鳥越(山形県)の文化史跡・遺跡
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その他エリアの文化史跡・遺跡スポット
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※掲載されている目安距離は役所・役場からの距離になります。
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文化史跡・遺跡
鮭延城は山形県最北の町、真室川町の鮭川河畔に築かれ、いま城址碑が立つ。戦国の世、城主に鮭延秀綱という知将がいて、山形城主最上義光と激闘して降るが、義光にその器量を見込まれ...
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文化史跡・遺跡
最上峡芭蕉ライン観光船番所敷地内にあります。句碑の文字は達筆だったり石碑が風化してたりで読みにくいこ...by キムタカさん
明治36年俳聖芭蕉の後をたずねて最上川を下った正岡子規の句碑がある。子規は、古口に当時あった宿具足屋に泊まった。“初秋に大事がらるる宿り哉”(子規)。「朝霧や船頭うたふ最...
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文化史跡・遺跡
円称寺から山に向かって数十メートル登っていくと右手にあります。戊辰戦争時の東北地方は奥羽越列藩同盟を...by キムタカさん
明治元年戊辰の戦で討死した仙台藩士のため金山町の有士が北白川宮殿下より書をいただき建立したもので、三本松はその守備隊の隊長梁州播摩が討死した場所である。
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文化史跡・遺跡
奥の細道の旅を続けた芭蕉が元禄2年この地に杖を休め“さみだれを……”の一句と「わりなき」の一巻を残した。俳人土屋只狂が明和年間に建設。高さ1.20m、巾0.64m、碑文 ...
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文化史跡・遺跡
尾花沢市の山刀伐峠山頂にある芭蕉の顕彰碑です。芭蕉が通過したころは相当の難所で、昼間でも夜行くようだ...by まめちゃんさん
おくのほそ道の難所山刀伐峠の頂点にある芭蕉顕彰碑。現在は歴史の道として整備されている。
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文化史跡・遺跡
小国領主細川氏が最上義光の大軍を迎えうった古戦場。 万騎の原は、明神の南続きで明神原と呼ばれている台地であるが、天正8年(1580)に山形最上家が山刀伐峠を越えて、小国細川家...
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文化史跡・遺跡
碑文「最上川の上空にして…」、その他町内に石碑が複数あります。碑文「螢火を一つ見い出て…」(大石田町大字大石田聴禽書屋庭内)、碑文「高原の沼に…」(大石田町大字田沢)、碑...
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文化史跡・遺跡
清川関所跡の横には、かの有名な芭蕉の句「五月雨を集めて早し最上川」の句碑が。芭蕉は奥の細道の道中、新...by トシローさん
芭蕉翁が下船した地に句碑がある。「五月雨を集めてはやし最上川」
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文化史跡・遺跡
山形県遊佐町に位置しています。三崎山において政府軍と庄内藩との激戦に討死した者の碑です。歩きやすい靴...by いわとびちゃんさん
戊辰の役において清川口での激戦で討死した官軍兵士の墓碑。
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文化史跡・遺跡
清川の里は幕末の志士・清河八郎の出身地、御諸皇子神社の隣の歓喜寺には墓が妻と並んで建てられていました...by トシローさん
18歳で江戸に亡命、学術を東条一堂、剣術を千葉周作に学び、北辰一刀流の免許皆伝。34歳で尊皇討幕による国家革新に燃えた明治維新の大先覚志士。妻於連の墓も一緒。
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文化史跡・遺跡
尾花沢市の延沢龍護寺にある延沢城主:二代野辺沢遠江守・三代能登守の墓所です。銀山開発を推し進めたこと...by まめちゃんさん
銀山開発を積極的に進めた延沢城将である野辺沢遠江守及び能登守の墓。