三木城跡
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歴史に残る戦国の戦い・三木合戦(三木の干し殺し)の城跡 - 三木城跡のクチコミ
若年寄さん 男性/60代
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本丸跡、天守台
by 若年寄さん(2014年11月8日撮影)
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別所長治石像
by 若年寄さん(2014年11月8日撮影)
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雲龍寺の長治夫妻首塚
by 若年寄さん(2014年11月8日撮影)
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織田信長は、天下統一に向け、中国地方の雄・毛利氏を打つため、羽柴秀吉を総大将として播磨に進攻。播磨の有力武将は、秀吉率いる織田軍に加勢することを一旦は約したが、後、別所長治を中心に反旗を翻し、三木合戦へと発展。
秀吉を大将とする織田軍に包囲された三木城は、食料が尽き餓えに苦しみ悲惨な状況に陥った。このため、城主長治は家臣と領民の命を救うため、一族とともに自刃し開城した。「三木の干し殺し」である。
かつては広大な城であったが、現在は本丸周辺だけが「上の丸公園」として残っている。天守台、本丸井戸が残り、三木合戦の絵図解説、秀吉軍の包囲陣形の解説などもあり、歴史ファンでなくても戦いの概要が理解できる。最近になって別所長治の石像も建立されている。
本丸まで車で行けるので、時間がなくても容易に立ち寄れる。また、近くにの雲龍寺には別所長治と照子夫人の首塚が残されているが、こちらも塚の正面が駐車場なので立ち寄りたい。
- 行った時期:2014年11月8日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2014年11月11日
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- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
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- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
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- 滞在時間:1時間未満
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辞世之碑「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」、
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- 行った時期:2014年1月19日
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