喜屋武岬
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素晴らしい! - 喜屋武岬のクチコミ
岩手ツウ やまさんさん 男性/50代
- 一人
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案内
by やまさんさん(2020年4月撮影)
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海を望む
by やまさんさん(2020年4月撮影)
いいね 0
沖縄本島の南端に近い。切り立った崖上に駐車券がある。展望は絶景。大戦の悲劇に想いをはせながら時間はゆっくり流れる。道中は離合厳しそう。
- 行った時期:2020年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2020年4月10日
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本島南端の大展望
前日に本島北端の辺戸岬を訪れていて、帰りのフライト時間に余裕があったので南端の地も眺める事に。断崖上の喜屋武岬からは海岸伝いに最南端の荒崎が眺められます。太平洋から東シナ海の水平線も見事です。展望台にはシンプルですが綺麗な平和の塔が建てられていて、美しい景色と沖縄戦の悲しい歴史に感慨深いものがありました。
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- 行った時期:2021年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2022年3月9日
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日差しの強さと二体の鎮魂の童像に思わず込み上げるものがありました。
背が高く伸びたサトウキビ畑の中、舗装された細い道路を対向車が来ませんようにと祈りながら行った先に喜屋武岬がありました。駐車場やトイレも用意されていて、数十メートルの断崖絶壁の真下に青い海が広がる様は絶景です。ちょっとした広場には蘊蓄が書かれた石碑とともに平和のモニュメントがありました。その先の海側にタオルのようなものを巻いた置き物が気になって回って見てみると、頭にタオルを巻いた2体の童像がありました。海に向かい目を閉じて穏やかに微笑むような表情を見た途端に、思わず目頭を抑えました。あの悲惨な地上戦からまだ100年も経っていないという事実に不思議な感覚を抱きつつ、敬虔な気持ちになり手を合わせていました。
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- 行った時期:2021年11月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年11月26日
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沖縄の最果て
相当な高さの断崖の上にあります。この地まで追いつめられた人々の絶望を思いやると、胸が痛みました。最果てというと北国のイメージですが、ここから海を見ていると、ここから海に身を投げた人々を思いやると、それは降り注ぐ太陽の明るさではなく、降りしきる雪に相通ずるものを感じました。
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- 行った時期:2021年4月24日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年4月28日
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沖縄島南端の絶景ポイントでもあり、沖縄戦で追い詰められた日本軍と住民の悲劇の場所、喜屋武岬
沖縄島南部をドライブするにあたり、南西部の南端に行ったことがなかったので、喜屋武岬に行ってみました。大きな道路から外れて小さな道を標識を頼りに辿り着きました。崖に打ち寄せる波と青い海で美しい絶景ポイントでありますが、沖縄島南端は、沖縄戦で日本軍と住民が最後に追い詰められた場所でもあります。平和祈念公園の資料館でみた崖に身を投げる人々の映像がありましたが、まさしく沖縄戦で多くの方が追いつめられる中で身を投げた悲劇の場所でもあります。
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- 行った時期:2020年10月18日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2020年11月3日
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沖縄島南端部にあり悲劇の史実があった場所です。
沖縄島南端部の喜屋武岬。平和之塔と展望スペースの東屋とトイレ、そして喜屋武岬灯台がある静かな観光地のようにしか見えない場所でした。しかし今から約70年前の沖縄戦末期には、圧倒的な火力兵力を持つ米軍の前に南部への撤退を余儀なくされた日本軍や戦闘協力していた沖縄で徴兵された防衛隊や学徒隊の隊員達が付近一帯のガマや壕に入ったものの、馬乗り攻撃をはじめとした掃討作戦により追い出され、逃げ場を失った多くの人々がこの喜屋武岬の海岸から身を投げて亡くなりました。
陸には米兵が、海には艦艇が隙間なく並んで逃げ場をなくし、絶望感から自らの命を絶たなければならなかった人々の心を知ることは今となっては不可能なことではあるものの、余裕というものはなかったに違いありません。海の色は艦艇で真っ黒だった…、もしくは投身した人々の血で真っ赤だったと表現されてはいるものの、そんなものはどちらでもよく、前にも進めない後ろにも戻れない状況の中で逃げることなど考えもできなかったでしょう。
現在では観光地として展望スペースの東屋とトイレ・駐車場が完備されており、さほど多くはない観光客を迎えています。夏の海は穏やかで綺麗ではあるものの少し海が荒れている時こそ往時を偲ぶことができるのではないかと思います。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年3月3日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年10月4日
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