三國神社
- ここに行く計画を立てよう
- クチコミを投稿する
- 写真を投稿する
- 行った
- 行きたい
- クリップ
-
- シェアする
- メールする
三國神社の口コミ一覧
1 - 10件 (全25件中)
-
- その他
三国湊きたまえ通り南の細い路地を抜けると、いきなり大きな鳥居前に出ます。立派な銅板巻きの鳥居の先、石段上にはこれまた立派な随身門が控えていました。- 行った時期:2024年3月16日
- 投稿日:2024年3月20日
この口コミは参考になりましたか?0はい -
- カップル・夫婦
三国神社の拝殿。祭神は大山咋命と継体天皇ですが、継体天皇が合祀されたのは明治5年なので、もともとは大山咋命のみを祀っていました。江戸時代は日吉山王社という名称だったので、地元の人たちは今でも(おさんのさん)と呼んでいるそうです。
明治初期に、延喜式にも名を連ねていて由緒ある三国神社に改称する事を藩庁(県庁)に願い出たものの却下された事があったそうです。このため、しばらくは桜谷神社という名称になっていました。その後、継体天皇が合祀されて三国神社への改称が許可されたという経緯があります。
そのせいか、本殿の屋根飾りには菊と桜の紋があしらわれています。- 行った時期:2018年10月20日
- 投稿日:2018年10月31日
この口コミは参考になりましたか?4はい -
- カップル・夫婦
継体天皇が生まれ育った三国の神社であり、継体天皇を祀っていると聞いたので、歴史的な関心で訪れました。
三國神社は、確かに古代の延喜式神名帳に名を連ねています。しかし、当初の三國神社は中世には廃絶してしまったようです。現在は継体天皇を祀っているものの、近くにあった水門宮(継体天皇を祀っていた)を明治初期に合祀したからです。
現在の社殿は、天保の大飢饉の時に難民救済事業として、三国湊の豪商・内田惣右衛門らが境内整備とともに改築を行ったものです。天保10年(1839)に完成しています。いわば、三国の豪商たちの力で造営された神社です。当時の三国湊の豪商たちの財力を物語っているのです。- 行った時期:2018年10月20日
- 投稿日:2018年10月31日
この口コミは参考になりましたか?7はい -
- カップル・夫婦
神社前には、広い通りと広場があります。北陸の三大祭のひとつ三国祭では、山車がこの通りと広場で勢揃いするのです。5月20日の正午に、三国神社前に奉納され勢揃いした山車6基は、午後1時に神社前から街中に繰り出すのです。- 行った時期:2018年10月20日
- 投稿日:2018年10月31日
この口コミは参考になりましたか?4はい -
- カップル・夫婦
祭礼に日には多くの人出で賑わうこの神社も、普段は参拝者もそれほど多くなく、たくさんの木々に囲まれて静かな雰囲気です。駅から近いわりに規模の大きな神社です。- 行った時期:2014年4月20日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年9月23日
他1枚の写真
この口コミは参考になりましたか?0はい -
この口コミは参考になりましたか?0はい
-
matsuさん 男性/20代
この口コミは参考になりましたか?0はい -
この口コミは参考になりましたか?0はい
-
- カップル・夫婦
福井県坂井市三国町に鎮座されていらっしゃる『三國神社』さん。1564年創建の神社さんです。「三国祭」があります。- 行った時期:2016年8月
- 投稿日:2018年3月29日
この口コミは参考になりましたか?0はい -
この口コミは参考になりましたか?0はい