メタボ大王さんの長野県の旅行記

雪形を追って安曇野・大町へ
- 1日目2018年4月28日(土)
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11:00-12:00
常念岳に負けない盛りの「常念天丼」。山菜の天ぷらが食べきれない。まずは腹ごしらえ。県内の道の駅の食堂の中でもトップクラス。味、盛り、早い。
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12:00-13:00
道の駅の公園内にある臼井吉見文学館。旧堀金村出身で安曇野を全国に知らしめた評論家。大河小説「安曇野」をいまだ読破せず。典型的な信州人気質の人だ。
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13:00-14:00
国営アルプスあづみの公園(堀金・穂高地区)は烏川の扇状地、穂高古墳群の上に作られた広大な公園。常念岳の麓。常念岳の山名の由来がいくつかある。この山を開山した行者が常念坊だったとか、坂上田村麻呂に征伐された八面大王の手下が常念坊でこの山に住んでいたとか、穂高の万願寺住職だった常念坊がこの山を開山したとか。
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13:00-14:00
前常念岳の頂上中央直下に現れた雪形ネガ型(黒)の「常念坊」。徳利を下げた坊さんの姿。または托鉢用の鉄鉢でその下に徳利があるとも。その直ぐ左に現在も少し出現しているが5月中旬にはポジ型(白)の「万能鍬」が出現する。
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13:00-14:00
国営アルプスあづみの公園内の「常念坊雪形」説明看板。ここからだと木々に隠れ常念の頂上付近しか見られない。
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13:00-14:00
常念の雪解け水。夏でも凍るような冷たさ。烏川では真夏に水遊びもできるが、冷たくて心臓が止まりそうになる。もう堰堤から飛び込む勇気はない。
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13:00-14:00
数多くの品種があるチューリップ畑。四季を通じて草花が楽しめる。この付近の標高に縄文遺跡と古墳が集まり、これより下は湿地帯、「安曇湖」があったとも。ここを開発したのが安曇族で牧場もあった。
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14:00-15:00
常念岳の南にある蝶ヶ岳。左端が山頂。ここに「白い蝶」(ポジ型)が現れる。現在白い扇だけだが、真ん中に黒い筋が現れ「白い蝶」となる。右から二つ目のなだらかな尾根に「黒い蝶」(ネガ型)が現れている。姿の美しさでは白い蝶に一歩譲るが、蝶ヶ岳の名の由来は「黒い蝶」からとも。
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15:00-16:00
本年2月に訪問した時は冬期の休館中だった。縄文から近代までの穂高の歴史がわかる。漁業、天蚕、わさびなど。北穂高地区では、昭和初期まで犀川に遡上した鮭漁が行われており、水田利用の鯉の養殖も。入館料100円
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15:00-16:00
穂高「他谷遺跡」出土の広耳付壺型土器。安曇野に人が住むようになったのは約8千年前の縄文時代からで、この土器は使用の痕跡がないので祭祀に使われたものか。平成11-12年に発掘された遺跡は、縄文中期から後期まで2千年分の土器や竪穴住居跡45軒などが出土。そこへ弥生・安曇族が入り湿地帯の開拓と放牧をし、九州型横穴式円墳を作ったのか。
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15:00-16:00
NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の舞台となった旧松本少年院有明高原寮で現在、青少年の研修施設として使用されている。関連資料は郷土資料館に展示してある。
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15:00-16:00
穂高町郷土資料館の隣に松尾寺がある。本堂は室町時代の建築で国指定文化財。屋根に鬼瓦ではなく鬼が。以前に訪れた際に気が付かなかった。
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16:00-17:00
韓国第二位の仏教宗派「太古宗」の日本総本山「金剛寺」。宿坊「成穂院」は在日韓国人の信徒ばかりでなく一般人も受け入れる。穂高温泉郷の別荘地の中にあり天然温泉がある。本年4月に改築され部屋も風呂も綺麗でした。(写真は翌日)
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17:00-18:00
金剛寺の本堂。夕方5時からの祈祷体験に参加。韓国から3月に来た僧侶に促され、立ったり座ったり、五体投地のような姿勢など約30分、少し疲れた。午前5時、10時と1日3回の祈祷がある。体験は宿坊へ申し出る。お布施は宿泊料に含むとのこと。 厚い座布団と折りたたみ式低位の腰掛けがあるので足がしびれる心配はない。
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18:00-19:00
夕食は山菜・野菜などの精進料理。檀家さんが在日韓国人の方が多いので韓国風な味付け。メタボには体に優しい。酒類は自動販売機で。コーヒー、お茶が無料。1泊2食で6千円。キムチと青唐辛子漬けをサービスで追加してくれたが、青唐辛子漬けの辛さは半端ではない。
- 2日目2018年4月29日(日)
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07:00-08:00
早朝5時から僧侶が境内を読経しながら歩く。夕べの精進料理が効いたのか精力が漲る。朝食はパンと野菜のヘルシーメニュー。大きな梵鐘は韓国で製造されたものとのこと。
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09:00-10:00
池田町陸郷(りくごう)から見る有明山(右端)と左に大天井岳、東天井岳、横道岳と続く。東天井岳には「仔犬」の雪形が見られるがまだ雪が多いため出現していない。
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09:00-10:00
西の吉野、東の陸郷と称される山桜の名所。「桜仙峡」とも呼ばれている。自生した山桜が数千から1万本位あり見事である。アルプスが眺望できる癒やしの山里だ。来年は桜の時期に来たい。
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10:00-11:00
池田町陸郷から大町市民族資料館に向かう途中に国宝仁科神明宮がある。伊勢神宮の御厨であった仁科の地。天照大神を祭神とする伊勢神宮を勧請した同じ神明造の神社。こちらの本殿の千木と鰹木を確認した。千木は内削ぎ(水平)で鰹木は6本の偶数で女神。(3/25撮影)
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11:00-12:00
大町市社 宮本橋付近から高瀬川越しに西方。左から北葛岳、奥にとがったのは針ノ木岳か、大きな山容の蓮華岳。こちらには名だたる雪形はない。
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11:00-12:00
大町市社 宮本橋付近から見る北西方。左から爺ヶ岳の三つ頭、中央は双耳峰の鹿島槍ヶ岳、右奥に黒々とした岩峰の五竜岳。
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11:00-12:00
大町市民族資料館
大町市社(やしろ)にある大町市民族資料館。無料。広い体育館もある。縄文から仁科氏、塩の道関係などの資料がある。縄文というと八ヶ岳周辺が中心のようだが、こちらも仁科三湖(木崎湖、中綱湖、青木湖)など水も豊富で、自然豊かであり、豊かな縄文文化があったのではないか。早くに開拓されたため、埋もれてしまったのでは。
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12:00-13:00
安曇野からも見えるが大町市高根町付近から見る爺ヶ岳と鹿島槍ヶ岳。雪形が更に大きく確認できた。りんごの花も咲き始め、標高の高いこの地では桜の花も残っている。
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12:00-13:00
爺ヶ岳南峰直下の大柄な「種まき爺さん」。中央左の南峰の下に蓑(みの)を着け、笠をかぶって種をまく爺さんを想像して下さい。右側の主峰直下の黒の山形を応援に駆けつけた「婆さん」とも。爺さんの直ぐ右に二つの黒い部分があるが、これが「北の種まき爺さん」となり最後は鍬を担ぐ。北の種まき爺さんの方が山名の由来のようである。 安曇野から見ると南を「種まき爺さん」といい、大町あたりでは鍬を担ぐ北を「種まき爺さん」とも。いずれにしても二人の爺さんがいるが、驚くなかれ三人目の種まき爺さんが現れる。さすが爺ヶ岳。
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12:00-13:00
鹿島槍ヶ岳。中央左の頂上から右斜め下に走る黒い部分を追うと細い線となり、手前の山の稜線の上に、山から駆け下りる獅子がいる。獅子の頭と前足2本がわかる。その左手に空に向かって飛び立つツルが。旅行記巻頭の拡大写真の方がわかり易いか。
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12:00-13:00
大町市高根町付近から。左から蓮華岳、鳴沢岳か岩小屋沢岳、そして爺ヶ岳と鹿島槍ヶ岳。これから田植えが行われる。
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12:00-13:00
左から爺ヶ岳山系、中央が鹿島槍ヶ岳、右に五竜岳、更に奥に白岳、唐松岳か。黒い山容の五竜岳には「武田菱」が有名だが、今年は温かかったためかもう確認できない。
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12:00-13:00
大町市社から白馬連峰を望む。左から白馬三山(鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳)、小蓮華山、白馬乗鞍岳。
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12:00-13:00
左から杓子岳、白馬岳、手前に八方尾根、白い小蓮華山に雪形が。
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12:00-13:00
白馬連峰の北の端、小谷村の小蓮華山の「種まき爺さんと婆さん」。一番右寄りに鍬や籠を背負った「種まき爺さん」とその右に小柄な婆さん。(200mm望遠)
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12:00-13:00
小蓮華山から下がる斜面に仔馬、その左下に種まき爺さん、中央右のなだらかな山が白馬乗鞍岳で白い尾長鶏がいる。
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12:00-13:00
小蓮華山から右の白馬乗鞍岳への斜面上部に黒い「仔馬」。その直下、手前の黒い山の稜線の上が黒の「種まき爺さん」。右の白馬乗鞍岳の全面に白い尾長鶏。もう暫くすると下の方に長い白い尾だけが残る。その右に小さな種まき爺さんがいる。
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12:00-13:00
安曇野・大町にたくさんある夫婦道祖神。これは新しいものか。リンゴ畑の所有者が建てたものなのか夫婦の思いを知る。農業は夫婦が力を合わせないと難しい。自然は待ってくれない。特に神(カミ)さんの言うことは聞かないと。
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13:00-14:00
大町アルペンラインの扇沢に向かう道から少し入ったとことにある縄文遺跡。環状配石であるが、発掘を指導した大学の先生が時計の文字盤のように恣意的に建てたよう。
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13:00-14:00
黒丸●はその位置に石があり、○は他にあったものを並べたもの。いずれにしても横になっていたものをストーンサークルのように建ててしまった。
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13:00-14:00
北方の山は白沢天狗山か。その後方に爺ヶ岳。右端の長い石が東で、中央の縦三つが手前から南、中央、北の石でもともとあった位置。太陽や月の動きと比較すればいくらか意味がわかるか。時期を置いて訪ねることとする。
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13:00-14:00
階段状の深い竪穴があった場所。雪深いこの地ではより深い竪穴が必要だったのか。
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13:00-14:00
上原遺跡の竪穴があった場所。ここは埋め立てられ何もない。これこそ、各地の縄文遺跡のように想像の竪穴住居を作った方がわかり易い。竪穴は何カ所かあるようだが、全部をしっかり掘り、公園として整備すればいいと思うが。いずれにしても恣意的に建てたストーンサークルがネックだ。
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14:00-15:00
JR信濃大町駅から北方約1,5qにある若一王子(にゃくいちおうじ)神社。仁科神明宮の表宮に対し裏宮、弟社に当たる。神仏混合に多い両部鳥居。
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14:00-15:00
仁品王が伊弉冉(いざなみ)を祀り、更にこの地を治めた仁科氏がその祖神である仁品王と妻を合祀。更にその後、熊野権現の「若一王子神社」を勧請、この名を称している。
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14:00-15:00
江戸時代に建立された三重の塔。県宝となっている。十二支にあわせた人身獣面の彫刻が珍しく貴重のようだ。県内の三重の塔は10か所で、神社ではここと佐久市の新海三社神社だけ。神仏混合社殿だ。中信で唯一。時の文化と財力を示す。
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14:00-15:00
国の重要文化財である本殿は、一間社・隅木入春日造・檜皮葺である。赤い鬼瓦が乗せてある。昨日見た松尾寺の鬼瓦と同じだ。大北地方に独特なものか。千木はなく鰹木様の材は11本の奇数だ。
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14:00-15:00
若一王子神社の観音堂。神仏習合の神である若一王子は本地仏は十一面観音であり、天照大神あるいは瓊々杵尊(ににぎのみこと)と同一視された。神社拝殿にまさる茅葺きのりっぱな観音堂であり、神仏分離令があった明治以降でも分離することはできなかっただろう。
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16:00-17:00
アルプスに沈む夕日を撮るために再び池田町陸郷を訪れた。沈む太陽と登る月を撮りたかったが同行者の都合により山を降りた。
雪形を追って安曇野・大町へ
1日目の旅ルート
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