東勝寺跡
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鎌倉幕府終焉の地 - 東勝寺跡のクチコミ
神奈川ツウ 瑠璃蝶さん 女性/40代
- 家族
鎌倉駅から徒歩15分くらい。
【北條高時腹切りやぐら・東勝寺跡】の案内板をたどって住宅街の奥へ進みます。東勝寺橋を渡ると左側に東勝寺跡があります。案内板がなければ、ただの空地です。
その先はハイキングコースの入口と草むらを少し入った場所に北條高時腹切りやぐら。北條氏と鎌倉幕府終焉の地を感じました。やぐらには花が供えられていました。
近くには北條氏ゆかりの宝戒寺と紅葉ヤマトやぐらがあります。
- 行った時期:2016年1月16日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:親・祖父母
- 人数:2人
- 投稿日:2016年1月18日
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鎌倉幕府終焉の地
1225年、第3代執権・北条泰時が鶴岡八幡宮境内の南東、滑川を越えた葛西ヶ谷の地に北条一族の菩提寺として建立したのが東勝寺です。平家を滅ぼした源頼朝が開いた鎌倉幕府は、3代将軍・実朝が暗殺された後、頼朝の舅・北条時政以降、北条氏が14代に亘って執権として他の御家人を排し、実権を独占してきました。しかし、二度に及ぶ元寇や得宗専制に対する不満から、後醍醐天皇を初めとする倒幕勢力が反旗を翻すと、上野国で挙兵した新田義貞が率いる軍勢に対して幕府軍は関東各地で連敗し、要害の地・鎌倉で最後の抵抗を試みるも、有力武将を次々に失い、北条執権邸(現在の宝戒寺)にも火の手が迫ったため、執権・北条高時ら北条一門は最期であることを悟り、菩提寺の東証に退いて自ら火を放ち、一族・家臣がことごとく自害して果てたといわれます。1998年に「東勝寺跡」として国の史跡に指定されましたが、現在の景観から往時を偲ぶことは容易ではありません。
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- 行った時期:2023年2月15日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2024年1月3日
-
運命の1333年
日本の各地に栄枯盛衰の舞台となった場所がありますが、この東勝寺もその一つです。私が訪れた夏の朝はセミが忙しく鳴き、平成の日常が過ぎておりました。ここで自尽されたと伝わる800名以上の方が、命を賭してまで守ろうとしたもの、あるいは守り切れなかったものは何であったのか、覇者の栄枯盛衰は盛者必衰の理でもありましょう。覇者にとっては滅ぶもまた冥利なのかもしれない、そう考えると庶民の穏やかでささやかな幸せもまた意味のあるものなのでしょう。 滋賀県草津市野路5丁目付近の旧東海道を歩いた時に、平清盛の孫にあたる平清宗が15歳にして斬首された場所を通りましたが、その時に感じた盛者必衰の無常を、この場所でもまた思ったのであります。
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- 行った時期:2018年8月20日
- 混雑具合:非常に混んでいた
- 投稿日:2018年10月6日
-
北条氏滅亡のお寺
北条氏滅亡のお寺とされています。現在はやぐらがある崖を背景にした草むらに囲いがしてあります。近くには北条腹切りやぐらがあります。
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- 行った時期:2015年12月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年7月2日
-
北条高時腹切りやぐら
B 戦乱の世とは言え、彼らは、自害などしたくなかったのではないでしょうか。
権力や地位、名誉、家柄、誇り…。
現代人の私達には理解できないけれど、そんなつまらないものに振り回されて、その時代の、いわば犠牲者になってしまった彼らの無念さは、いかばかりだった事か…。
武将たちの人生を鑑みるに、「北条高時腹切りやぐら」を面白半分に訪れるのだけは、やめていただきたいものです。
私達が訪れた頃にはまだ、間近で、やぐらの中の五輪塔等を見る事ができました。しかし今は、「霊場につき立ち入り禁止」の札が立てられており、広範囲にわたり金網が張り巡らされてあります。
現在の基礎となる鎌倉を築き上げた北条氏に対し、畏敬と感謝の念を示すと共に、いつの日か、自害した彼らの魂が救われる事を、心の底から祈念してやみません…。詳細情報をみる
- 行った時期:2000年6月3日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:配偶者
- 人数:2人
- 投稿日:2018年3月6日
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北条高時腹切りやぐら
A やぐらとは、山裾の岩盤を掘って穴蔵にした、言わば、中国式の墓所です。
知る人ぞ知る場所だけあって、昼なお暗く、5月頃のせいか鬱蒼とした樹木、さらには、不気味なほどの静寂が漂っていました。
ぽっかりと開いた、高さ1メートルほどの薄暗い穴の前には、「北条高時以下870有余名」と記載された、大きな木製の墓標。
穴の中には五輪塔を囲む様に、五段に積んだ小石が、幾つも点在しています。
そこは、周りが静寂に包まれていたからだとか、全く人気(ひとけ)がないから、とかいう次元の話ではありません。
おどろおどろしい、とでも言うのでしょうか?
目に見えずとも、何かしら鬼気迫るものがあるのを、感じずにはいられませんでした。詳細情報をみる
- 行った時期:2000年6月3日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:配偶者
- 人数:2人
- 投稿日:2018年3月6日