安積親王陵墓
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陵墓としても、茶園を展望する場所としても良い場所です - 安積親王陵墓の口コミ
三重ツウ こぼらさん 男性/50代
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皇族の陵墓として、鳥居付の門扉が付いています。
by こぼらさん(2018年1月13日撮影)
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宮内庁が管理しています。
by こぼらさん(2018年1月13日撮影)
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茶園となっている丘陵地のてっぺんにあります。
by こぼらさん(2018年1月13日撮影)
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シルエットを見ると円墳のような塚ですね。
by こぼらさん(2018年1月13日撮影)
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陵墓からは、和束茶園が良く見渡せます。
by こぼらさん(2018年1月13日撮影)
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和束茶の守護神のようにも見えます。
by こぼらさん(2018年1月13日撮影)
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あの名高い聖武天皇の、お世継ぎであるべきだったのが安積親王です。聖武天皇は5人の子供をもうけましたが、うち皇子(男子)は二人で、安積親王は第2皇子です。第1皇子は早世したため、本来なら安積親王が皇太子だったはずです。
当時大いに権勢をふるっていた藤原氏の政治工作によって、異母姉の阿倍内親王(後の孝謙天皇)が皇太子となり、安積親王は17歳の若さで亡くなっています。藤原氏によって毒殺されたとの説もあります。
もし安積親王が天皇になっていたら天武系の血筋が続いて、天智系によって都が京都へ遷される事もなかった可能性があります。少なくとも、孝謙天皇を最後に天武系の血筋が絶えてしまう事はなかったのは確実です。そのように考えれば、歴史への影響力が大きかった親王だったと言えます。
聖武天皇に随行して恭仁宮と紫香楽宮とを行き来していた親王が、通り道だった和束の美しい景色を好んだため、ここに葬られたとされます。今の陵墓には、宮内庁が管理している旨の立て札があり、皇族の陵墓として鳥居付の門扉があります。陵墓入口までは、一面の茶畑となっている丘陵地の道を上ります。陵墓からは、整然と手入れされた茶園を見下ろすことができ、心地よいです。
- 行った時期:2018年1月13日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年1月14日
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- 行った時期:2018年1月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年9月5日
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茶畑にしかみえない
案内看板もかなり小さく質素なものがひっそりと道端に建てられているだけなので分かりにくいうえに周囲を茶畑が囲んでいるためよくわからない。
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- 行った時期:2018年4月
- 投稿日:2018年4月24日
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陵墓から見渡す茶畑は壮観
聖武天皇の第5皇子安積親王の陵墓です。周辺は茶畑で景色がよく、陵墓から見渡す茶畑は壮観でした。
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- 行った時期:2018年2月
- 投稿日:2018年3月9日