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メタボ大王さんの長野県の旅行記

古代信濃 筑摩・安曇めぐりと八面大王

  • その他
  • 3人〜5人
  • リゾート
  • 史跡・歴史

1日目 松本市 馬場家住宅〜牛伏寺〜埴原牧跡〜埴原神社〜松本市立考古博物館〜牧監庁跡〜弘法山古墳〜筑摩神社〜万葉歌碑〜須々岐水神社〜針塚古墳〜伊和神社〜安曇郡猪鹿牧があった常念岳山麓のホテルに宿泊。2日目 安曇野市 穂高神社〜八面大王足湯〜松尾寺〜有明山神社・魏石鬼の岩屋〜高橋節郎美術館〜大王わさび農場。信濃国国府があった筑摩郡(現松本市)、海人安曇族由来の安曇郡(現安曇野市)、穂高有明にいた八面大王伝説、朝廷の馬を飼育した御牧(勅使牧)などをめぐり古代に思いをはせた。

長野ツウ メタボ大王さん 男性 / 70代

1日目2018年2月11日(日)
09:00-10:00

馬場家住宅

松本市

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塩尻北ICから5分くらいの松本市郊外内田の鉢伏山の西麓にある本棟造りの住宅。江戸時代末期、嘉永4年(1851)に建築された主屋や諏訪藩主を客として想定した馬場家の特別な家格によって藩より建設を許可された門などがある。屋敷の敷地から縄文遺跡も発掘された歴史ある場所。縄文から近世まで続いている集落である。敷地の西側には馬場家の祝殿(神社)と欅の大木があり田が広がり、同家に遠慮したかのように宅地造成されておらず、豪農の威光を示している。

09:00-10:00

牛伏寺

松本市

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鉢伏山西山麓の真言宗の名刹牛伏寺。寺名の起源は、755年、善光寺へ大般若経を奉納する途中、経典を積んでいた2頭の牛が倒れたことから。近くの勅使牧である埴原牧などの経済力が寺を創建とも。中信地方の初詣の場所。鉢伏山は穂高神社の嶺宮(奥穂高岳)から見ると東南東方で冬至の陽が登るといわれる山で、その先は信濃の海である諏訪湖がある。

10:00-11:00

史跡埴原牧跡

平安時代の埴原牧跡(はいばらのまきあと)。近くの牧監庁舎の跡と共に保存されているのは全国的にも例は少ない。奈良・平安時代に急速に信濃には牧場が作られ、飼育に卓越する人達が入ってきたよう。自ら「馬」を名乗った蘇我氏と関係があるのか奈良時代、筑摩郡には「崇賀郷」があり現塩尻市「宗賀」として残っている。また平安時代は「洗馬」(せば)という荘園・牧があり現在も宗賀地区に洗馬が残っている。平安時代、朝廷に献上する馬を育てた御牧(勅使牧)は、全国に32あったが半数の16が信濃にあり、朝廷の信頼が厚く、関係を深くして行った様子が伺える。

10:00-11:00

埴原牧跡看板の近くに馬頭観音などをまとめてある。千石と古屋敷地区には、冬の間馬を繋いでおいたり、都へ送る直前に調教するときに飼ったと思われる馬屋(繁飼場:けいしじょう)跡がある。

10:00-11:00

埴原神社

埴原地区の真ん中にある神社。明治末に、産土神、建御名方命、八幡社など21の柱を合祀し「埴原神社」としている。御神馬が朝廷に献上され宮中で駒引の行事があり、それにちなんだ御神馬巡行行事が行われる。

11:00-12:00

松本市立考古博物館

松本市

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遺跡の宝庫である中山にある松本市立考古博物館は、地元出土品と市内の出土品を収蔵・展示している。文化財の指定を受けている弘法山古墳や桜ヶ丘古墳の出土品など、縄文時代から平安時代までの資料を展示。時代により朝廷、各地との交流ばかりではなく渡来人の流入も伺える。博物館周辺は小規模な円墳の古墳群が集積しており、馬飼人の墳墓だったのか。

11:00-12:00

松本市立考古博物館

松本市

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中学生の蟻の観察を端緒に発見、発掘された浅間温泉にある桜ヶ丘古墳。武器・武具とともに金銅製天冠が副葬され中期(5世紀後半)と判明。天冠は県内で唯一であり被葬者とヤマト政権とのつながり、作製されたとみられる朝鮮半島伽耶との関係が論議されている。

11:00-12:00

信濃牧監庁跡

博物館の直ぐ北側にあたる場所。平安時代に国府が筑摩郡に移庁し、国府と距離的に近い埴原牧には牧監(もくげん)がいて信濃16牧を統括していた。牧監は国司の次官に相当する官位を持っていた。 白い標柱が跡地を示すもの。礎石が残っており何らかの建物があったことは間違いないが、牧監庁であったか断定はできないので資料には「推定」としている。現在、太陽光発電のパネルにその存在が薄くなっている。馬飼人の墳墓と思料される円墳が多数あるが、前方の中山の中腹は中山霊園であり現在も墓地だ。

11:00-12:00

弘法山古墳

松本市

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中山丘陵の北端にある東日本最古級の前方後方憤。全長60 mを超す松本市内最大で、3世紀末の古墳時代初期のもの。中国製の鏡や鉄器、青銅器、ガラス小玉など祭祀にかかわるものが出土。東海地方西部に特有のパレス式土器もあり東海地方の勢力と関係が強い人物が被葬者と考えられている。

12:00-13:00

筑摩神社

松本市

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神社の資料では桓武天皇の御世、信濃国安曇郡有明村に八面大王という鬼賊が住み、近隣の村人に危害を与えていため坂上田村麻呂に討伐を命じ、京都の石清水八幡宮に祈願、霊験により信濃国国府に八幡宮を勧請したとしている。祭神:八幡大神(応神天皇)、神功皇后(息長帯比売命)、比売大神(宗像三神)。国府八幡宮とも称し安曇・筑摩両郡606ヶ所の神社の総社。足利時代からは信濃守護職である小笠原氏の祖神として崇敬された。6月11日、神社西側の飯塚(首塚)で八面大王の首領級120余人の慰霊祭を行う。しかし、石清水八幡宮の創建は坂上田村麻呂の死後であり神社の勧請の由来は時代的に矛盾する。地元の有力豪族を朝廷側が打ち破りその首塚を弔ったのでは。 具体的人数など首塚に真実味がある。

12:00-13:00

筑摩神社

松本市

「筑摩神社」を   >

筑摩神社の西側道路の西側にある飯塚(鬼塚:首塚)を祀る祠。後ろの盛り土が塚か。 なお、胴体を埋めた場所が大王わさび農場にある大王神社である。

12:00-13:00

筑摩神社

松本市

「筑摩神社」を   >

飯塚(鬼塚:首塚)の由来。八面大王ら幹部の首136を埋めたと書かれている。(神社資料では120人余)

12:00-13:00

万葉歌碑

薄川左岸(金華橋のたもと)の万葉歌碑。万葉集巻14東歌の相聞歌「信濃なる筑摩の川のさざれ石も君し踏みては玉と拾はむ」。万葉仮名で「ちくま」を「筑摩」と解釈したもので、「千曲」とした歌碑が千曲市にある。「千曲川」の方が全国的に有名になってしまったが、万葉時代では「筑摩」はあるが「千曲」はない。

12:00-13:00

須々岐水神社

松本市

「須々岐水神社」を   >

主祭神:薄川の神・建御名方命・素盞鳴命。「日本後紀」では延暦18(799)年、高句麗系渡来人が「須々岐」姓を賜ったとあり、この祖神を祀ったとも。諏訪神を祀っているが安曇族の祭りである「お船祭り」が盛大に行われ、9つの集落から9基のお船(県宝)が繰り出される。御柱祭も卯年と酉年に行われ、松本市の重要無形民俗文化財に指定。諏訪大社下社と同様、お船祭りと御柱祭の両方を行う。

12:00-13:00

針塚古墳

針塚古墳の所在する松本市山辺の薄川流域には多くの古墳が分布していたが、開発により多くが消失し針塚古墳が残るのみになったよう。5世紀後半の積石塚であると推測されており渡来人との関係が指摘されている。左奥の林が須々岐水神社の森。神社の鳥居から真っ直ぐ下るとここに来る。明治以降、「皇国史観」により古墳の調査が禁止されていたにもかかわらず盗掘はさかんで、特に神をも恐れぬ信州人はほとんどを破壊・盗掘してしまったと県の有名な古代史家が嘆いている。ここから長野市寄りの筑北村に安坂将軍塚古墳という積石塚古墳がある。

13:00-14:00

伊和神社(いわじんじゃ)

伊和神社は松本市惣社(そうざ)にある神社。地名から信濃国総社とも推定され、旧社格は村社。 正式名称は「伊和社」であるが一般には「伊和神社」と表記される。兵庫県の伊和神社(播磨国一宮)を勧請したとの説もあるが、元々あった信濃国総社に伊和神社を合祀したとも。祭神は「大己貴命」であり兵庫の伊和神社と同じ大国主である。神社の拝殿などは小さいが境内のケヤキは立派である。国府の跡地も定かではないがこの付近と推定されている。天武天皇が行宮(あんぐう)を造った「束間の湯」(浅間温泉か美ヶ原温泉)も近い。

14:00-15:00

ロイヤルホスト安曇野店

安曇野市内の味噌作りに参加していた妻達と合流。昼食。

16:00-17:00

AMBIENT 安曇野ホテル

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平安時代の御牧(勅使牧)であった安曇郡「猪鹿牧」(いがいのまき)があったとされる安曇野市穂高牧近くの常念岳山麓のホテル。バイキングでの「メタボ大王」の夕食。

2日目2018年2月12日(月)
07:00-08:00

AMBIENT 安曇野ホテル

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雪が舞う寒い朝。パンが美味しい。こちらも中国圏からのお客様が多い。スキーの帰りか。この谷の下の扇状地に国営アルプスあづみの公園や有名なゴルフ場がある。森林の中に穂高古墳群もあり、牧場にかかわった人達の墓か。

12:00-13:00

ココス安曇野インター店

午前中、安曇野の知り合いの家で子供達と遊び、こちらで昼食。

13:00-14:00

穂高神社

安曇野市

「穂高神社」を   >

穂高神社は安曇野市穂高に本宮、上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮。本宮の主祭神は中殿:穂高見命(ほたかみのみこと)。左殿:綿津見命(わたつみのみことー 海神で安曇氏の祖神)。右殿:瓊々杵命(ににぎのみこと)。延喜式では「穂高神社一座」とあり穂高見命が主祭神。しかし、福岡県志賀島を発祥とする海人安曇族の末裔としている。平安時代、サケを最も多く貢納したのは信濃であり、安曇族はサケを追って山国に入ってきたとも。穂高神社の位置は犀川と高瀬川、穂高川、烏川などの合流地点であり、今でも清冽な湧水地でワサビ田となっている。「御船祭」は白村江の戦いで戦死した大将軍阿雲連比羅夫の命日を起源として百済救護の氏族を讃え慰めたものとしている。

13:00-14:00

八面大王足湯

安曇野市

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穂高温泉郷にある足湯で八面大王という大きな8つの顔とにらっめこしながら浸かる。 お湯はアルカリ性単純温泉で掛け流し。 八面大王は、安曇野に伝わる伝説上の人物で「魏石鬼(義死鬼):ぎしき」の別称がある。出典となった『信府統記』に読み仮名がないため、正式な読み方は不明。やめのおおきみ(八女大王)と読んで、福岡県八女の古代豪族磐井との繋がりを考える説も。妻の「紅葉鬼神」ともども坂上田村麻呂によって討伐されたという『信府統記』の記述に基づく伝説が広く松本盆地一帯に残っている。『仁科濫觴記(にしならんしょうき)』に見える、田村麻呂を大将とする仁科の軍による、「八面鬼士大王」を首領とする盗賊団の征伐を元に産まれた伝説であるとも。

13:00-14:00

松尾寺(長野県安曇野市)

安曇野市

「松尾寺(長野県安曇野市)」を   >

足湯から5分位で松尾寺。信府統記によると1528年、仁科盛政を開基として創建されたとされるが、支族の古厩氏であるという説もある。『長野県史』では本尊を安置する薬師堂を造営したのが盛政で、創建自体は白鳳2年(651年)までさかのぼるとしている。江戸時代の十返舎一九の『続膝栗毛』にも登場する。明治時代の廃仏毀釈の波を受け衰退し、仁王堂と本堂(薬師堂、重要文化財)が残るのみとなったようだ。

13:00-14:00

松尾寺(長野県安曇野市)

安曇野市

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室町時代末期の特徴を残した建物で、長い軒のために支柱を建てた全国的に類のないものとしている。

13:00-14:00

安曇野市穂高郷土資料館

安曇野市

「安曇野市穂高郷土資料館」を   >

松尾寺の北隣にある。古代安曇族の生活史を物語る資料、天蚕関係資料、「きけわだつみのこえ」冒頭の上原良司の遺品が保管されているとのことであったが2月末まで休館であった。

14:00-15:00

有明山

安曇野市

「有明山」を   >

天照大神が岩戸にこもった際に、手力男命が岩を投げた時にここに落ち天下が明るくなった山であるとの伝説が山名の由来。古来から麓の人々に「信濃富士」と呼ばれ、霊山として崇拝されていた。西行法師が「信濃なる有明山を西に見て 心細野の道を行くなり」と詠み、藤原定家が「てりかはる紅葉をみねの光にて まつ月細き有明の山」と詠み、多くの詩で有明山が詠われた。民謡「安曇節」にも詠われる。(写真は前日)

14:00-15:00

有明山神社

安曇野市

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有明山を御神体とする山岳信仰の神社で、本宮(里宮)のほか、有明山山頂(中岳・南岳)に奥大宮がある。主祭神は手力雄命など7柱。大己貴命(おおなむち:大国主)と金比羅様以外は天岩屋神話の神様達。裕明門と手水舎は町の有形文化財に指定されており見る価値がある。日光東照宮の陽明門を摸したもので彩色はないがすばらしい。

14:00-15:00

正福寺(長野県安曇野市)

安曇野市

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有明山神社東側にある有名なそば店横の参道の山側に寺が見える。かつての有明山神社の神宮寺のような寺であるが廃仏毀釈により寂れたよう。仁王門と樹高28メートルの杉の大木がある。この寺の右手の山道を進むと「魏石鬼の岩屋」がある。

14:00-15:00

魏石鬼窟

安曇野市

「魏石鬼窟」を   >

正福寺不動堂から右手に山道を300m位歩くと「魏石鬼岩窟(ぎしきのいわや)」となる。ところどころに石仏が置かれて導いてくれるが、八面大王の慰霊と思うと寂しい山道だ。道には猿と思われる糞がたくさんある。野生の猿が群れをなしている。

14:00-15:00

魏石鬼窟

安曇野市

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考古学上では魏石岩窟古墳(有明D-1号墳)でドルメン式古墳とも。穂高古墳群の一つで海人の風習である洗骨葬に類似した埋葬が行われた形跡があり安曇氏の墳墓とも。坂上田村麻呂に対抗するために八面大王がたてこもったとの伝説も。

14:00-15:00

魏石鬼窟

安曇野市

「魏石鬼窟」を   >

岩上に八面大王の魂を鎮めるための観音堂があり、岩には磨崖仏も彫られている。天岩屋神話がある有明山と神社に対し、悲哀がこもる伝説と岩窟。筑摩神社の飯塚(首塚)など考えると、地元の山の民、蝦夷と安曇族、朝廷との争いがあったのか。

15:00-16:00

安曇野高橋節郎記念美術館(あづみのたかはしせつろうびじゅつかん)

漆芸家高橋節郎の生家に併設して建てられた美術館。日本を代表する漆芸家であり、伝統的な漆芸の上に斬新な意匠デザインの作品が多く、縄文から現代アートと表現してもいい魅力的な作品である。世界的にも評価されている。

16:00-17:00

大王わさび農場

安曇野市

「大王わさび農場」を   >

大王わさび農場正面に置かれた魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)のモニュメント。八面大王を朝廷と戦った原住民の英雄として讃えている。

16:00-17:00

大王わさび農場

安曇野市

「大王わさび農場」を   >

やはり美味しいわさびソフトを食べながら農場内を見学。

16:00-17:00

大王わさび農場(大王神社付近)

安曇野市

「大王わさび農場(大王神社付近)」を   >

大王神社。朝廷側と戦って殺された八面大王の胴体が埋められたとされる場所に建てられた。大王わさび農場の鎮守様でもあるとしている。

16:00-17:00

大王わさび農場(大王神社付近)

安曇野市

「大王わさび農場(大王神社付近)」を   >

有明山の魏石鬼の岩屋を再現したものらしいが、本物よりこちらの方が本当の岩屋のよう。案内板などには「南方より侵攻した大陸族との激烈なる攻防戦・・」としており、海人安曇族と地元の原住民との戦いとしている。坂上田村麻呂が討伐した地元住民を困らせていた盗賊とする朝廷側(筑摩神社、仁科神明宮)の伝承に対し、朝廷側に苦しめられていた住民のために戦った英雄との見方。

古代信濃 筑摩・安曇めぐりと八面大王

1日目の旅ルート

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