志布志城跡
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島津氏の拠点であった大規模な城郭 - 志布志城跡のクチコミ
アートツウ SAさん 男性/50代
- 一人
島津氏の本土防衛のための拠点であった大規模な城郭である。シラス台地を空堀などで区分けするというのが典型的な島津氏の築城パターンであり、この城も基本的にそのパターンを踏襲しているが、同時にこの城郭は地形を利用した険しい山城としての性質も持つ。かつては内城、松尾城、高城、新城の4つの城から構成されていたとのことだが、現在では高城と新城は宅地に埋もれて痕跡はとどめていない。内城が整備されて見学できるが、この内城だけでもかなりの規模であって大規模山城を散策することが出来る。
なお現地の観光整備は十分であるが、それでも山城である以上は足下が怪しい部分もあるので、シラス台地の性質上、特に雨天時には足下に要注意である。
- 行った時期:2014年2月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:2〜3時間
- 投稿日:2016年5月28日
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歩いて回るには…
続日本100名城に選ばれた、志布志城!
全貌はいくつかの山城を総じて志布志城と呼ばれていて、全部見て回るのは…スタンプは麓の埋蔵文化財センターにあります!詳細情報をみる
- 行った時期:2018年5月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年5月6日
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志布志城跡
志布志市街地を囲む全ての山が志布志城と言っても過言ではなく、志布志小学校の裏山の「内城」、その西側の山にある「松尾城」、志布志中学校前の「高城」と「新城」という4つの城を総称して志布志城と呼ばれていた。「内城」は南北600メートル東西300メートル、6つの廓からなり、その間は空堀で遮る構造となっている。1993年(平成5年)3月24日に内城(うちじょう)跡が鹿児島県指定史跡になり、さらに2005年(平成17年)7月14日に国の史跡に指定された。 志布志城主新納是久の娘島津常盤(梅窓院)がいる。
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- 行った時期:2015年12月
- 投稿日:2017年2月6日
タカさん
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一大拠点でした
日南線、大隈線、志布志線といった鉄道の一大拠点でした志布志。城下町だったのですね。鉄道だと駅周辺しかわからなかったので。
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- 行った時期:2016年12月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年1月13日
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中世の山城跡
室町・南北朝時代から戦国時代まで存在していた山城の跡。
最終的には島津氏が手にしたのですが、一国一城制度で取り壊しになりました。詳細情報をみる
- 行った時期:2015年11月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年7月1日