散田(石川県)の文化史跡・遺跡
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1 散田金谷古墳
文化史跡・遺跡
散田金谷古墳を見に行きました。見ごたえがあります。車椅子でも行けますが、アップダウンあるので、ちょっ...by まつりさん
6世紀ごろのものと推定されており,全長9.85mの横穴式石室から安置されている石室は千木をのせた屋根形の蓋をかぶせた特異な形能を持ち,全国的にも重要な遺跡となっている。国の史跡...
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その他エリアの文化史跡・遺跡スポット
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※掲載されている目安距離は役所・役場からの距離になります。
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文化史跡・遺跡
車の修理の前によって見ました。今は殺風景ですが、積雪があると子供達がスキーをしたり、春になれば花見を...by カズユキさん
砂丘の斜面を自然の桟敷として利用した相撲場。羽咋神社祭神の追善相撲場。相撲資料館併設。毎年9月25日には2000年の歴史をもつ神事相撲がおこなわれる。
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文化史跡・遺跡
千里浜の砂丘上に立つ。大伴家持が746年(天平18年)に越中守に任ぜられ能登を視察のとき、気多大社参拝のみちすがら詠んだ歌、“之乎路から直越え来れば羽咋の海 朝凪ぎしたり船...
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文化史跡・遺跡
折口信夫父子墓碑に行きました。自ら墓碑を選定されて、昭和24年に春洋の生家藤井家の墓地に建てたものだそ...by まつりさん
折口信夫が折口春洋の死を嘆き、自ら墓碑を選定、昭和24年に春洋の生家藤井家の墓地に建てたものです。
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文化史跡・遺跡
折口信夫父子の歌碑を見に行きました。国文学者、民俗学者あるいは歌人として知られた折口信夫博士の歌はす...by まつりさん
独自の民俗学を打ち立てた折口信夫博士は、歌人釈迢空としても有名。 独身の博士は、門弟で羽咋出身の藤井春洋を養子に迎えましたが、春洋は硫黄島で戦死。今は、羽咋市一ノ宮...
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文化史跡・遺跡
峨山禅師生誕地に行きました。峨山禅師は永光寺の南の山岳地帯の宝達山の南麓の羽咋郡瓜生田で生まれたそう...by まつりさん
北陸の曹洞宗の中心人物となった名僧、峨山禅師の生誕地。総持寺、永光寺の住職を兼任すると、永光寺の朝の勤行を済ませ、そのままおよそ60kmの道のりを歩いて総持寺の夕べの勤行に間...
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文化史跡・遺跡
新王塚古墳は豊かな自然の中にあるとても大きな古墳です。1500年以上前に作られたものだと考えると興味...by aya10さん
崇神天皇の皇子、大入杵命(おおいりきみのみこと)の陵墓といわれ、周囲に濠をめぐらし、頂径20メートル、底辺67メートル、高さ14.5メートルと北陸随一の大きなものです。
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文化史跡・遺跡
亀塚古墳は全長61m、幅41mのとても大きな古墳です。調査の結果天皇が埋葬されている可能性があること...by aya10さん
親王塚古墳のすぐ脇に位置(旧街道の道路を挟んで反対側に位置)し、同じ畿内型。全長61mの前方後方墳です。親王塚とともに陵墓不属地に指定され、宮内庁が管理しています。
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文化史跡・遺跡
弥生時代の終末期の高地性集落の杉谷チャノバタケ遺跡の竪穴住居跡から、オニギリ状の炭化米(チマキ状炭化米塊)が出土されたことで知られています。6月18日(旧鹿西町のロクと毎食1...
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文化史跡・遺跡
道閑塚及び刑場跡は自然豊かで静かなところにあります。刑場跡はほかの観光スポットと違い独特の雰囲気があ...by aya10さん
園田道閑の処刑された所。現在公園になっている。
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文化史跡・遺跡
氷見地区で最大の山城の跡で、広い。石垣、土塁などが残っています。現在は公園となっていて、歴史に思いを...by erikoさん
中世の史料に「湯山」として登場する市内最大規模の山城です。16世紀初め頃、能登畠山氏の支城として築かれ、その後上杉謙信・佐々成政が利用しました。城中心部には河原石を用いた...
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文化史跡・遺跡
加納横穴群は富山県内で最大級の横穴墓群です。全部で88基あるそうなのですがその風景はとても不思議な感...by twill10さん
古墳時代の終わり頃、丘陵斜面に穴を掘って造られたのが横穴墓と呼ばれる有力者層のお墓です。氷見では多数の横穴墓群が見つかっていますが、なかでも全88基という数を誇る加納横穴群...
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文化史跡・遺跡
日本海側の代表的な貝塚のひとつ。大正7年(1918)に発見され、その後たびたび発掘調査が行われています。縄文時代前期と中期を主体とし、貝層からはハマグリ、アサリなどのほか、イ...
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文化史跡・遺跡
氷見市の富山湾に面した高台に戦国時代末期に築城された阿尾城の城跡です。富山湾の眺めがとてもよく、しば...by たびたびさん
阿尾城跡は市街地北側、富山湾に面した丘陵上に築かれた戦国時代の城跡です。越中と能登をつなぐ海沿いや山越えの街道をおさえるとともに、海上の交通も把握できる重要なポイントでし...
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文化史跡・遺跡
城ケ平横穴古墳群は古墳時代のくらいの高い人を埋葬したものだそうです。これだけ多くのものがあるのは貴重...by twill10さん
小矢部川左岸,城ケ平山,東南中腹の斜面。それぞれ家族墓であったようだ。
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文化史跡・遺跡
二上山万葉ラインを使って山を登ると、駐車場が見えてきます。そこに車をとめて少し歩くと広場に出て、高岡...by SHINさん
応安4年(1371)7月、南朝の桃井直常が、石動山天平寺の衆徒と組んだ時、越中守護の斯波義将がこの城へ立て篭もったのが城の初見。畠山氏が越中守護になった時、守護代の神保氏...
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文化史跡・遺跡
髪塚は以前はお堂が建っていたと考えられています。その前には高さ180cmの石塔が建てられています。歴...by twill10さん
かつてお堂が建てられていたと推測される平坦面の前面に、髪塚と呼ばれる自然石の石塔が立っています。高さ約180cmの自然石で、平らな正面に月輪と梵字「バク」、その下に「貞和三年...
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文化史跡・遺跡
雨晴海岸から車で5分位。同じ高岡市にある前方後円墳1基(1号墳)、帆立貝形古墳1基(2号墳)。小円墳10基...by メタボ大王さん
前方後円墳2基,円墳7基,4〜5世紀初頭のものと推定される県内最古の古墳を含む古墳群。
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文化史跡・遺跡
源氏と平家に関する地はたくさんありますが、ここは倶利伽羅合戦の直前に平家が布陣した城の跡です。とても...by かずゆきさん
寿永2年(1183)倶利伽羅合戦の直前、この砦に平家が布陣し、建久元年(1190)加賀国井上庄の地頭都幡小三郎隆家が拠り、観応2年(1351)には南朝方の桃井直常が上洛するのを富樫氏春...
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文化史跡・遺跡
漁港の突き当たり 、 ひっそりとした場所にありました。 とっても大きな洞窟で、 白山社の奥にあります。 ...by 60代のスノーボードおじさんさん
日本で初めて発掘調査が行われた洞窟遺跡として著名です。今から6000年ほど前の縄文時代前期に波の浸食によって形成された洞窟で、大正7年(1918)神社改築工事で遺物が多数...
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文化史跡・遺跡
木舟城跡はのどかな風景が広がるなかにあります。丘がありますが他にはそれらしい遺構などは確認できません...by twill10さん
寿永3年(1184)石黒太郎光弘が福光からここへ館城を移した。以後、石黒氏の居城となり、戦国期には、石黒左近が一向一揆や上杉と抗戦。天正9年(1581)織田方に謀殺される...
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文化史跡・遺跡
崖から落ちた平家軍の地で川の色が濁ったことから膿川という名前がついた川もあり、歴史を感じます。時々地...by zindenさん
石川県境、倶利伽羅峠の東側にある源平合戦の古戦場。木曾義仲が牛の角に松明をつけ、平家10万の大軍に戦勝したと言われている。
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文化史跡・遺跡
小谷部から津幡へと倶利伽羅源平ラインを抜けましたが。小谷部から古戦場までは結構車道が細いです。反対側...by りゅうさん
富山県小矢部市との境にある旧北陸道の倶利伽羅峠を舞台に、4,500頭の牛の角に松明をくくりつけ平家の陣へ追い入れる、木曽義仲の「火牛の計」が展開された所。この戦法により、平家...
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文化史跡・遺跡
この芭蕉の句碑は緑豊かな中にひっそりと建っています。とても素晴らしい句で芭蕉の想いを感じることができ...by twill10さん
「義仲の寝覚の山か月悲し」。
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文化史跡・遺跡
万葉の歌碑は静かでのんびりとした景色の中にありました。刻まれた文字を一字一字ゆっくりと時間をかけて読...by twill10さん
富山県西部には高岡・氷見・小矢部の3市を中心に、万葉集に詠われた自然や事物が数多く残されており、たくさんの歌碑も建立されています。 詳しくは、高岡地区広域圏のホームページ...
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文化史跡・遺跡
気多神社の近くにある。何もないが、お堂が一つ残っていた。薬師堂らしいが、これはいつの建造物かは知ら...by 軻遇突智さん
8世紀半ば、聖武天皇の命令により建立。現在、薬師堂のある一帯から、瓦や土器などが発掘され、このあたりに越中国分寺があったものと推定されています。