1. 宿・ホテル予約TOP >  みんなの旅行記 >  【御由緒は縄文から】海老名の有鹿神社と座間の星の谷観音を訪ねる小散歩【嘉禄三年の梵鐘】

さとけんさんの神奈川県の旅行記

【御由緒は縄文から】海老名の有鹿神社と座間の星の谷観音を訪ねる小散歩【嘉禄三年の梵鐘】

  • 一人
  • 1人
  • 芸術・文化
  • 史跡・歴史
  • 自然
  • グルメ

ある日曜日、海老名と座間をブラブラと歩いて神社とお寺をお詣りし、座間図書館で調べ物をしてきました。 

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2017年6月4日(日)

本日は、神奈川県海老名市上郷1-4-41にある有鹿神社 (あるかじんじゃ)へやって参りました。時刻は10時54分です。相鉄線・海老名駅、小田急線・海老名駅からだいたい2km、歩いて25分弱ぐらいでしょうか。歩道がない道を歩く場合もありますので気をつけて歩きます。

有鹿神社の本宮です。有鹿神社は本宮と奥宮と中宮とからなる、とても古い神社です。中宮は本宮の東北東の位置・海老名市上郷1丁目12付近にあります。奥宮は、本宮から北へ6kmほど離れた相模原市南区磯部勝坂の勝坂遺跡公園付近にあります。

それでは有鹿神社の本宮へお詣りしましょう。

有鹿神社の御由緒です。はるか昔の縄文時代の信仰を受け継いだ神社であることが判ります。相模川のやや東側を流れる鳩川、この鳩川の流域に住む縄文人によって、鳩川の水源の一つが信仰を集め、それが現在の奥宮となっているのですね。鳩川は有鹿神社の本宮付近で相模川に合流します。平安時代から鎌倉時代にかけては、かなりの繁栄を誇っていたようで、参道は相模国分寺や社家(現在のJR相模線の社家駅付近でしょうか?)まで延びていたようです。広大ですね。

有鹿神社

海老名市

「有鹿神社」を   >

有鹿神社の本宮に二礼二拍手一礼でお詣りしました。

有鹿神社の静かな境内です。境内の脇の道は周辺道路の抜け道になっていまして、細くて歩道が無くてカーブしているという危ない道ですので歩く際は注意が必要です。道路沿いを歩くのが怖い場合は、鳩川沿いの土手道を歩くという選択肢も(日中、明るいうちなら)あります。この先、近くの三川公園や、ヒマワリや芝桜で知られる相模川沿いの「水と緑の風広場」など、季節には足を延ばすのもいいかと思います。時刻は11時過ぎ、本日はJR相模線の入谷駅方向へ歩いて行きます。

ラーメンショップスズキ

座間市

「ラーメンショップスズキ」を   >

県道51号線沿いを座間警察署方向へ歩き、県道42号線との交差点「星の谷観音坂下」交差点を過ぎて、ラーメンショップ・スズキへ向かいます。このお店は駐車場がないので、行きづらいお店なのですが、(おいくつなのか判らないのですが)おばあちゃんがラーメンを作ってくださいます。写真はメンマラーメン550円です。この日は少し混んでいて、なかなか大変そうでした。御馳走様でした。

星谷寺

座間市

「星谷寺」を   >

時刻は12時25分、座間市入谷3-3583の妙法山持宝院星谷寺(しょうこくじ)へやって参りました。

梵鐘

座間市

「梵鐘」を   >

星谷寺には古い銘の入った梵鐘があります。説明書きによると「全国現存の梵鐘の中で五十番目、関東以北では二番目に古」いとのこと、どのくらい古いかというと、嘉禄三年(1227年)の銘が入っています。

梵鐘

座間市

「梵鐘」を   >

時刻はまさに12時27分、この梵鐘は1227年鋳造、1227年と言えば京都洛中で最古の建物である大報恩寺(だいほうおんじ:千本釈迦堂)の本堂が1227年築、神奈川県下で一番古い梵鐘は鎌倉ではなく、ここ座間の入谷・星谷寺にあるのですね。

撞座(つきざ)が一つの珍しい梵鐘、つきざ(撞座)とは撞木(釣鐘を撞く棒)が当たる部分のことで、鐘側の円形の部分なのですが、これが普通は二つあるそうなのですが、この梵鐘は一つです。星谷寺にて。

本堂へお参りしましょう。星谷寺にて。

星谷寺、参道脇のイチョウの木が立派です。

こちらが星谷寺の大銀杏です。

星谷寺の本堂です。本堂脇に「星の谷観音七不思議」という案内板があります。

こちらが星の谷観音七不思議の内容です。ふむふむ、なるほど。

星谷寺

座間市

「星谷寺」を   >

星の谷観音の空です。

本堂にて御本尊の観音様をお参りします。星谷寺にて。このあと星谷寺を辞し、小田急線の線路を越えて県道42号線の歩道で山坂を登り、神奈川県立座間谷戸山公園脇の座間図書館(座間市入谷3丁目)へ向かいました。

県道42号線を登り切ったあたりに、写真のような景色をみる。これは面白い。座間市入谷4丁目 付近にて。

座間市入谷4丁目 付近にて。どうしてこのような道になったのかは、今の私にはわかりませんが、昭和16年の航空写真と昭和24年の航空写真を見比べると、昭和16年には直線的な太い道の様なものが写って、後は雑木林のような感じですが、昭和24年の航空写真をみると、この土地(入谷4丁目)の直線的な区画分けが既に成されていて、どうしてなのか、戦中に何か重要な場所であったのかは判りませんが、戦後の早い時期にはこのような道路になっていたのかもしれません。道の端と端が山になっていて、中央が低いのですね。このあと図書館へ行きました。

日曜日の図書館は17時で閉館、写真の時刻は17時17分、JR相模線の入谷駅近くからみた大山連山です。以上、簡単な散策でした。

【御由緒は縄文から】海老名の有鹿神社と座間の星の谷観音を訪ねる小散歩【嘉禄三年の梵鐘】

1日目の旅ルート

みんなのコメント(0件)

投稿する

投稿に際しては、必ず観光ガイドご利用規約をご確認ください。
皆様がより快適にご利用いただくための「投稿上のルール」や、
投稿内容の利用に関して記載しております。

閉じる

この旅行記は参考になりましたか?参考になった!1

この旅行記をもとに旅の計画をつくる
この旅行記をカスタマイズして、あなたの旅の計画を作りましょう

さとけんさんの他の旅行記

(C) Recruit Co., Ltd.