大伴家持の歌碑
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ミラージュランドの観覧車から早月川を見ないと - 大伴家持の歌碑の口コミ
三重ツウ こぼらさん 男性/50代
- カップル・夫婦
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昭和29年に早月川畔に建立され、同55年に現在地に移設されました。
by こぼらさん(2019年7月1日撮影)
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解説なしでは、どう読むのかすらわかりません。
by こぼらさん(2019年7月1日撮影)
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歌碑の脇に解説パネルがあり、これで歌の読みと意味を理解できます。
by こぼらさん(2019年7月1日撮影)
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写真中央が歌碑のある公園で、その右の川が早月川。左下は水族館。
by こぼらさん(2019年7月1日撮影)
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万葉和歌の歌碑なので、当て字のように漢字が並んでいます。文学通ではないので、解説なしには全く歌を味わえません。でも解説パネルが歌碑の隣にあるので助かります。天平時代に越中国司であった大伴家持が、領内を巡回していて詠んだ歌でしょう。橋がない早月川を馬に乗って渡ろうとしたら、浅瀬であってもあぶみまで川の水に浸かるほど水量が増していて、驚き緊張している気持ちを表しています。川の流れも速かったことでしょう。
歌意は【立山の雪が消えているらしい。だから延槻川(早月川)の渡り瀬で水量が増して、あぶみまで浸かるほどだ。】(たちやまの ゆきしくらしも はひつきの かはのわたりせ あぶみつかすも)
この歌碑が、どういう場所に立っているかを知れば、もっと歌を味わえます。すぐ近くにあるミラージュランドの観覧車に乗ると、この歌碑が早月川の河川敷公園に立っていて、この川が河口付近でも蛇行している暴れ川であることがわかります。広い河原で、騎馬での渡河に難渋している大伴家持一行の姿が思い浮かんできます。
- 行った時期:2019年7月1日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年7月20日
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詳細情報をみる
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