岩本町(東京都)の文化史跡・遺跡
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1 お玉ケ池跡
文化史跡・遺跡
江戸時代にあった大きな池で、当時は別の名で呼ばれていたのが、池のほとりの茶店のお玉さんという女性が池...by くまらさん
もと奥州街道沿いにあった池で,池の名は美女お玉の入水伝説にちなむ。幕末の剣豪千葉周作の道場があったことで知られ,1856(安政3)年蘭方医伊東玄朴が種痘所を設けた地でもある。
その他エリアの文化史跡・遺跡スポット
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※掲載されている目安距離は役所・役場からの距離になります。
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文化史跡・遺跡
縄文時代の海の位置を彷彿とさせる遺跡です。 地下鉄の工事では縄文時代の遺物が沢山発見されたようですね...by さとけんさん
昭和27年(1952)、地下鉄丸ノ内線御茶ノ水駅の工事の際に貝塚が発見され、調査が行われた。 ハマグリなどの貝類のほか、獣骨の破片や人骨、石斧、槌石、縄文式土器が出土した。 本...
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文化史跡・遺跡
四ツ谷駅付近には桜並木が多くあります。 JR中央線からよく見える土手沿いの桜並木を散策してきました。 ...by ひーちゃんさん
飯田橋(牛込見附)から四ツ谷見附間に残る。
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文化史跡・遺跡
櫻木神社から国道254号線を渡って2分ほどで到着します。 石川啄木が住んでいた場所です。 石川啄木の最も...by さとけんさん
明治の歌人・詩人・評論家、石川啄木(1886〜1912)の旧居跡。 蓋平館の住まいから朝日新聞社の校正係の職を得て新築間もない理髪店、 喜之床の2階を借りて家族そろっての生活であ...
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文化史跡・遺跡
都営地下鉄大江戸線の本郷三丁目駅からすぐ、交差点の角にある江戸時代の雑貨店。 歯磨き粉「乳香散」を売...by あいちゃんさん
享保年間(1716〜1736)に、現在の本郷3丁目の交差点角に、 兼康祐悦という歯科医が乳香散という歯磨き粉を売り出した。 これが当たり店が繁盛していたという。 享保15年(1730)に...
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文化史跡・遺跡
文京ふるさと歴史館からわずかに100mほど北へ歩いたところに下り階段があって、 その左側のマンションの...by さとけんさん
小説家・評論家・劇作家・英文学者・教育者として幅広く活躍した坪内逍遥(1859〜1935)の旧居跡。 『小説神髄』をここで著し、文壇に写実主義を主張した。 また、『当世書生気質』...
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文化史跡・遺跡
- 王道
有名なホテルだったそうですが、そんな伝統的な跡地が残されているのは素晴らしいですね。歴史を感じました...by マリリンさん
菊富士ホテルは、明治29年より下宿・菊富士楼を経営していた岐阜県大垣出身の羽根田幸之助・菊江夫妻が、大正3年、菊富士楼隣地に開業したものです。建物は戦災を受け焼失、跡地には...
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文化史跡・遺跡
五代将軍綱吉が、京都の雛人形師10人を招き、ここにお長屋10軒を与えた。3月、5月には節句人形が軒なみ飾られ、「十軒が十軒ながら公卿の宿」とうたわれたことから、この名がついたと...
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文化史跡・遺跡
早朝、自宅から散策しながら湯島の文京区教育センター2階、大学連携事業の政治家鳩山邦夫蝶類コレクション...by サンプルさん
徳川三代将軍家光の乳母であった春日局の墓。家光成人後は大奥に権勢を振う。原則非公開。
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文化史跡・遺跡
石標と案内板のある観光スポットです。橋の入口の脇に隠れているように建っているため、地図などで確認して...by やまさん
江戸時代に迷子を出すと探すのは難しく、親子が一生離れてしまうことも少なくなかった。そこで情報を集める掲示板のようなものが必要とされ、日本橋西河岸町の町人たちが資金を出し合...
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文化史跡・遺跡
- 王道
これまでニュース映像でしか見たことのない赤門、東京大学を目の当たりにしました。感慨深いものがありまし...by ソフトな乗り鉄たか 57歳さん
徳川家斉の娘が前田家に嫁いだ時にたてた。通称“赤門”。
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文化史跡・遺跡
伝通院から歩いて5分のところにある永井荷風の生誕の地です。 永井荷風はエリート官僚家のお坊ちゃんとし...by さとけんさん
小説家・評論家として知られる永井荷風(1879〜1959)の旧居跡。 この地に生まれた荷風は、後に『狐』『日和下駄』などの作品で当時のことを著している。 欧米から帰国した後には、...
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文化史跡・遺跡
学問の神様として有名な湯島天神の中にあります。少しわかりやすい場所ですが、大きな石碑です。割と新しい...by イオンさん
東京都文京区の湯島天満宮の境内に在る都々逸発展祈願の石碑
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文化史跡・遺跡
静かな住宅街にしっかりと当時の姿のままの建物が残されています。この周囲には様々な文人の旧居跡がありま...by はるるんさん
自然主義文学の巨匠、徳田秋声(1871〜1943)の旧居跡。 金沢から上京後、現在の文京区内で居を代えたが、明治39年から没するまでこの地に住んだ。 『新所帯』『黴』『あらくれ』な...
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文化史跡・遺跡
- カップル
久々に日本橋界隈を散策。 これまで訪問したことのないスポットをメインで観光してきました。 「於竹大日...by あいちゃんさん
大伝馬町の佐久間家(一説には馬込家)の下女お竹は、日頃より慈悲心が深かった。ある日通りがかった行者から大日如来の化身であると告げられた。この話が市中に広がり、多くの人がお...
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文化史跡・遺跡
2022年7月24日文京朝顔ほおずき市の会場の1つ傳通院に立ち寄りました。寺院公式サイトに徳川千姫の...by サンプルさん
徳川二代将軍秀忠の長女。豊臣秀頼に嫁入し,大坂夏の陣で救い出された。
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文化史跡・遺跡
徳川家康公の実母です。 1528年生まれの於大の方は1543年に家康を出産していますので15歳ほどで母となり、...by さとけんさん
江戸徳川家の始祖家康の生母。京都見物中亡くなった。家康が遺体を江戸に運ばせ小石川の地で荼毘に付した。伝通院は、於大の法名「伝通院殿」による。
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文化史跡・遺跡
求道会館から西へ歩いて10分ほど、白山通り沿いに樋口一葉終焉の地があります。 1894年にこの地に移り1896...by さとけんさん
父を亡くした一葉は,母妹とともに本郷菊坂町・下谷竜泉寺町・この地西片(旧丸山福山町)のうなぎ屋守喜の離れへと転居した。生活貧窮の中にあって執筆しつづけ,2年後,結核のため2...
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文化史跡・遺跡
牢屋跡としては石垣が積んである程度ですが、歴史を感じさせてくれます。今は公園となっているため、足は運...by やまさん
伝馬町牢屋敷は慶長18年(1613)に常盤橋外より小伝馬町へ移転されたもので、明治8年(1875)に市ヶ谷因獄へ移転までの江戸の牢獄でした。面積は2600余坪。揚座敷、揚屋、大牢(庶民...
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文化史跡・遺跡
公園の中にある鐘。一見すると遊具と間違えてしまう感じです。牢屋敷跡の近くのため、そちらと一緒に足を運...by やまさん
江戸城下の人々に時刻を報せていた鐘。二代将軍徳川秀忠の時代に設置されたといわれている。 鐘の設置されている十思公園内には、ほかにも吉田松陰終焉の地碑など数多くの史跡があり...
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文化史跡・遺跡
東京メトロ丸ノ内線・茗荷谷駅から南東に800mほど離れたところ、 ここは地下鉄の丸ノ内線が地上に露出し...by さとけんさん
徳川幕府最後の将軍 徳川慶喜(1837〜1913)は、水戸徳川藩主斉昭(なりあき)の七男として、小石川の上屋敷(現在の小石川後楽園一帯)で生まれた。 一橋家の家督を継ぎ、慶応2年(...
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文化史跡・遺跡
それこそビルの中というほどビル間に設置されていますので、かなり気をつけないと見落とします。そのため何...by やまさん
オランダ東印度会社の航海士、英国人ウィリアム・アダムスは慶長5年(1600)暴風の為、豊後国(現在の大分県)に漂着した。のちに徳川家康に招かれて外交顧問に就き、日英貿易の発展...
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文化史跡・遺跡
澤蔵司稲荷から歩いて4分ほどで井上公園に到着しました。 明治時代の哲学者・詩人で東京大学の教授を務...by さとけんさん
哲学者・詩人として知られる井上哲次郎(1855〜1944)の旧居跡。 ドイツ留学から帰国後、東京大学教授となり、それまでの英仏系哲学に対し、新たにドイツ系哲学を唱えた。 新体詩運...
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文化史跡・遺跡
久々に日本橋界隈を散策したので、「コレド日本橋」へも訪問。 建物の裏手でこちらの「名水白木屋の井戸」...by あいちゃんさん
江戸時代将軍家や諸大名に献上するほどの清水が湧き出た。その後名水は消失したが、東京都指定文化財(旧跡)として、COREDO日本橋アネックス広場に石碑が立っています。
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文化史跡・遺跡
1869年に亡くなった美幾(みき)さんは、医学の発展のために、 自らの意思で自分の遺体を解剖に提供した日本...by さとけんさん
美幾女は、駒込追分の彦四郎の娘で、10歳で本郷の旧家に奉公していたが 父のけがで遊女になったといわれている。 彼女は病死を予期し、自らの意志で死後解剖のために提供する特志解...
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岩本町の旅行記
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東京を歩いてきました。両国駅を出発地点として、浅草橋、日本橋、京橋、銀座、築地と歩き、浜離宮恩賜...
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