寿栄神社
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藤堂高吉を祀る神社 - 寿栄神社の口コミ
神社ツウ ねこちゃんさん 男性/60代
- カップル・夫婦
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鳥居
by ねこちゃんさん(2018年4月撮影)
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太鼓門
by ねこちゃんさん(2018年4月撮影)
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拝殿
by ねこちゃんさん(2018年4月撮影)
いいね 0
名張藤堂家邸に隣接してある神社です。門は、藤堂家邸の正門を移築したものだそうです。訪れたときは誰もいなくて、ひっそりとしていました。
- 行った時期:2018年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年4月28日
- この口コミは参考になりましたか?0はい
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静か
寿栄神社を見ることができました。藤堂家の関係の神社のようでした。静かで緑豊かなところにあり、ゆっくり過ごすことができました。
詳細情報をみる
- 行った時期:2018年6月
- 投稿日:2018年6月3日
アーキさん
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神社というよりは藤堂高吉の記念館
寿栄神社の祭神は藤堂高吉と応神天皇です。実態は藤堂高吉の記念館のようなものです。
藤堂高吉は、伊勢・伊賀の2国を領していた藤堂藩の家臣でしたが、伊賀名張2万石を領する名張藤堂藩の藩祖であり大名だったと言っても過言でない存在であったため、寿栄神社に祀られているのです。
高吉は、織田信長の重臣・丹羽長秀の三男でした。戦国の権謀術数によって藤堂高虎の養子となり、高虎の後継ぎとなるはずでした。しかし、後に高虎には実子・高次が生まれ、高吉が後継ぎとなる話は反古となるばかりか、藤堂本家から何かと冷遇され苦労させられる事となりました。
しかし高吉は優れた人物であり、関ヶ原の戦いや大阪の陣では武功を立てているし、最終的に落ち着いた領地・名張の発展に努めています。名張に旧領・今治から人材を呼び寄せ、名張藤堂家藩邸(実態は城郭)と名張の街を築きました。今でも名張では、城と城下町を造った人物であると高い評価をしています。
このため高吉没後、一族と家臣たちが名張藤堂藩邸内に祠を建てて高吉の慰霊を勧請し、寿栄神社となったのです。亡くなった時は91歳で、当時としては非常に高齢だったため、高吉は長寿の神様とも仰がれつつあります。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年3月15日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年3月16日
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