荒穂神社
- エリア
- ジャンル
-
- ここに行く計画を立てよう
- クチコミを投稿する
- 写真を投稿する
- 行った
- 行きたい
- クリップ
-
- シェアする
- メールする
田舎の風景の中 - 荒穂神社のクチコミ
佐賀ツウ tomikei6さん 女性/70代
- カップル・夫婦
田舎の風景の中に溶け込んでいるような小さい神社でした。樹齢400年の楠木もあり歴史があるんだなと思いました。
- 行った時期:2016年8月
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年10月14日
- このクチコミは参考になりましたか?2はい
tomikei6さんの他のクチコミ
-
諏訪池キャンプ場
長崎県雲仙市/キャンプ・バンガロー・コテージ
自然が多く湖の周りにを散策できて楽しめました。キャンプ場でアウトドアを楽しむことも出来て人...
-
猿葉山自然公園
長崎県雲仙市/公園・庭園
橘湾に向かってパラグライダーが飛んでいるそうですが、見れませんでした。オーシャンビューのポ...
-
時鐘楼
長崎県島原市/その他名所
復元されているそうですが、今も時を知らせているそうです。整備された場所に建ててあり気持ち良...
-
琴平神社の桜 ツツジ
長崎県雲仙市/動物園・植物園
こじんまりとした神社で歴史がありそうでした。桜やツツジの木があり、お花見シーズンに刃人気が...
荒穂神社の新着クチコミ
-
木の神、基肄(きい)の神、有功の神
荒穂大明神、乃ち基山の神にして、古は山頂に坐す。今は山麓社殿に祀りつつ、猶も山頂にタマタマ石在り、基肄城(きいじょう)跡地あり。
拝殿右に伝説の石。右に子宝石、中に手形の石、左に神馬の蹄の石。荒穂の神、高良の神と石の投げ合いし給いし折、その手の跡がついたものと伝わる。
瓊々杵尊・五十猛命を祀る。鴨大神・八幡大神・宝満大神・春日大明神・住吉大明神を配祀。
孝徳天皇の 御代(645〜654)基肄国造物部金連の 後裔、金村臣が創建。肥前國基肄郡の式内社「荒穂神社」に比定される古社。
神代紀が一書に曰く。…初め、五十猛神が天降れる時、多に樹の種をもたらし下さんとす。然し韓の地には殖ゑず、盡くを持ち歸る。遂に筑紫より始めて凡そ大八洲國の内、播かぬは莫きまで殖ゑて青山と成したまふ。この所を以て五十猛命を稱し、有功の神と爲す。即ち紀伊國所に坐す大神是なり。…
是に因んで五十猛命を称え、「日本植林発祥之地」とする。
「紀伊國」と記すのも、元は「基肄(きい)」か「木國(きのくに)」だったのではないか。「木國の大屋毘古神(おおやびこのかみ)」の許に大穴牟遲神(おおなむちのかみ、=大国主)が身を寄せ、また八十神に追われた時に木の俣から逃がしたと古事記にあるのは、五十猛のこととされる。
伝説に曰く。昔、木の山の東に荒神在りき。往き来る人の半ば生き、半ば死す。五十猛命これを滅すと。
同様の物語が、筑紫神社や七夕神社に伝わるのは、元ネタが共通なのだろう。あちらは福岡県、こちらは佐賀県だが、地理的には近所にある。
基山は古代山城がある。天智紀に曰く。…四年…秋八月、…達率憶禮福留・達率四比福夫を遣わし、筑紫國に大野及び椽(き)の二城を築かしむ。…
白村江の戦に敗れた天智天皇は敵の侵攻に備え、筑紫國に防衛線を敷いた。福岡県内に多数存在する古代山城のうち、日本書紀に記すのは水城以外に二城のみ。基肄城はその一つで、古代の要衝であった。
その要衝に祀る五十猛命が、植林だけしていた筈もなく、武勇の神でもあったろう。その名からして、そんな感じ。しかし武勇については伝えられていないので、今後の課題である。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年2月4日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年4月7日
他1枚の写真をみる
三文詩人さん