黒木御所跡
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順徳上皇 - 黒木御所跡のクチコミ
神社ツウ 越後さん 男性/40代
- カップル・夫婦
順徳上皇の御所があった場所です。今では何も無く、ただ草木が生い茂っているエリアでした。しみじみとした気持ちになりました。
- 行った時期:2018年8月
- 投稿日:2018年8月9日
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黒木御所跡の新着クチコミ
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大塔宮護良親王をかくまった竹原八郎の墓は明治の水害で流失
現地の案内板によりますと、元弘元年(1331年)、大塔宮護良親王が赤坂城を脱出し、高野山を経て十津川に逃れたとき、十津川の豪族竹原八郎が迎え入れ、仮の御所を建ててかくまったところと伝わる地とされています。黒木とは「皮を削っていない木材」のことで、「粗末な」「仮の」という意味が込められています。また、明治22年(1889年)8月に紀伊半島を襲った大水害によって、この地にあった竹原八郎の墓とされる五輪塔などが流失してしまったそうです。今は「黒木御所旧址」と「大塔宮御遺蹟」の碑が建つのみです。
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- 行った時期:2020年10月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2025年2月9日
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太平記のヒーロー・護良親王の居館跡
谷瀬の吊り橋を渡りきった対岸にあります。吊り橋の袂からは200mほど離れています。
後醍醐天皇の皇子・護良親王の居館があったとされる遺跡です。後醍醐天皇が元弘の乱に破れて隠岐に流されても屈せず、十津川・吉野・熊野を転々として倒幕の戦いを続けた護良親王のこと、居館とは言っても質素なものだったと思います。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年5月2日
- 投稿日:2019年5月17日
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小さな庭園といった感じ
黒木御所跡に行きました。小さな庭園といった感じです。奥に行くとあずまやもあります。訪れると順徳上皇に思いをはせることができました。
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- 行った時期:2018年6月
- 投稿日:2018年7月6日
すくさん