杉本寺 五輪塔群
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ひっそり感がありました - 杉本寺 五輪塔群の口コミ
東京ツウ とものり1さん 男性/40代
- 一人
この場所におきましてはどちらかといえばとってもひっそり感のあるような場所でした。
いろいろなお地蔵様がこの場所にありました。
- 行った時期:2018年6月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年1月17日
- この口コミは参考になりましたか?1はい
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つわものどもが夢の跡
かつて杉本寺の裏山には、杉本城という山城があり、境内に残された五輪塔群は、南北朝争乱の時代、この城で討死した将兵を供養するための石塔だそうです。杉本城の築城は平安時代末期の12世紀中頃、三浦半島一帯に勢力を有した三浦義明の嫡男・義宗が六浦路(むつらみち、現在の金沢街道)を押さえる要衝であった鎌倉郡杉本郷に進出して築いたのが杉本城です。鎌倉時代末期には、搦め手が瑞泉寺まで達していたといわれ、鎌倉の重要な城郭として機能していたようです。
1333年の鎌倉幕府滅亡後、建武政権が短期間で崩壊して南北朝時代に移行すると、南朝方の北畠顕家が率いる大軍が奥州から南下し、関東各地で北朝方を破って鎌倉に迫ると、北朝方の足利尊氏の嫡男・義詮を補佐する斯波家長が必死の抵抗を見せます。しかし、片瀬、七里ガ浜、由比ガ浜と次々に破られ、義詮を鎌倉脱出させると最後に杉本城で防戦しましたが、300人の城兵ことごとく討ち死にして家長は自害、杉本城は落城の憂き目にあったそうです。斯波家長は室町幕府奥州総大将、関東執事の住職にありましたが、この時わずか17歳、一方、鎮守府大将軍の職にあった北畠顕家も19歳だったといいますから驚きです。1991年に放映されたNHK大河ドラマ『太平記』で、当時17歳だった女優・後藤久美子さんが演じた北畠顕家の甲冑姿を思い出す人もいるでしょう。今、目の前に多くの五輪塔が並ぶ光景を見て、これらの若者が何を思って死んでいったのか、やりきれない思いがします。なお、勝利した北畠顕家も翌1338年、和泉国の堺浦で討死したといいますから、なんとも言えません。
その後、杉本城は歴史に登場することなく、本堂裏に城址が残るといいますが、私有地のため立ち入ることはできません。詳細情報をみる
- 行った時期:2022年5月23日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2024年1月16日
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夥しい数の石塔
杉本寺の本堂のある境内はそれ程広くありませんが静かで清々しい空気に満ち溢れています。本堂右手に夥しい数の五輪塔群があり目を引きます。南北朝時代の戦で敗れた足利方の戦死者を供養する為に造られた石塔で見応えがあります。地元の女性の方が丁寧に細かな雑草をとられておりました。歴史的遺産を拝見できるのもこした普段の努力のおかげと思い有難く感じました。五輪塔群のすぐ脇には風格ある鐘楼があり風情を添えていました。
詳細情報をみる
- 行った時期:2018年10月2日
- 混雑具合:普通
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年1月27日