住宅)からファーブル昆虫館に行く手前に偶然、旧高村邸宅跡の案内看板をみつけました。
詳細情報をみる
- 行った時期:2022年4月30日
- 投稿日:2022年4月30日
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千駄木駅から徒歩約12分です。
千駄木駅から徒歩約12分です。
住宅街の中に案内板だけ残っています。
旧安田楠雄邸庭園のすごく近くです。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年10月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年10月8日
ヒロシさん
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光太郎29歳から
高村光太郎は高村光雲の長男で1883年生まれ、
1892年に父・光雲とともにこの近く(現住所「千駄木5-20-6」)に移り住み、
1912年(明治45年)にここ(現住所「千駄木5-22-8」)に転居したそうです。
1914年(大正3年)に長沼智恵子と一緒に暮らし始め、
1938年(昭和13年)に智恵子と死別するまで一緒に住んだ場所です。
1945年(昭和20年)の戦災で住居は焼失し、今はありません。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年2月25日
- 投稿日:2018年6月11日
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今は案内板のみ
文京区千駄木にある詩人・彫刻家の高村光太郎の旧居跡です。太平洋戦争で焼けるまでこの地に住んでいたようですが、今は案内板があるだけで当時の様子をうかがい知ることはできません。
詳細情報をみる
- 行った時期:2017年4月
- 投稿日:2018年4月22日
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千駄木5丁目にあります
明治45年から昭和20年までということですから、生涯の半分はここに住んだことになります。
智恵子が亡くなったあとは1人暮らしだったようです。 近くに宮本百合子ゆかりの地もあります。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年1月
- 投稿日:2016年9月12日