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さとけんさんの青森県〜東京都の旅行記

【青森駅周辺を歩く】善知鳥神社・平和公園・青森ベイブリッジを訪ねて【駅の東側を歩く】

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昭和20年7月、ある家族が住み慣れた東京を離れ、北海道へ移住します。戦災者を対象に政府が計画した集団帰農計画・「拓北農兵隊」に応募した彼らは、今から72年前の7月のある日、上野に集合し汽車で青森まで行き、青森から連絡船に乗って北海道に上陸しました。青函連絡船が7月14日及び15日に空襲に遭って全滅したため津軽海峡を渡ることが出来ず、途中の青森に一週間ほど滞在することになります。滞在中の7月28日に青森が空襲を受けたあと、彼らは船に乗ることが出来ました。本日は青森駅周辺を散策することにします。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2017年9月2日(土)

JR上野駅

台東区

「JR上野駅」を   >

初日は旅行記『【上野発10時】上野発青森行き昼行バス「スカイ号」に乗って【青森駅着20時50分】』をごらんください

2日目2017年9月3日(日)

ホテルニュームラコシ

時刻は6時5分、ホテルを出発して青森市街を歩きます。まずは青森駅の東側を歩きます。青森駅の東側は1945年7月28日の青森空襲で大きな被害を受けた場所です。駅から平和公園(当時は国鉄・浦町駅)・合浦公園辺りまで焼失したといいます。旅行記の「概要」に記した「拓北農兵隊」に応募した一家が青森に滞在した一週間ほどの間に青森大空襲がありました。彼らの記憶では「空襲はあったが自分達が寝泊まりしていた小学校は被害を受けなかった」ということで、彼らの滞在したのは青森駅の西側ではないかと私は推測します。

三角形の特徴的な目立つ建物がみえます。青森県観光物産館・アスパムです。今回はあの建物内のお店でお土産を買おうと計画しています。青森市安方付近の交差点にて。

善知鳥神社

青森市

「善知鳥神社」を   >

時刻は6時16分、青森発祥の地とされる善知鳥神社(うとうじんじゃ)にやって参りました。

善知鳥神社

青森市

「善知鳥神社」を   >

おぉ、この付近が奥州街道の終点とあります。江戸初期の書物には青森市安方が終点と記載されているようです。なお、奥州街道の終点には諸説があって、江戸幕府が管理していた五街道の「奥州街道」としては終点は福島県の白河とされているようですが、仙台道・松前道などの脇街道も含めて「三厩宿(みんまやじゅく)」が奥州街道の終点とされることもあるようです。いずれにしても、江戸日本橋を基点に歩き続けると、この地に到達するという壮大で着実な旅もまた魅力的で、いずれ奥州街道を歩いてみたいなと思っています。

善知鳥神社

青森市

「善知鳥神社」を   >

奥州街道終点記念の碑とあります。

善知鳥神社

青森市

「善知鳥神社」を   >

善知鳥神社にお参りします。

善知鳥神社

青森市

「善知鳥神社」を   >

青森湊が開港する以前の青森は「善知鳥村」という一漁村であったという説明板です。

善知鳥神社

青森市

「善知鳥神社」を   >

こちらには善知鳥神社の御由緒、善知鳥神社が青森発祥の地とされると書いてあります。

善知鳥神社

青森市

「善知鳥神社」を   >

善知鳥神社の鳥居と参道と拝殿です。

善知鳥神社

青森市

「善知鳥神社」を   >

善知鳥神社の本殿です。コンクリート製の本殿です。

善知鳥神社

青森市

「善知鳥神社」を   >

こちらには善知鳥神社再建記念碑がありました。昭和39年の碑です。

善知鳥神社

青森市

「善知鳥神社」を   >

善知鳥神社の境内にある芭蕉句碑です。「名月や 鶴脛高き 遠干潟」という句です。 松尾芭蕉は青森へは来ることができませんでしたが、もし来られたら、いったいどんな句を詠んだことでしょうか。

廣田神社

青森市

「廣田神社」を   >

時刻は6時36分、廣田神社にやってきました。

廣田神社

青森市

「廣田神社」を   >

廣田神社の御由緒です。

廣田神社

青森市

「廣田神社」を   >

廣田神社の鳥居と狛犬です。

廣田神社

青森市

「廣田神社」を   >

廣田神社の拝殿も善知鳥神社と同じくコンクリート製です。地元の方が幾人かお参りに来られています。私も二礼二拍手一礼の参拝をしました。

廣田神社の近くの長島小学校にやってきました。長島小学校は版画家の棟方志功が入学・卒業した小学校です。歴史ある小学校ですね。

1945年の7月28日の青森大空襲で、青森駅の東側は一面の焼け野原になったといいます。焼け残った建物は青森銀行・現在の青森県立郷土館などごく一部で、この長島小学校も一部を残して焼けてしまったということです。

長島小学校から「旧線路通り」という通りを歩いて平和公園の方向へ向かいます。今の平和公園は昔の「国鉄・浦町駅」で、この旧線路通りには国鉄の線路が敷かれていたそうです。明治24年から大正15年まで、ここに敷かれた線路を東北本線の列車が走っていました。青森市長島4丁目付近の旧線路通りにて。

青森の市街を歩くと、消火栓を沢山、目にしました。この消火栓がいつ設置されたのかは判りませんが、形からしてけっこう古いのではないかと思いました。この消火栓は根元の部分が歩道の中に入り込んでいます。青森市街の旧線路通りにて。

時刻は7時15分、青森の平和公園にやって参りました。1968年(昭和43年)まで東北本線の国鉄・浦町駅がこの地で現役でした。1968年に東北本線のルートが変わって駅は廃止となり、1979年(昭和54年)3月に平和公園が完成したとのことです。

青森の平和公園のモニュメントです。

こちらには水辺がありますね。青森の平和公園にて。

東北本線・浦町駅跡地に平和公園が建設され昭和54年3月に完成した旨の記載があります。青森の平和公園にて。

平和公園から北上すると青森市立橋本小学校がありました。1877年(明治10年)創立の歴史ある学校で、ここの先生をされていて青森大空襲を経験された森さんという女性の手記を読みました。

橋本小学校には立派な藤棚がありました。季節になったら綺麗な花を咲かせることでしょう。

橋本小学校から更に北上すると、むむ、なんじゃ、寝ている豚でねぶたとは、その発想は無かった。青森市本町5丁目付近にて。

青森市本町5丁目付近の交差点に、写真のような雰囲気の良い古い建物がありました。「最」の次の字が判読不能なのですが、「豆」でもないし、「巨」でもないだろうと思いますが、読めませんね。この建物は空襲を免れたのでしょうか、それとも戦後の建物か、ちょっと判りませんでした。この建物と交差点を挟んで対面にも古い食品工場の様な建物があります。こちらも戦前の建物のような気がするのですが、本当のところは分かりません。

青森県立郷土館

青森市

「青森県立郷土館」を   >

時刻は7時47分、青森県立郷土館へやって参りました。写真左手に建つ建物は旧青森銀行本店の1931年(昭和6年)建築の建物です。国の登録有形文化財になっています。

青森県立郷土館

青森市

「青森県立郷土館」を   >

青森県立郷土館は平成29年の8月28日から平成30年の3月31日まで、館内収集庫の改修のため、全館休館となっています。再開館は平成30年4月1日を予定しているとのことです。

青森県立郷土館

青森市

「青森県立郷土館」を   >

こちらが昭和6年築の旧青森銀行本店の建物です。戸が大きく重厚で歴史を感じさせます。青森県立郷土館にて。

青森県立郷土館

青森市

「青森県立郷土館」を   >

昭和6年築の旧青森銀行本店の建物。現在は青森県立郷土館です。

青森県立郷土館

青森市

「青森県立郷土館」を   >

こちらは昭和戦前期の旧青森銀行本店の写っている写真です。左手の曲線の建物の奥の建物です。青森県立郷土館の前の案内板より。

青森県立郷土館

青森市

「青森県立郷土館」を   >

そしてこちらが2009年(平成21年)に撮影された同じアングルからの写真。青森県立郷土館前の案内板より。

青森県立郷土館

青森市

「青森県立郷土館」を   >

そしてこちらが2017年(平成29年)、私が撮影した同じアングルからの写真。2009年に撮影された写真と信号の色以外はとほとんど変わりません。昭和戦前期に撮影された写真と比べると、周囲の景色は変われど、郷土館の建物はずっとそこにあったのだと判ります。

棟方志功の出生の地の案内板。青森市安方二丁目付近にて。

棟方志功の出生の地の案内板がある現在の青森の市街。青森市安方二丁目付近にて。

棟方志功さんは善知鳥神社で結婚式を挙げたのですね。青森市安方二丁目付近にて。ここから青森駅方向へ歩いて朝ごはんを食べます。

食事処 おさない

青森市

「食事処 おさない」を   >

時刻は8時8分、昨晩は閉店していた「食事処 おさない」へ朝食を食べにやってきました。朝は7時から開いているお店です。入店してびっくりしました。行列に並ばずに入れたとはいえ、店内は既に朝食を食べるお客さんで賑わっていまして、8割方、席が埋まっています。

食事処 おさない

青森市

「食事処 おさない」を   >

食事処・おさないのメニュー。なるほど、手ごろな価格で青森の食事が楽しめるようです。この青森滞在で三回ほど来店しようと予定していたのですが、この混雑具合を見る限り、夜に並ばずに入店するのは難しそうだなと。食べたいメニューを三種類、決めていたのですが、今回の青森での滞在中におさないに入店するのはこの一回限りかもしれないと考え、一番食べたかった「ほたて貝焼みそ定食・1,100円」に決めました。

食事処 おさない

青森市

「食事処 おさない」を   >

おさないの丼物も魅力的です。ほたて丼830円、これも食べたい。

食事処 おさない

青森市

「食事処 おさない」を   >

時刻は8時20分、ほたて貝焼みそ定食です。蒸しウニがのって豪勢ですね。ホタテも小さくありませんし、量もありました。美味しかったです。御馳走様でした。

青森市観光交流情報センター

青森市

「青森市観光交流情報センター」を   >

時刻は8時38分、青森駅東口バスロータリーの端にある青森市観光交流情報センターにやってきました。この情報センターの前が十和田方面のバス停になっているらしく、一際賑わっていました。情報センターへ入ってみましょう。

青森市観光交流情報センター

青森市

「青森市観光交流情報センター」を   >

観光交流情報センターでは、青森市の観光ガイドマップとレストランの地図、八甲田丸の案内を入手しました。他にも沢山のパンフレットがあります。

青森市観光交流情報センター

青森市

「青森市観光交流情報センター」を   >

青森市観光情報センターでは、対面で案内も受けられます。

ねぶたの家 ワ・ラッセ

青森市

「ねぶたの家 ワ・ラッセ」を   >

ねぶたの家・ワ・ラッセにやってきました。ここのレストランとお土産屋さんは入場料無しで利用できます。面白い外観です。

ねぶたの家 ワ・ラッセ

青森市

「ねぶたの家 ワ・ラッセ」を   >

ねぶたの家・ワ・ラッセの広場からみた青森ベイブリッジと写真左下側にエーファクトリー。

ねぶたの家・ワ・ラッセの広場からみた青森駅とその駐輪場。

青森のベイサイドを散策してみましょう。散策路が整備されていますので、歩きやすいですね。

海に向かって左手に八甲田丸、右手に三角形の建物のアスパムとその周辺のボードウォークがあります。

青函連絡船の八甲田丸は本日の午後に訪れる予定です。

青森の海辺に敷かれたボードウォークを歩きます。気分が良いです。

青森ベイブリッジと八甲田丸。

三角形のアスパムも横からみるとご覧の通りです。青森ベイブリッジ付近のボードウォーク上にて。

青森駅東口からも近いボードウォークですので、ちょっとした時間待ちなどで時間が開いた時に訪れるのも良いと思います。良い景色です。

今日は日曜日、時間は朝の9時、青森のベイサイドのボードウォークには、ほとんど人がいらっしゃいません。いい気分です。

青森県観光物産館アスパム

青森市

「青森県観光物産館アスパム」を   >

アスパムはスイカを切ったような形をしております。

どーも気になる、気になる何かがこの景色の中にはある、なんだろう? はて、これは? 青森ベイブリッジ付近にて。

歩行者専用の標識です。左手の人物の顔に何か貼られていますが、私が気になったのはそれではなく、この二人の人物像です。今まで歩行者専用の標識をじっくり見たことがなかったのですが、この人間と思われる二人の絵が、宇宙人か土偶のようにも見えます。青森ベイブリッジ付近のボードウォークにて。

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

青森市

「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」を   >

青函連絡船の八甲田丸です。今は記念館として係留されています。

新しいものが目立つボードウォークの端に、古いコンクリートの岸壁がありました。この岸壁は昭和の遺物にちがいありません。八甲田丸付近にて。

八甲田丸の船尾と可動橋です。八甲田丸は「55隻の歴代配属青函連絡船中最長の23年7ヶ月の就航期間を記録」した船とのこと。

可動橋は青森駅の北側から車両を連絡船内へ搭載し函館へ航送するためのものです。写真は一枚上の可動橋を撮影した場所から左斜め後ろ手に見える青森駅を撮影したものです。

青森駅の北側から車両がこの可動橋を通って連絡船の船尾へ吸い込まれていく様を観てみたかったですね。八甲田丸付近にて。

青函連絡船による車両運搬は1925年(大正14年)から本格的に開始され、この可動橋を支える主塔の部分はこの頃からのもので、橋桁は昭和29年に改造されたものとのことです。

昔の写真をみると線路の間には金属の板が渡されていたようですが、今は保存の為でしょうか、木の板がはめ込まれていて、その木もかなり朽ちているような印象です。写真は八甲田丸の船尾にある可動橋です。

船にしても車両にしても橋にしても、使用しない機材というのは朽ちるのも早いですので、保存するのも苦労の多いことだと思います。八甲田丸の船尾にて。

八甲田丸の船尾、可動橋に近くに「青函連絡船戦災の碑」がありました。1945年7月14日と15日、当時の全青函連絡船・12隻は米海軍艦載機の空襲により、沈没8隻・大破炎上2隻・大破航行不能2隻の被害を受け、全滅しました。

碑文によれば青函連絡船の空襲により、乗員乗客424名が亡くなりました。

この空襲により航行できる連絡船が一隻もなくなり、7月17日に特設砲艦「千歳丸」と特設巡洋艦「浮島丸」が連絡船航路に急遽就航し、7月23日に稚泊航路の「亜庭丸」が青函航路に就航し、大破したものの炎上は免れた第七青函丸と第八青函丸が、第七青函丸は7月25日、第八青函丸が7月29日に航路に復帰します。この旅行記の「概要」に記した拓北農兵隊に応募した一家は、青函連絡船が空襲を受けた後に青森に到着し、青森の小学校に一週間ほど滞在して7月28日の青森空襲の後、船に乗ることになったのですが、貨物船の船倉にぎゅうぎゅう詰めになって津軽海峡を渡ったとのこと、当時の連絡船は津軽海峡を5時間弱かかって渡りました。魚雷攻撃や空襲を避けて夜間の渡航であったと思われます。青森市内に滞在していた際の彼らの移動はすべて徒歩でしたので、青森港に近い小学校に滞在していたと推測できます。また、彼らが東京を出発する前に、先に荷物だけを送ったそうですが、その荷物が、彼らが北海道へ到着後に水に浸かった状態で届いて、ラジオなどは使い物にならなかったということですので、ひょっとしたら、彼らの荷物は連絡船の空襲時に沈没を免れた連絡船のどれかに積み込まれていたのかもしれませんね。

この可動橋の主塔は、そんな時代をすべて経験してきた主塔です。青森の八甲田丸付近にて。

時刻は9時14分、青森ベイブリッジの歩道部へ上がってみましょう。橋桁の部分に、下から上ることの出来る階段が設置されています。

青森ベイブリッジの下からの景色。

青森ベイブリッジの歩道部に昇る階段部分は、朝7時から夜9時まで利用できます。それ以外の時間は鍵がかけられて閉鎖されています。また、冬季・12月の初旬から翌年4月の初旬までは、冬季閉鎖として完全に閉鎖されているようですのでご注意ください。

青森ベイブリッジの歩道部に上がる階段部分です。かなり老朽化しているように見受けました。

青森ベイブリッジの歩道部、まずは海側にのぼってきました。歩道が広くて良いですね。眺めも良いです。今日は風も強くありません。

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

青森市

「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」を   >

青森ベイブリッジからの八甲田丸の姿。

青森ベイブリッジは青森駅をまたいでいます。写真の青い屋根は青森駅です。写真右手に見える駅を横切る渡り廊下は、かつて青森駅から連絡船の桟橋へ直接行くことの出来た経路です。今では駅からはこの渡り廊下に出ることは出来ず、青森駅の東西を結ぶ自由通路として使われています。

青森ベイブリッジ上からみた可動橋と青森駅の青い屋根。

青森ベイブリッジからみた可動橋と八甲田丸です。

次に青森ベイブリッジの歩道部の海側とは反対側にやってきました。南側ですね。より駅舎に近い側です。青森駅はすぐそこにあります。

青森ベイブリッジは1985年着工、1992年供用開始の橋です。

青森ベイブリッジからみた青森駅。列車が停まっています。写真奥の左右に架かる渡り廊下は駅の東口と西口を結ぶ渡り廊下ですが、出入口に改札があるため自由通路ではありません。現在の青森駅東口と西口を結ぶ自由経路は、駅舎の北・八甲田丸の近くと、駅舎の南にあります。駅の東口・西口から少し離れていて少し不便ですが、どうやら近々、自由経路の新設を含めた駅舎周りの整備が計画されているようですね。「青森駅を中心としたまちづくり基本計画」というのが青森市のウェブサイトに記載されています。

青森駅周辺はどのように変わるのでしょうか。青森ベイブリッジ上にて。なお、青森ベイブリッジの歩道部は、駅の東側には階段があるのですが、西側には階段が無いため駅の東西を結ぶ自由通路としての機能はありません。

青森ベイブリッジの案内板です。

青森ベイブリッジはフェリーから青森方向をみた時に、アスパムの三角形の建物と並んで良く目立つ構造物で、青森駅・元青森港の方向が一目瞭然で判ります。さて、このあと、青森駅の西側を歩きます。「概要」に記した拓北農兵隊に応募した一家が滞在した青森の場所は、1.小学校であること、2.連絡船乗り場から徒歩圏であること、3.青森空襲に遭ったが滞在していた小学校は被害に遭わなかったこと、4.青森空襲において彼らは逼迫した状況にならなかったこと、以上のことより、青森駅の西側にある連絡船乗り場から徒歩圏の小学校ではないかと推測します。駅の西側ではその小学校を訪ねてみようと思います。この続きは旅行記『【青森駅周辺を歩く】森林博物館・沖館小学校・青森市民図書館・八甲田丸を訪ねて【駅の西側を歩く】』をごらんください。

3日目2017年9月4日(月)

三日目および四日目は旅行記『【津軽海峡フェリー】津軽海峡にて先祖を想う旅【青森から函館へ】』及び『』をご覧ください。

4日目2017年9月5日(火)

【青森駅周辺を歩く】善知鳥神社・平和公園・青森ベイブリッジを訪ねて【駅の東側を歩く】

1日目の旅ルート

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