周方神社
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諏訪社ではない周芳(すは)の神 - 周方神社のクチコミ
神社ツウ 三文詩人さん 男性/50代
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周方神社一の鳥居
by 三文詩人さん(2016年10月2日撮影)
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ここまで社叢が迫る
by 三文詩人さん(2016年10月2日撮影)
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周方神社二の鳥居
by 三文詩人さん(2016年10月2日撮影)
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右座に恵比須社。
by 三文詩人さん(2016年10月2日撮影)
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左座に亀山神社。御祭神不明。
by 三文詩人さん(2016年10月2日撮影)
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周方神社は「すわじんじゃ」と読み、建御名方命(たけみなかたのみこと)・大物主神・八千矛神を祀る。
建御名方命は、古事記に拠ると出雲の神にして大國主神の子であり、國譲りを迫る天尾羽張神・建御雷神に破れ、科野國(しなののくに)の州羽海(すはのうみ)に逃れた。今の諏訪明神となる。日本書紀には現れない。
また古事記では、大物主と八千矛ともに大國主の別名とするのに対し、ここでは別の神として遇する。
国道315号線より東に入った山中に坐す。鬱蒼たる社叢は天然記念物。ほぼ正午に着いたのに空は暗く、不機嫌そう。國譲りを強いられた出雲の神にしてみれば、天孫の地から来た男など歓迎できないか。
古事記では、出雲國伊那佐の小濱で、建御名方命は建御雷神と遭遇する。これが島根県の稲佐の浜なら、わざわざ山陽から山陰に移動して交戦し、敗北して信濃へ逃げるのに、また山陽へ戻ったことになり、些か無理がある。大國主の実子ではなく、同盟国の主ではなかったか。
御神名も異様で「建」「御名」「方」と尊称ばかり並び、名は不明。タケミナカタの発音から水潟(ミナカタ)または宗像(ムナカタ)の神に通じるとの説もあるけれど、宗像の地に建御名方神は祀らない。
山の神のように見える一方、地図を見ると山向こうに錦川があり、周芳(すは)の水神であろう。下関市の住吉神社や防府市の佐波神社にもこれを祀り、古くは周防灘を治めたようで、西から東へ追われたと言われれば、それらしく見える。神武東征の経路と重なるようでもある。
式内社「二俣神社」論社の一。社伝に拠ると。
周方社は出雲国より建御名方命の霊を分かち、当村字下莇に是を祀り、のち同村字長田に、更に現社地に遷し奉る。
二俣神社は雄略天皇8(464)年、大物主命・八千矛神の長田に坐せるも、狭小なるにより、宮原の亀山へ遷る。更に元禄2(1689)年、周方神社に合祀。
というのだが、建御名方神は出雲大社に祀らず、出雲國風土記にも見えず、出雲出身ではないとされる。また勧請した神ならば社名を記すのが普通で、「出雲國から見えました」というのは「消防署の方から来ました」並みに怪しい。
式内社「二俣神社」は大物主命・八千矛神の社を指し、周方社は対象外のようだ。
- 行った時期:2016年10月2日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年12月27日
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