さとけんさんの滋賀県の旅行記
旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。二日目は亀山宿から水口駅まで。全四部作中その4
- 1日目2017年3月17日(金)
- 2日目2017年3月18日(土)
-
時刻は12時30分。土山宿を離れ、水口宿へ向かって旧東海道筋を歩いていきます。写真は旧東海道筋が国道1号線と合流する「南土山」交差点付近です。450mほど国道1号線沿いを歩きます。
-
時刻は12時36分、旧東海道筋はこのポイントで国道1号線から左へ分岐します。甲賀市土山町南土山付近の旧東海道筋にて。
-
甲賀市土山町南土山付近にて。旧東海道はこの先、国道1号線に合流することなしに野洲川を渡ります。4.4km・1時間弱をこのような旧街道を歩いて行きます。
-
時刻は12時40分、野洲川を渡る橋へつながる道です。自動車は通ることができません。甲賀市土山町南土山付近の旧東海道筋にて。
-
甲賀市土山町南土山の旧東海道筋にて、この橋で野洲川を渡ります。
-
野洲川を渡ってから100mほどで現れるこの分かれ道は左へ進みます。甲賀市土山町前野付近の旧東海道筋にて。
-
一枚前の写真の分かれ道を左へ進むと、すぐに「手打ち蕎麦 玄鹿(げんろく)」というお蕎麦屋さんが現れます。とても評価が高いお店で、私もこのお店で食べたかったのですが、下調べの段階で、人気が高すぎて予約しないと昼時の入店は難しいと聞き、予約するほど時間は読めない歩き旅なので諦めた経緯があります。実際にお店の前を通ると駐車場の車もないし、入店できたかもなと思いました。甲賀市土山町前野付近の旧東海道筋にて。
-
旧東海道筋をしばらく歩いていくと松並木が現れます。なかなかいい雰囲気です。しかしこのあたり、車もそれなりにとおりますし道も細いので注意して歩いたほうが良い区間です。甲賀市土山町徳原付近の旧東海道筋にて。
-
時刻は13時19分、甲賀市土山町大野付近の旧東海道筋にて。
-
正面に国道1号線とクロスするポイントがみえてきました。甲賀市土山町徳原付近の旧東海道筋にて。
-
時刻は13時25分、この歩道橋を渡って国道1号線を右手へ横切ります。ここは「大野」交差点です。
-
歩道橋からみた、これから歩く旧東海道筋。左手に国道1号線が、その右・写真中央の曲がりくねった道が旧東海道筋です。国道1号線大野交差点にて。
-
時刻は13時42分、甲賀市土山町大野付近の旧東海道筋。この先、50mほどで国道1号にぶつかり、そのまま横断して、国道1号線の左へ分岐する県道549号線を100mほど進み右手へ入ります。
-
ここが国道1号線を横断する交差点です。「大野西」交差点です。横断歩道を渡って右へ、国道1号から分岐する県道549号線に進路をとります。
-
甲賀市水口町今郷付近の旧東海道筋・県道549号線。大野西交差点付近のここからこの道を100mほど進むと右手へ分岐する道があるので、右手へ入ります。
-
ここが県道549号線から右手へ分岐する道です。旧東海道筋はここを右手へ入ります。
-
甲賀市水口町今郷付近の旧東海道筋を進みます。
-
時刻は13時51分、しばらく歩くと「今在家一里塚」が現れます。甲賀市水口町今郷付近の旧東海道筋にて。
-
甲賀市水口町今郷付近の旧東海道筋の今在家一里塚跡にある案内板です。
-
甲賀市水口町今郷付近の旧東海道筋の今在家一里塚跡にある案内板です。江戸時代の一里塚は明治の初年に撤去されてしまったとのこと、また、一里塚には桜が植わっていたと伝わっているとのこと。桜は珍しい感じがします。
-
時刻は13時55分、甲賀市水口町今郷の旧東海道筋は、県道549号線とわずかの距離だけ合流し、すぐに右手へ分岐します。写真は県道549号線と合流する手前の様子。
-
甲賀市水口町今郷の旧東海道筋が県道549号線と合流する地点にある案内板です。「古い街道にはいにしえ人の気配があります。その曲がりくねった道筋に、路傍の道標に歴史があります。あるときは戦の道となって人馬どよめき、あるときは参宮の道となって賑やかな歌声に包まれたであろうこの道。東海道は遠い昔にその役割を終え、今や暮らしの道として、風景の中にのびています。」この文章に私は共感しました。素直な表現と簡易な言い回しの名文・銘文だと思います。題名は途切れてしまって「ゆく」しかみえないのですが、私がこれの題名を想像するなら、「街道をゆく」ですかね。
-
旧東海道筋は50mほどの距離を県道549号線と合流し、再び右手へ分岐します。甲賀市水口町今郷の旧東海道筋にて。
-
時刻は14時1分、甲賀市水口町今郷の宝善寺前の旧東海道筋にて。このあと旧東海道筋は再び県道549号線と合流し、100mほどで再び右へ分岐します。
-
目の前の県道549号線と僅かな距離を合流します。甲賀市水口町今郷の旧東海道筋にて。
-
県道549号線と合流してから100mほどで旧東海道筋は右手へ分岐ましす。写真中央の道へ進みます。写真左手の道は県道549号線、その左手には野洲川が流れています。
-
時刻は14時14分、甲賀市水口町新城付近の旧東海道筋にて、分かれ道が出てきます。ここは右手へ進みます。
-
甲賀市水口町新城付近の分かれ道には上の写真のような案内板がたっていました。こういう案内板をみるとホッとして嬉しくなります。
-
甲賀市水口町秋葉付近の旧東海道筋にて。この後、旧東海道は国道307号線と2回クロスして、水口宿へ入って行くことになります。
-
時刻は14時23分、旧東海道筋が水口宿手前で国道307号線と2回クロスするうちの、1回目のクロス地点です。「秋葉北」交差点です。
-
甲賀市水口町秋葉付近の旧東海道筋にて。写真中央、旧街道が登り坂になっている付近に水口宿・東見附跡(江戸口見付跡)があります。
-
甲賀市水口町秋葉付近の旧東海道筋は再び国道307号線とクロスします。左手にある歩道橋は、入り口が国道307号線に面していません。写真左手の家屋と歩道橋との間が入り口になっています。
-
甲賀市水口町元町付近の旧東海道筋・水口宿です。
-
水口宿・脇本陣跡の案内板です。
-
そしてこちらが、水口宿・脇本陣跡の案内板の掲げられている建物です。この先、分かれ道が2回続けて出てきます。旧東海道筋は、最初の分かれ道を左、次の分かれ道を右です。
-
時刻は14時30分、最初の分かれ道が出てきました。ここは左の道へ進みます。甲賀市水口町元町付近の旧東海道筋水口宿にて。
-
甲賀市水口町元町付近の旧東海道筋・水口宿、最初の分かれ道を左へ行くポイントに案内板がたっています。「三筋の町」と名付けられています。地図をみると良く判りますが、水口宿・国道307号線の南を直線道路が3本走っていますが、この真ん中の道が旧東海道筋です。
-
甲賀市水口町元町付近の旧東海道筋・水口宿にて。この分かれ道は右の道へ進みます。
-
甲賀市水口町元町付近の旧東海道筋・水口宿にて、分かれ道を右へ行くとこのような案内板がたっていて、このルートで間違いないことを教えてくれます。
-
水口町本町1丁目付近の旧東海道筋。前方から大きなトラックがやってきます。写真のトラックがいる場所付近から、かつては「本町商店街」のアーケードが架かっていて、2008年に撤去されたようです。44年の歴史に幕という情報を見つけましたので、1964年(昭和39年)からアーケード商店街だったのですね。画像も残っていて、アーケードがあるのとないのとでは景色も随分と違いますね。アーケードが出来たころは車も通れないほどの賑わいであったとか。現在はとても静かな旧東海道筋であります。
-
時刻は14時43分。旧東海道筋は水口町本町3丁目付近で、「三筋の町」の三筋(三つの通り)が再び1本に集約されます。そして、すぐに「近江鉄道本線・水口石橋駅」横の踏切を渡ります。
-
近江鉄道の踏切を渡って240mほど歩くと、右手に水口城天王口跡の案内板が現れます。ここを右折します。
-
水口城天王口跡付近の旧東海道筋。ここを右折します。
-
もともとは直進していた東海道筋は、この地に水口城の木戸が置かれると、木戸内の武家地は藩士以外の通行が制限されて、右へ(北へ)直角に曲がって武家地を迂回するようになったそうです。
-
それでは旧東海道筋を進みましょう。突き当りは左へ(西へ)へ進みます。水口町城東近くの旧東海道筋にて。
-
時刻は14時50分。左手の水口城下の武家地を迂回する形の旧東海道筋を西へ進みます。水口町城東付近にて。
-
水口城下の武家地を迂回する形の旧東海道筋を西へ進むとやがて突き当りに至り、そこを左(南)へ行きますと、このような辻に至ります。ここには水口石と呼ばれる石があります。このポイントで右へ直角に折れます。
-
そしてこちらが水口石。力石とも呼ばれる。力石は他にもありましたね。水口町城内付近の旧東海道筋にて。
-
水口石の地点を右折した後の風景。ここから400mほど直進し、五十鈴神社の角を左へ折れます。(五十鈴神社へ至る前に、百間長屋跡が現れます) 水口町城内付近の旧東海道筋にて。
-
水口石から五十鈴神社までの旧東海道筋に百間長屋跡の案内板が現れました。藤沢周平の小説に下級武士の長屋が良く描写されていますが、この百間長屋はまさにその「下級武士の長屋」そのものでした。水口町城内付近の旧東海道筋にて。
-
こちらは江戸時代後期の百間長屋の様子。明治初期の絵地図には21軒の百間長屋があったそうです。水口町城内付近の旧東海道筋にて。
-
こちらが昭和30年ごろの百間長屋の様子です。昭和30年というと、明治維新からだいたい87年後・現在から62年前ですね。水口町城内付近の旧東海道筋にて。
-
そしてこちらが昭和50年ごろの百間長屋の様子。石垣も崩れていますね。現在は案内板のみが建っています。水口町城内付近の旧東海道筋にて。
-
時刻は15時3分。旧東海道筋は五十鈴神社の角で左へ直角に折れます。左折する地点に一里塚の石碑があります。ここは林口一里塚跡です。水口町東林口付近の旧東海道筋にて。
-
五十鈴神社の角を左折した旧東海道筋は50mほどで水口宿西目附跡(京口跡)にいたり、ここを右折します。写真は右折する地点(水口宿西見附跡)です。信号を右折します。今日の東海道歩きはここまでです。明日の朝、この地点から歩き出します。
-
水口宿西見附跡。明日の朝の出発ポイントです。旧東海道筋は写真中央奥へ続いています。時刻は15時5分。本日の宿へ行くには少し早いので、水口城へ寄っていくことにします。
-
15時13分、水口城へ到着です。
-
水口城の敷地は大きな四角形と小さな四角形との周りを濠で囲ってあります。大きな四角形のほうは、県立水口高等学校のグラウンドになっています。小さな四角形の方に、水口城資料館がありますので見学することとしましょう。
-
水口城は維新後に廃城になり建物や石垣の大半はほとんど撤去されたとのこと。
-
水口城資料館は、かつての出丸の敷地に、かつての乾矢倉(城の石垣の四方の隅のうち、北西の隅にあった矢倉、この矢倉については廃城後に民家へ移築されていた部材を使用しているとのこと)を二階建てに再移築したものが1991年に資料館として開館しました。
-
水口城資料館は開館時間・10時〜17時、入場料100円、木曜日と金曜日はお休みです。
-
水口城資料館の前の樹が綺麗に花を咲かせていました。資料館に入りますと、他に見学者は誰もいず、係りの方にマンツーマンで案内していただきました。開館は平成になってからですが、この資料館の部材は歴史を見守ってきた部材が使われています。
-
時刻は15時40分、水口城資料館の二階へ上がってみます。
-
水口城資料館からみた水口岡山城跡です。水口岡山城は秀吉が造った城です。関ケ原の戦いの跡に水口岡山城は廃城となりました。水口城資料館をおいとまして、本日の宿へ向かいます。
-
時刻は16時30分、本日は甲賀市水口町綾野の「ホテル ニューミフク」へ泊まります。リニューアルしたばかりの、とても綺麗な室内でした。お風呂も洗面所もとても綺麗で機能的な造りになっていました。
-
本日は57,258歩、だいたい44kmの行程でした。食事をとって早めに休み、明日に備えましょう。
- 3日目2017年3月19日(日)
- 4日目2017年3月20日(月)
旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。二日目は亀山宿から水口駅まで。全四部作中その4
1日目の旅ルート
さとけんさんの他の旅行記
-
【18きっぷ】鳥取・新見・広島・岡山・相生、境港のカニと日生のカキを堪能する旅【2024年3月】
2024/3/4(月) 〜 2024/3/9(土)- 一人
- 1人
18きっぷを利用して、1日目は神奈川県から鳥取まで移動し、2日目は松江城を見学して境港のカニを堪能し...
78 1 0 -
【18きっぷ】国宝犬山城と関ヶ原を訪ねて【2023年12月】
2023/12/18(月) 〜 2024/1/9(火)- 一人
- 1人
今回は浜松に宿泊し、18きっぷを利用して1日目は雪景色の関ヶ原を訪問し、2日目は国宝の犬山城を訪れ、3...
27 1 0 -
【浜松ドライブ】スズキ歴史館・明治村・登呂遺跡を訪ねて【2023年12月】
2023/12/10(日) 〜 2023/12/12(火)- 一人
- 1人
まず1日目は浜松でスズキ歴史館と浜松市博物館を見学してから遠州灘・中田島砂丘を訪れ、2日目はかねて...
35 1 0 -
【九州その3】長崎平和祈念公園・諏訪神社・大浦天主堂・グラバー園・崇福寺から遠藤周作文学館、雲仙温泉へ【2023年10月11月】
2023/10/22(日) 〜 2023/11/3(金)- 一人
- 1人
九州旅行その3では、杖立温泉から長崎市内へ走り、平和公園・原爆資料館・諏訪神社・長崎公園・大浦天...
122 4 0
みんなのコメント(0件)
投稿する
投稿に際しては、必ず観光ガイドご利用規約をご確認ください。
閉じる皆様がより快適にご利用いただくための「投稿上のルール」や、
投稿内容の利用に関して記載しております。
さらに表示する