佐佐木信綱記念館
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鈴鹿市が生んだ偉人、佐佐木信綱の記念館 - 佐佐木信綱記念館のクチコミ
三重ツウ korikoriさん 女性/40代
- カップル・夫婦
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資料館
by korikoriさん(2017年10月撮影)
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記念館の案内
by korikoriさん(2017年10月撮影)
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文庫
by korikoriさん(2017年10月撮影)
いいね 1
鈴鹿市が生んだ偉人、歌人や国文学者としても有名な佐佐木信綱の記念館です。
館内には資料館、生家、蔵、文庫などがあり、資料館では、佐佐木信綱に関する資料や使用していた道具、書籍などが展示されています。
生家の中を見学することも出来ます。
文庫は特定の日にのみ開館されているので、事前に確認してから行くと良いです。
- 行った時期:2017年10月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年10月11日
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佐佐木信綱記念館
佐佐木信綱(1872-1963年)は明治から昭和にかけての日本文学界の重鎮の一人。石薬師村に歌人佐々木弘綱の長男として誕生、歌人・国学者となる。『近世和歌史』、『萬葉集の研究』など多くの著作があり、全集全10巻も編まれている。 記念館には著作や資料が展示してある。
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- 行った時期:2022年3月19日
- 投稿日:2022年3月31日
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開館時期が限られているようです
旧東海道に面して立っている佐佐木信綱資料館。開館時期が限られているようで、玄関には「当面の間は休館」というつれない表示が出ていて入れませんでした。残念!
国道1号線で石薬師付近を通ると大きな案内表示があるので、この資料館の存在は昔から知っていましたが、鎌倉武士の佐々木信綱に因む資料館だと思っていました。お恥ずかしい限りです。
ここの佐佐木信綱氏は、後白河法皇が編んだ歌謡集「梁塵秘抄」を世に広めた文学者であり、貞明皇后はじめ皇族の方々に和歌を指導した程の歌人であった事を知ったのは、そんなに昔のことではありません。
知り合いから「三重に住んでいるなら、佐佐木信綱がどういう人物だったのか知っておくべきだ」と言われたのを思い出します。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年9月29日
- 投稿日:2019年11月12日
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記念館は「資料館」「生家」「石薬師文庫」の三つで構成
表示によれば、佐佐木信綱記念館は「佐佐木信綱資料館」「生家」「石薬師文庫」の三つの建物で構成されています。
資料館は昭和61年に鈴鹿市によって建てられましたが、生家は信綱が幼少期に住んだもので、石薬師文庫は信綱が郷里に寄贈した建物です。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年9月29日
- 投稿日:2019年11月12日
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旧街道沿いにある古民家
こちらの佐佐木信綱記念館は、旧街道沿いにある少しレトロ感のある古民家で、ここに来ると昔の生活をしのぶことが出来ます。
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- 行った時期:2019年4月
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年4月25日
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歌人で歌【夏は来ぬ】の作者、佐々木信綱記念館
無教養な自分、初めて耳にする名前だが、歌人で歌【夏は来ぬ】の作者、だと初めて知った(♪卯の花におう垣根に♪ホトトギスはやも来鳴てしのびねもらす♪夏は来ぬ)は代表的で誰でも一度は聞いたり口ずさんだりしただろうと思う、その卯の花が中庭にかれんな白い花を咲かせていた、石薬師に生まれ生家を昭和45年に記念館として開館、後61年に資料館が建設、短冊、歌集、使かっていた物、写真、掛け軸等、展示品の多くは信綱の信条【書物は読まれるもので汚れても仕方がない】に従い手に取って読むことができる、、物も大切にし短い鉛筆も無駄にせず使いきったそうだ、又(信綱かるた道)と命名の町中民家の道筋塀越し、庭越しには信綱作の歌がその数五十首程が立て看板に掲げられて紹介されていた、平成23年に鈴鹿市景観重要建造物第1号に指定、後建物が,国の登録有形文化財に登録(文庫、土蔵も含む)されたとある。
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- 行った時期:2019年4月20日
- 混雑具合:非常に混んでいた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年4月23日
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