逢坂関跡
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逢坂関跡の口コミ一覧
1 - 8件 (全8件中)
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- 一人
国道1号線から少し右手に入ったところに碑が建立されている。平安時代中期に不破関・鈴鹿関と共に三関≠フひとつとして交通の要所として名を馳せていた。古より貴族や武将、文人墨客が通過しており、中でも盲であり琵琶の名手であった蝉丸は、この地に庵を結んだとされており百人一首に取り上げられているこれやこのゆくもかえるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関≠フ一首は、この地を通り過ぎる人の流れを詠んだものとされている。
碑の残る界隈は鉄道建設や、国道・名神高速の建設時に大きく道が掘り下げられたこともあり、往時を知るものは残ってはいない。またその絡みもあり逢坂の関そのものの存在場所にも多々異論があり、多くの説では現碑よりも少し大津方向に置かれていたのではないか?と言われている。
狭い旧道沿いに蝉丸神社共々あることから、車を停めるスペースがない。うなぎの名店かねよの駐車場を30分以内であれば利用可…と書かれているものも散見するが確認はできなかった。また界隈の史跡を巡って歩くにも、京阪京津線大谷駅から上栄町駅まで京津線の駅間距離が最も離れている区間を歩かねばならない。訪れることの難しさを感じた場所であった。- 行った時期:2020年9月9日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2020年9月11日
この口コミは参考になりましたか?2はい -
- 一人
お盆休みに大津市街をぶらりとした際に立ち寄りました。大津市街から京都方面へR1の急な坂道を登った所にありました。石碑と案内図とトイレがありました。すぐ近くの「かねよ」は有名なようで警備員が車の誘導されてました。- 行った時期:2018年8月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年1月7日
この口コミは参考になりましたか?1はい -
- カップル・夫婦
東海道五十三次ウォーキングの際に寄りました。大津からここまで国道1号線に沿ったなだらかな坂道が厳しく、ここでほっと一息入れることが出来ました。昔の関所といえば、旅人を見張る番所として厳しい所であったなと思いつつ、三条大橋のゴールを目指して進んで行きました。- 行った時期:2017年11月3日
- 投稿日:2018年6月13日
歴史ツウ hakoneatamiさん 女性/50代
この口コミは参考になりましたか?0はい -
- 一人
旧東海道を伊勢朝日駅から京都三条大橋まで歩いた際に大津宿から逢坂の関を越えて京都山科へ至りました。
逢坂の関と言えばやはり、百人一首の蝉丸、蝉丸と言えば坊主めくりの絵札の強烈な印象があるのですが、
歌の方、これやこの〜ではじまるあの逢坂の関の歌で馴染みのあるスポットです。
ところが、この逢坂の関、いったいどこにあったのか、はっきりしたことが判っていないそうです。
大津から山科までのどこかにあったわけで、この東海道沿いの山道全体で逢坂の関を感じていただけたらいいと思います。- 行った時期:2017年3月20日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年8月1日
この口コミは参考になりましたか?1はい -
- 一人
京阪京津線の大谷と言う所に「逢坂の関」があるので行って見ます。
逢坂越は古くから交通の要所だった所です。
百人一首「これやこのゆくもかえるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」という蝉丸の歌で有名ですね。
逢坂の関記念公園があって、歌碑なども建っています。- 行った時期:2012年4月
- 投稿日:2016年11月17日
この口コミは参考になりましたか?3はい -
- カップル・夫婦
昔から和歌に多くうたわれた「逢坂の関」の跡地には、いまは「和歌の彫られた石碑」や「関所に関する説明板」などがありました。ちかくに「かねよ」という「ウナギ」で有名なお店があるので、一緒に見る分にはいいと思います。- 行った時期:2016年5月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年6月3日
この口コミは参考になりましたか?0はい -
- その他
百人一首に詠われた逢坂の関。
国道からかねよさんに入る交差点に石碑がありました。誰しもが通る関所を人生の出会いと別れのように詠ったこの一首に思いをはせずにはいられませんでした。- 行った時期:2015年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2015年12月21日
この口コミは参考になりましたか?1はい -
- カップル・夫婦
「これやこの、行くも帰るも分かれては、知るも知らぬも逢坂の関」
そうです、百人一首に収められている蝉丸法師の歌です。
この歌の舞台である逢坂関は日本三関の一つで、残りの不破関と鈴鹿関、そして平安時代初期まで三関の一つだった愛発関を含めて全て近江国の国境に設置されていた重要な関所です。現在の逢坂関所跡も両側を山に挟まれた鬱蒼とした峠で、古代より難所として知られていたのですが、この峠道の勾配を弛めて行き来を楽にしたのが信長なのです。道路普請の名人とも言われた信長は、関所の廃止と同時に歪曲した貧弱な主要街道を、行軍と交易が安易なように真直ぐで広い道路に整備し直してますが、この逢坂関付近の急勾配も信長の命令により掘削されて現状に近い道路に生まれ変わったという史実があります。
昭和60年代頃まではこの関所跡には大きな交番と大型の重量計が設置されており、交通検問は勿論、大型トラックの過積載検問が行われていましたが、その後廃止され現在は石碑が建っているだけです。
また、昔はこの逢坂関を頂点とする東海道は関所両側の勾配がきつく、荷車や牛車や馬車が難儀したため、轍を入れた石を敷き詰めて通行を楽にしていたそうで、その敷石を石垣にした家屋が付近に残っています。
ちなみに、この逢坂関跡を大津市中心部に向かって300bほど下ったところに蝉丸法師が庵を編んだ跡があり、蝉丸神社となって残っています。- 行った時期:2014年9月25日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2014年11月19日
この口コミは参考になりましたか?3はい