白梅之塔
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白梅学徒隊は女学生の従軍補助看護婦 - 白梅之塔のクチコミ
愛知ツウ ホンコーンさん 男性/50代
- 友達同士
ひめゆりが有名ですが第一高等女学校在校生がひめゆり学徒隊という組織名、白梅学徒隊は第二第二高等女学校の組織名だそうで学校別に従軍看護が組織されたことをここで知りました。女生徒が注目されがちですが男子生徒も従軍していて未成年も巻き込み参加した総力戦であることがよくわかりました。持久戦が必要であった情勢だったことは理解できますが余りにも民間人の損害が多いのにびっくりしました。
- 行った時期:2016年2月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2016年7月23日
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本島南部は沖縄戦終盤の激戦地
八重瀬岳界隈は沖縄県終盤の激戦地。白梅の塔は当時の学徒従軍慰霊碑の一つ。近くには歩兵32連隊碑(山形県人の碑)、栄里の塔、バックナー中将の碑もあり感慨深い。本島南部はそこかしこに悲劇の地がある。沖縄戦の事実を理解するのであればそれぞれ立ち寄るべき場所と想う。
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- 行った時期:2020年8月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2020年8月10日
やまさんさん
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歴史を学ぶ
ひめゆりの塔は有名ですが、こちらも戦争の悲惨さ、平和の尊さを学べる場所となっています。もう二度と戦争は起きてほしくないですね。痛感します。
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- 行った時期:2017年5月
- 投稿日:2019年2月21日
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女学生の悲劇
沖縄戦でのひめゆり学徒隊の悲劇は有名ですが、沖縄県立第二高等女学校の女学生で作られた白梅学徒隊の悲劇も忘れてはいけません。白梅隊では20人以上が犠牲になり、戦争により女学生たちの未来を奪われました。こちらの塔のお参りもぜひ。
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- 行った時期:2018年7月
- 投稿日:2018年9月17日
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沖縄戦
ひめゆりの塔同様に、沖縄戦の悲劇に巻き込まれた女学生の塔。沖縄がたんなる観光地ではないと思い知らされる場所です。
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- 行った時期:2017年11月
- 投稿日:2018年2月13日
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最後の慰霊祭でした。
毎年6月23日の慰霊の日には、多くの慰霊碑に於いて慰霊祭が執り行われています。しかし史上稀にみる地上戦≠ナある沖縄戦を生き抜いた同級生やご遺族の高齢化が進み、近年多くの慰霊祭が自発的なもの≠ニして執り行われています。
その中で沖縄県立第二高等女学校生徒からなる白梅学徒隊≠フ慰霊祭は、数少ない同窓会主催の慰霊祭になっていました。同窓会長は中山きくさん、御年88歳。昨年も慰霊祭に参列させて頂き、その語り部として今後も長生きをして頂きたいという思いもあり、今年も訪れました。
慰霊祭は進んで行き、最後に同窓会長の挨拶の折に中山きくさんから重大な発表がありました。第71回白梅同窓会慰霊祭を以って同窓会主催の慰霊祭はやめるとのこと。今後は引き継ぎの意味も込めて、戦後世代の参加を募りありきたりではない∴ヤ霊祭を行いたいとのことでした。白梅同窓会と沖縄尚学高校は密接な交流があり、例年慰霊祭にも参加しておられます。戦場で斃れた同級生と同じ年頃の少年少女は言うまでもなく、広くオープンな慰霊祭にしていきたいとのことでした。
高齢化によって毎年の慰霊祭を行うことが厳しくなっていることは十分に理解はしていますが、自由参加ではなく敢えて不特定多数の希望者を募った上にそのアイデアも取り入れ、今までにない慰霊祭となって行くように考えておられることを聞き、他とは違う心意気みたいなものを感じました。
どんな風に変わるのかはわかりませんが、もし私如きのちっぽけな人間でも参加させて頂けるのであれば進んで協力させて頂きたいと改めて思います。
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- 行った時期:2017年6月23日
- 混雑具合:非常に混んでいた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2017年7月8日