西南の役細島官軍墓地
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西南の役細島官軍墓地の口コミ一覧
1 - 9件 (全9件中)
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- 一人
細島集落の高台のところにありました。
西南戦争で政府軍側の戦死者の墓地です。
指揮官だった迫田少佐のお墓は立派な一方、兵卒のお墓はずらりと並んでおり、階級差を感じました。- 行った時期:2019年4月7日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年5月9日
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- カップル・夫婦
細島灯台に向かう途中に西南戦争の折に県内各地で戦死した官軍兵士の墓地で細島港の小高い丘の上にありました。市指定史跡になっています。- 行った時期:2016年9月
- 投稿日:2018年3月21日
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- カップル・夫婦
明治10年(1877)の西南戦争で宮崎県内各地で戦死した官軍兵士の墓地です。戦闘の厳しさをうかがい知ることができました。- 行った時期:2017年12月
- 投稿日:2018年2月16日
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- 一人
明治10年(1877)の西南戦争に従軍した迫田鉄五郎少佐以下319名の官軍兵士が葬られています。彼らは宮崎県内の各地で戦病死した者たちです。- 行った時期:2016年10月
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2018年2月11日
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自然ツウ 宇佐さん 女性/60代
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歴史ツウ 春日山さん 男性/40代
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- 家族
細島港を臨む小高い丘に迫田鐵五郎少佐以下の陸軍将兵、警視(徴募)隊員、軍夫等の墓が整備されています。
ドラマ“八重の桜”で有名になりましたが、会津藩家老の佐川官兵衛(阿蘇で戦死)等の藩士が警視(徴募)隊員として熊本、大分、宮崎と転戦し、多くの死傷者をだしました。
この細島にも、久留景助警部補以下16名の警視隊員(草野昌太郎、小橋橘三、豊川新吉、高木元利、橋本禜治、薄井常彌、松田吉五郎、相良善兵衛、高木猛、多々良裕、中條正養、林栄太郎、石川國太郎、金井重陽、神山官次郎)が葬られています。ちなみに元新選組の副長助勤の斎藤一(藤田五郎に改名)が警視徴募隊の警部補として奮戦し、この細島から無事に帰京しています。
なお、迫田少佐は薩摩藩士で、坂本龍馬から贈られた拳銃が近くの“細島みなと資料館”に展示されています。- 行った時期:2015年6月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:親・祖父母、配偶者
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2015年6月5日
この口コミは参考になりましたか?4はい