御勢大霊石神社
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立派な神社 - 御勢大霊石神社のクチコミ
福岡ツウ あんちゃんさん 男性/60代
- 家族
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橋と鳥居と桜
by あんちゃんさん(2019年4月撮影)
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小さいですが、アーチ状の橋もあって池もあって立派な神社でした。桜も咲いていましたし、庭園のようになっていてキレイでした。
- 行った時期:2019年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2019年4月15日
- このクチコミは参考になりましたか?0はい
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立派でした
大保駅から歩いて行けます。住宅街にありますが、塀に囲まれていなくてオープンな感じで立派な境内が見えます。桜もキレイでした。
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- 行った時期:2019年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2019年4月18日
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桜がキレイ
近くの森山酒造の蔵開きに行った帰りに寄りました。小さな神社ですが桜がキレイに咲いていて、ライトアップもされるみたいです。
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- 行った時期:2019年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2019年4月10日
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イオンから
大保駅からもほどなく、イオンから徒歩で行ける距離にあります。小さな池が可愛らしいですね。お参りして帰りました。
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- 行った時期:2014年9月
- 投稿日:2017年9月9日
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記紀には無い、仲哀天皇の殯をしたという式内社
小郡市大保、西鉄大保駅東に鎮座。筑後國御原郡の式内社「御勢大靈石神社」に比定される古社。筑紫神社から七夕神社へ向かう途中にあった。実は新しい道路が参道を横切っており、一の鳥居は道路を渡った先にある。どうやら元は、集落の奥に位置したようだ。
足仲彦大神(たらしなかつひこ、仲哀天皇)を祀る。天照大神、八幡大神、吉富大神、春日大神を配す。
「御勢」は「背の君」に同じく、婦人が夫を慕う呼び方で、神功皇后が仲哀天皇を愛惜する意味。御霊石は社殿前の御神木「子孫繁栄御神木」根本に抱かれている。
更に、別の場所にあったらしき「御勢大霊石大神荒御魂」を、境内社「成末神社」に祀る。これも岩体で、磐座信仰を思わせる。
社伝に曰く。昔、仲哀天皇この地に陣を張り、熊襲を親征し給ふに、敵矢に中り崩御。皇后、 石を以て御形代とし、これを奉し三韓を征し給ふ。後に大保郷に祭り給ひ、御勢大靈石と崇めらる。
仲哀紀に曰く。…一に云う、「天皇、熊襲を親伐せらるるに、賊の矢に中りて崩る也。」…
神功皇后が石を抱いて行ったという話は他にもあるものの、それが夫君の身代りであったとするのは、当社独自のようだ。胎児を鎮懐石で抑えて出産を引き延ばしたというよりは、話として無理がない。と思うが、記紀にも風土記にも記されていない。
地名「大保」は太宰府・大分と合わせて九州王朝説のネタになる。古代中国に於ける官制「三公」は、周にあっては太師・太傳・太保であったが、晋が「師」の字を忌避して「太師」を「太宰」に置き換えて以降は、太宰・太傳・太保が三公となり、それらしき地名が福岡県中部に集まる。太保は、幼少の君主を教育し輔佐する役目。
宋書倭國伝に見える倭王武の上表文に「竊(ひそか)に自ら開府儀同三司を仮し、其の余も咸(みな)仮授して、以て忠節を励む」とあるのを合わせ、三公(三司)が倭に在ったとし、この地が倭國の中枢であったと考える。
お伽噺の類に聞こえるけれど、九州最大の河川である筑後川の河口なら、古代王国の一つや二つは有って当然。
但し地名以外のネタが無い。倭王武は雄略天皇と推定され、仲哀天皇とは時代が違う。
境内社も多く、当地の産土神として機能してきたようだ。但し、度々戦火に焼かれ、社殿神宝を喪失したという。残念ながら、創建時の遺産など失われたと見るしかあるまい。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年2月4日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年2月4日
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三文詩人さん