近江大津宮錦織遺跡
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市内に点在 - 近江大津宮錦織遺跡のクチコミ
グルメツウ まこさん 女性/60代
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近江大津宮錦織遺跡
by まこさん(2017年10月撮影)
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大津京は667年、天智天皇により奈良の飛鳥から遷都されましたが、672年の壬申の乱で廃都と化しました。
近江大津宮錦織遺跡は国の史跡に指定、遺跡は市内に点在しています。
近江神宮までの道すがら、3ヶ所見ることができました。
住宅地の中の公園という感じですね。
錦織(にしきおり)とは古代からある地名で、このあたりに錦を織る錦織部が存在したとあります。
- 行った時期:2017年10月
- 投稿日:2018年4月17日
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歴史ファンなら楽しめる。
近江大津宮錦織遺跡は、天智天皇によって飛鳥から遷都された近江大津宮跡と推定されている場所です。国指定の史跡。基本的には、公園のようなものなので、歴史好きじゃないと楽しめないかもしれないです。現在、巨大な柱を埋め込むための1辺2m近い穴と、直径40mから50cmほどの柱跡が7つ、門跡、中心建物を囲んだと思われる柵列とその北側の倉庫群が発掘されていますので、歴史ファンはとても刺激的なところです。個人的には、謎の多い近江大津宮遷都を考えるために行くのをお勧めします。
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- 行った時期:2012年4月14日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年11月15日
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広場でした
近江神宮に行く際に発見しました。神宮に行く際に、駅から歩くと、その途中にあります。昔、ここに「近江宮」という都があったらしく、その都の跡地が発掘、研究され、今はちょっとした広場のようになっていました。説明の看板などがありました。
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- 行った時期:2016年5月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年6月3日
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天智天皇も呆れ返っておられる?
記紀に拠ると、近江国志賀郡には二度、京がおかれています。最初が成務天皇が京をおかれた穴太の高穴穂宮で、二度目が天智天皇の大津京となります。
しかし、この大津京跡、長い間正確な位置が全く分からず、それこそ議論百出の様相を呈していましたが、昭和四十九年になって漸く結論がでました。それが、京阪電車近江神宮駅西側に在る大津京跡の石碑を中心とするエリアで、発掘した方の著書に拠ると、民家の建て替え時に足繁くお願いに通って、漸く許可を得て採掘したところ、遺構が出てきて詳細な学術調査の結果、大津京の宮殿跡という事が判明したとなっています。
大津京跡が長らく特定できなかったは、京阪電車坂本線の沿線は遺跡や古墳のメッカで、奈良と同じで掘れば何かしらが必ず出て来る土地柄なので、大津京と同年代の遺構や遺跡が出る度に「大津京跡、発見か」とニュースになった所為だろうと思います。事実、南滋賀にも南滋賀廃寺が、滋賀里には百穴古墳群や滋賀里遺跡に天智天皇后の倭姫の塚、穴太には高穴穂宮や穴太廃寺等、著名な発掘現場が連なっています。
少し話しが逸れますが、天智天皇を祀った神社に近江神宮がありますが、陵は京都市山科区にあります。書物では天智帝は病で亡くなったとされているのに、山科の天智陵の伝承では、狩りの途中で行方不明になり沓が落ちていた場所を陵と定めたとされていますが、変じゃないですかね、それって?詳細情報をみる
- 行った時期:2013年10月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2014年11月18日