真玉橋遺構
- ここに行く計画を立てよう
- クチコミを投稿する
- 写真を投稿する
- 行った
- 行きたい
- クリップ
-
- シェアする
- メールする
真玉橋遺構
所在地を確認する
説明書き
かつての橋の一部が保存されています
-
評価分布
真玉橋遺構について
豊見城市と那覇市の間を流れる国場川に架かる真玉橋は、1522年に首里城ならび軍事的要素である那覇港を防御する目的として、尚真王によって架けられた橋で、首里王府と島尻を結ぶ交通の要所でもありました。
1708年に木造から5連の石造りアーチ橋への架け替え工事が完了し、その後1837年に大改修工事があり、琉球王国消滅後も石橋は存在していました。
しかし、先の大戦中、日本軍が退却する際に橋の一部が破壊され、戦後は米軍による鉄橋架設工事により、残った石橋の部分も埋められてしまいました。
その後、1995年の試掘調査により、埋もれていた真玉橋の石橋遺構が確認され、翌年に行われた調査では当時を忍ばせる石畳やアーチ部分が豊見城市、那覇市の両市で発掘されました。
戦後、半世紀を過ぎて再び風格ある姿を現した「旧真玉橋」は、当時の石工技術の高さを改めて感じさせるものでした。
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。
所在地 | 〒901-0201 沖縄県豊見城市字真玉橋 MAP |
---|
真玉橋遺構のクチコミ
-
首里と南部を繋いでいた有名な橋の遺構
琉球王朝の中心部・首里と南部を結ぶ橋として1522年に木造橋が建設され、1708年には石造りのアーチ橋に生まれ変わった真玉橋。後に改築され、六連の美しいアーチを持つ石橋だったそうですが、沖縄戦で破壊されてしまいました。那覇市と豊見城市にまたがる現在の橋の建設工事の時に、かつての遺構が発見され、橋のたもとに保存されています。
詳細情報をみる
- 行った時期:2017年10月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年10月17日
このクチコミは参考になりましたか? 0
-
見学
ゆっくりと沖縄を観光してまわってきました。近くまできたので立ち寄ってみました。不思議な空間でした。またの機会に訪れます。
詳細情報をみる
- 行った時期:2016年11月
- 投稿日:2017年1月30日
このクチコミは参考になりましたか? 0
真玉橋遺構の基本情報
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。
名称 | 真玉橋遺構(マダンバシイコウ) |
---|---|
所在地 |
〒901-0201 沖縄県豊見城市字真玉橋
|
お問い合わせ |
じゃらん旅行ガイドを見たと伝えるとスムーズです。 098-850-3671 |
ホームページ | http://www.city.tomigusuku.okinawa.jp/tourism_culture/146/564 |
最近の編集者 |
|
真玉橋遺構に関するよくある質問
-
- 真玉橋遺構周辺のおすすめ観光スポットは?
-
- 漫湖 - 約1.1km (徒歩約14分)
- ハーリー発祥の地
- itosina-イトシナ- - 約5.8km
- 瀬長島ウミカジテラス - 約5.5km
真玉橋遺構の訪問者傾向
みんなが行った時期
-
1月
-
2月
-
3月
-
4月
-
5月
-
6月
-
7月
-
8月
-
9月
-
10月
-
11月
-
12月
訪問者の特徴
- 滞在時間
-
- 1時間未満 100%
- 1〜2時間 0%
- 2〜3時間 0%
- 3時間以上 0%
- 混雑状況
-
- 空いている 100%
- やや空き 0%
- 普通 0%
- やや混雑 0%
- 混雑 0%
- 年齢層
-
- 10代 0%
- 20代 0%
- 30代 33%
- 40代 67%
- 50代以上 0%
- 男女比
-
- 男性が多い 100%
- やや男性多 0%
- 約半数 0%
- やや女性多 0%
- 女性が多い 0%
- 訪問人数
-
- 1人 100%
- 2人 0%
- 3〜5人 0%
- 6〜9人 0%
- 10人以上 0%
- 子供の年齢
-
- 0〜1歳 0%
- 2〜3歳 0%
- 4〜6歳 0%
- 7〜12歳 0%
- 13歳以上 0%