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メタボ大王さんの長野県の旅行記

古代科野(信濃)の国府・国造をさがす上田市の旅 その2

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  • 史跡・歴史

上田市における国府・国造をさがす旅2日目 千曲川左岸の塩田地区と浦野から青木村までの旧東山道沿い。上田市道と川の駅〜下之郷いにしえの丘公園(他田塚古墳、塚穴原第1・2号墳)〜生島足島神社〜安曽神社〜王子塚古墳(氷上王子神社)〜馬背神社東宮〜皇太神宮〜薬師堂万葉歌碑〜馬背神社西宮〜東昌寺〜大法寺〜東山道浦野駅跡〜道の駅あおき〜子檀嶺神社(里宮)〜戀渡神社〜保福寺峠。他田塚を含む下之郷古墳群の先にある生島足島神社は皇室との関係が深く、諏訪大社との関係も深い。古代「安宗郷」にある安曽神社は九州の阿蘇との関係は不明だが石上神宮の神戸の一つのよう。王子塚古墳の被葬者は天武天皇の孫の塩焼王らしい。東山道が開かれ繁栄した浦野地区、塩原牧があった青木村に往事の面影はなく、式内社「馬背神社」・「小檀嶺(こまゆみ)神社」もかつての繁栄を窺えるものはなかった。蝦夷討伐のための開かれた東山道により小県郡が栄え、天武天皇の孫塩焼王や敏達天皇に仕えた「他田氏」がいたことは推定できるが、信濃国分寺跡があり国府が置かれた可能性はあるものの、国造の存在については不明であった。しかし、栄枯盛衰、古代へのロマンは尽きない。

長野ツウ メタボ大王さん 男性 / 70代

1日目2018年8月3日(金)
10:00-11:00

上田 道と川の駅交流センター

上田市半過にある道と川の交流センター。かつて県道77号線は崩落の危険地帯であったが、トンネル工事等により国道18号の上田坂城バイパスとして見違えるようになった。道の駅もでき、トンネル工事で見つかった古墳もこちらに移築した。県内でもめずらしい馬と鹿肉の「馬鹿バーガー」がお勧め。昼食用のおやきなども買って出発。

10:00-11:00

馬肉と鹿肉の合い挽きパティと上田産米粉を練り込んだバンズのハンバーガー。小馬鹿、馬鹿、大馬鹿がある。馬肉とジビエは信州ならでは。鹿の角のアクセサリー、お守りも。

10:00-11:00

上田市半過岩鼻(はんがいわばな)の崖。千曲川を挟んで東側の崖が下塩尻岩鼻。前者は柱状節理が発達した石英角閃石ひん岩、後者は緑色凝灰岩(グリーンタフ)をそれぞれ主体とし、この地質の差異は崖間に「千曲川断層」が存在することを示唆しているよう。高さは約120メートル、平坦な崖上面には河床礫が見られかつての千曲川の河床の高さがうかがい知れる。これら2つの崖はもともと陸続きであり、これを千曲川が侵食したことで、現在のような川を挟んで崖同士が向き合う地形となった。それまで岩鼻上流は大きな湖であったとされ、これを由来とする民話や地名が東信地方(上小地域・佐久地域)の各所に残っている。湖の岩をネズミがかじって穴を開け、一気に流れた湖の水により大量のネズミが死んだとの伝説で、右手の山裾には「鼠」という地籍がある。辛みのネズミ大根で有名である。

10:00-11:00

いにしえの丘公園

上田市下之郷古墳群の中心部が「いにしえの丘公園」となって整備されている。塩田地区の通称東山と呼ばれ80近くあった古墳は破壊されたり不明となり40位があるよう。上田市の浅間テクノポリス構想の一環である上田リサーチパーク建設計画に先立って発掘調査されたよう。長野大、上田女子短大、県工科短大やマルチメディア情報デンター、企業の研究施設等ができ、上田のシリコンバレーの様相。

10:00-11:00

他田塚古墳(おさだづかこふん)

下之郷古墳群の代表「他田塚古墳(おさだづかこふん)」。円墳。直径約17m、高さ約4m。直刀、鉄鏃、轡、馬鈴状銅器、勾玉、管玉、ガラス臼玉、須恵器多数が発掘された。6C末から7C中の築造とみられている。下之郷塚穴原古墳群の一つであったが、科野の小県郡に名を残している「他田氏」の名をつけられたよう。信濃国分寺資料館に石室模型がある。この古墳の開口部は南西向きで、その先には生島足島神社と「安宗郷」がある。

10:00-11:00

他田塚古墳案内。敏達天皇の「他田宮」に仕えた者がこの小県に名を残しており、大和政権と小県郡が強いつながりがあったよう。

10:00-11:00

塚穴原第一・第二号墳

塚穴原第一号墳。他田塚古墳より一回り大きい円墳で他田塚より多い直刀などが出土しているが、装身具の耳環の質が落ち、勾玉、管玉などがなかったことから「他田」の名が付けられなかったのか。また、開口部が東南を向いているからか。

11:00-12:00

生島足島神社

上田市

「生島足島神社」を   >

いにしえの丘公園を下ると生島足島神社の大鳥居がある。神社から北東に延びたところだが、こちらにはかつては古墳しかなく、誰のために建てられた大鳥居なのか。東山に諏訪神を祀る山宮社と八坂刀売命(諏訪の妻神)を祀る御旅所社があり、それぞれから御柱を曳く「御柱街道」のよう。東山の古墳群に眠るご先祖様に見せるようなお祭りだ。上田のシリコンバレーはかつての「王家の谷」を含む墓地で神域だったのだ。

11:00-12:00

生島足島神社

上田市

「生島足島神社」を   >

式内社「生島足島神社」。東西南北に鳥居があり、こちらは東の鳥居。手前が南北に走る県道。案内看板には「国土の大神 日本の中央」と記されている。

11:00-12:00

生島足島神社

上田市

「生島足島神社」を   >

生島足島神社由緒。御祭神:生島大神、足島大神。大八洲の御霊、日本総鎮守。本殿の土間の大地が御神体。皇居にもこの二柱が祀られている。生島神は生国魂大神(いくくにたまのおおかみ)、足島神は足国魂大神(たるくにたまのおおかみ)とも称され、共に日本全体の国の御霊とされた。大阪の「生國魂神社」を勧請したか。

11:00-12:00

生島足島神社本殿内殿

上田市

「生島足島神社本殿内殿」を   >

生島足島神社御本社(ごほんしゃ):上宮(かみのみや)。神池に囲まれた神島に鎮座する御本社。拝殿の奥に本殿があり、内殿には御神体の土間があるらしい。社殿は北を向いている。下宮とされる諏訪神社と相対する。日本の中心なので、北辰信仰による天の中心である北極星を向いたのか。善光寺がほぼ真北になるので、守屋柱があり物部守屋を鎮魂するために建てられたとする説もある善光寺に向かい、この神社も物部守屋を鎮魂しているとの説もある。物部守屋の鎮魂の説のある四天王寺と生國魂神社と同じように。守屋の亡骸を河内から信濃に移したとの記録・伝承もあるようだ。北辰信仰のあった秦氏が関係しているとの説も。

11:00-12:00

生島足島神社摂社諏訪社本殿

上田市

「生島足島神社摂社諏訪社本殿」を   >

摂社の諏訪社。諏訪神社下宮(しものみや)。生島足島神社と神楽殿をはさんで北側にある。建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が諏訪の地に下降する途すがら、この地にお留まりになり、二柱の大神に奉仕し米粥を煮て献ぜられてたと伝えられ、その故事は今も御籠祭(おこもりさい)という神事として伝えられている。5か月も続けられる神事は、朝廷側(上宮)の軍門に降った諏訪神(下宮)が一体となる儀式ともいわれるが、朝廷への忠誠を誓った儀式とも。または、最後まで抵抗する諏訪の土着神をどのように征服するか相談したのか。

11:00-12:00

生島足島神社

上田市

「生島足島神社」を   >

生島足島神社境内の南西にある御歳代(みとしろ)。2坪位の田に稲が植えられていた。神社も数多くまわったが、御歳代は初めてであった。

12:00-13:00

安曽神社

生島足島神社から車で5分位の上田市古安曽に「安曽神社」がある。古代信濃国小県郡には「安宗郷」があり今の塩田とされている。九州の阿蘇の民が来たのではないかとの説があり安曽神社を訪ねた。阿蘇神社の系図では、日本最古の皇別氏族の多氏(おおし・おおうじ)の子孫に阿蘇君があり、その系譜に信濃国造「麻背君」がいた。

12:00-13:00

安曽神社由緒。境内社である奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)から勧請した「石上布留社(いしがみふるしゃ)」を安曽神社の地主神としている。安曽神社本殿祭神:大己貴命(大国主命)、建南方命(諏訪大社上社の祭神)、八坂刀売命(諏訪大社下社の祭神)。石上布留社の境内に後から安曽社を遷座したよう。社伝によると信濃権守(ごんのかみ)が阿曽山舎として再建したようで、権守がルーツの阿蘇の名をつけたのか。丁度夏祭りの準備をしていた氏子の方に聞いたが「奈良から来たという話しはあるが、九州とは聞いてない」とのことだった。

12:00-13:00

安曽神社の地主神「石上布留社」。石上神宮の主祭神、布留御魂(ふるのみたま)。物部氏の勢力地がこの地にあったのだ。欽明天皇期、石上神宮の神戸(ごうど)が全国に80あったが信濃に50あり、いかに物部氏の勢力強かったか。ちなみに大和20、吉備10である。石上神宮を信濃が支えていたのだ。もっとも、神戸ではなく、蘇我氏との戦いに敗れた一族が落ちのびてきていたかもしれないが。物部氏の始祖経津主神を祭神にする上野一宮の貫前神社、下総一宮の香取神宮だが、この頃は上野、下総には神戸がなかった。なお、布留氏は物部氏が吉備から来る前の土着の氏族とも。

12:00-13:00

安曽神社随身門。拝殿、本殿より立派な門。表が暗いので裏から撮ったもの。神仏習合の名残だろうが、郷社格の神社の門では県下でも一・二を争うのではないか。

12:00-13:00

王子塚古墳

安曽神社から県道を西に向かった新町に王子塚古墳がある。5C中〜後に築造された上田市周辺では唯一の帆立貝形前方後円墳である。条里制遺跡の南端にあり上田市でも唯一の平地につくられている。全長59.5mは市内最大である。写真のとおり階段が作られ墳頂には祠が置かれている。発掘がされていない古墳のよう。

12:00-13:00

王子塚説明。規模的にも国の史跡になってもいい古墳だが、上田地方の規模の大きな古墳には、神社や祠などが建てられているものが多く、いずれも国の史跡になっていない。地域の方が大切に崇敬してきた証しだが、考古学的には価値が下がるのか。

12:00-13:00

王子神社

古墳の南側にある氷上王子神社。右手に古墳がある。

12:00-13:00

氷上王子神社由緒。由緒では、桓武天皇の時代に新町の産土神として諏訪神と月夜見命を勧請し、その後、新田部親王(にいたべしんのう)の子氷上塩焼王を合祀したよう。新田部親王は第40代天武天皇の第10皇子で最終官位は大将軍一品。塩焼王は生母不詳ながら新田部親王の長男のよう。天武天皇は壬申の乱を制した際、東国の騎馬隊の威力を知り、多くの牧場があった信濃に関心を持ち、新たな都の選定を畿外では唯一信濃を選んでいる。都は無理との報告を受けても行宮を造らせようと視察させている。塩焼王がこの地にいたのか不明であるが、この地を「塩田」といい、神社がある場所は「新町」であり、古墳が小県地域最大であることから、塩焼王の古墳とみられる。関裕二著「図説古代日本のカラクリと裏側がわかる本」では、塩焼王と二人の子(氷上志計志麻呂と氷上川継)は死罪または流罪とされている。実権を握った藤原氏により天武系の王子がことごこく抹殺されている悲劇がある。古墳が築造され神社に祀られるケースはほとんどないようなので、この古墳が塩焼王とされれば、祟りを恐れた藤原氏により祀られた希なケースか。藤原氏の天下の時に、逆らって古墳など造れないだろうし。

13:00-14:00

馬背神社東宮

上田市浦野に式外社「馬背神社」がある。東宮、西宮と中心に皇太神宮がある。まず、東宮へ。浦野宿の高札場から少し西側の小路から山の中腹まで上がる。「馬背」とは馬が逃げないようにした棒で、牧の多かった信濃では、「馬背神」を祀る神社がある。「阿蘇家略系図」の科野国造系譜に、「神八井耳命・・・金弓君ー麻背君(又五百足君磯城島金刺大宮麻復科野国造)」とある。「麻背」は「馬背」に同じであり科野国造ということでこの「馬背神社」が気になった。今では、地元の方もあまり訪れない小さな神社だが、式外社ながら「三代実録」では貞観9年(867)には「従三位」の神位に叙せられている。同じ従三位だったのは、伊豆国「三島神社」や摂津国「生田神社」で、上野国(一宮)「貫前神社」は従四位上だった。東宮と西宮の二社合わせて「馬背神社」のよう。由緒の掲示がなかったが、「馬背神」と「建御名方富命」が祭神らしい。なお、「馬背社」については山ノ内町夜間瀬の「馬背社」との説もある。夜間瀬の「馬背社」はこちらより更に寂しく祠だけのよう。

13:00-14:00

皇太神宮

古代東山道沿いにある皇太神宮。東山道を往還した人々は先ずこちらにお詣りし、その後、「馬背神社」の東宮と西宮を参詣しただろう。こちらも往事を偲ばせるものはない。神社の裏の畑にいた農家の方は「昔は東山道でここが中心だったんだよ。今は寂れてしまったが。4つも神社があったが日吉神社は移ってしまった。米作りでは生きていけないよ」などと嘆いていた。浦野は大津の日吉大社の社領であり、日吉神社があったが、青木村殿戸へ移ってしまった。日吉神社が浦野の総社であったようで、総社がなくなり衰退したのか。

13:00-14:00

上田市浦野薬師堂の万葉歌碑

皇太神宮を北にすこし上がった薬師堂に万葉歌碑が建立されている。三角形の自然石に、元川西中学校長中村清山氏の揮毫で万葉仮名だ。訳文は「かの児ろと寝ずやなりなむはだすすき 浦野の山に月片寄るも」(万葉集14巻3565)。万葉仮名は「宇良野」としており、どのこ「ウラノ」がわからないが、東山道の浦野駅があり、大法寺、馬背神社などがあり、また相聞歌として前の歌が菅平ではないかとの説もあり、こちらに碑が建立されたよう。 

13:00-14:00

馬背神社西宮

馬背神社の西宮拝殿。東宮も西宮も案内看板がないので、畑仕事をされていた方などに聞いてたどり着いた。本殿と御神木だった枯れ木の覆屋は瓦屋根となっているが、ほとんど訪れる人がいない寂しい感じであった。新たな道が開くと古い道沿いはすたれてしまうことはどの時代でもあるが、寺社はその地域の経済力の証しでもある。

14:00-15:00

東昌寺

浦野の薬師堂から大法寺に通じる山道を登ると曹洞宗東昌寺がある。一段上にある山門がこちらを見下ろしている。山浦氏一族の菩提寺らしいが、山門と市文化財の鐘楼がすばらしい。山門の天井画は江戸時代の狩野休圓の弟子を名乗る方が描いたようだが、墨だけの龍が迫力もあるが、鳳凰、孔雀、麒麟、獅子などは色彩鮮やかである。鐘楼の彫刻も見事。

14:00-15:00

大法寺三重塔

青木村(小県郡)

「大法寺三重塔」を   >

青木村当郷にある天台宗の古刹大法寺。大宝年間(701-704)藤原鎌足の子の僧定恵によって創建された。室町時代までは36の坊を持つ大伽藍であったが戦乱で本堂を含めた境内のほとんどの堂宇を焼かれた。その後戸隠山勧修院の僧侶らにより再興されたらしい。「大法寺は科野国造他田氏の菩提寺」との資料があったので、拝観料の受付をしていた住職さんらしい方に聞いたところ「この地方では一番古い寺だけど、他田氏の菩提寺という話しは聞いたことがない。戸隠との関係は深いが」とのことであった。

14:00-15:00

大法寺三重塔

青木村(小県郡)

「大法寺三重塔」を   >

国宝大法寺三重塔。県下の三重塔で国宝なのはここと別所の安楽寺八角三重塔だけ。安楽寺のものが室町初期だがこちらは鎌倉期。「見返りの塔」という名で親しまれている。青木村の夫神岳と塩田平が一望である。東山道の往還者もここで同じ風景を見ていただろう。訪問者は誰もおらず、暫し、古墳・奈良時代に思いを寄せた。

15:00-16:00

東山道浦野駅跡

古代東山道の浦野駅跡。発掘調査による遺物から東山道の「浦野駅(うらののうまや)」があった場所として、史跡公園と休憩場所が作られている。場所的には青木村になる。「塩原牧」もあったが、東山道を往還する人々、蝦夷討伐に向かう何百、何千の兵士が宿泊したりしたので栄えていただろう。ヤマトタケル東征の碓井嶺(うすいのみね=碓井峠)がある浅間山山系の黒斑山もここから見える。

15:00-16:00

道の駅 あおき

青木村(小県郡)

「道の駅 あおき」を   >

施設も新しくなり駐車場の舗装工事などをしていた。後は子檀嶺岳(こまゆみだけ)。

15:00-16:00

子檀嶺神社

青木村(小県郡)

「子檀嶺神社」を   >

青木村田沢にある式内社子檀嶺(こまゆみ)神社里宮。中社が子檀嶺岳中腹に、山頂に奥社があるらしい。青木村は古代の「塩原牧」があり、子檀嶺岳は駒弓であり牧の鎮守だったよう。江戸時代までは田沢の中心街、東山道近くにあったらしいが、洪水で流され現在地に遷座したよう。田沢には田沢温泉があり、島崎藤村が「千曲川のスケッチ」で紹介している。足湯、外湯もあり、時間があればゆっくり。

15:00-16:00

子檀嶺神社

青木村(小県郡)

「子檀嶺神社」を   >

子檀嶺神社神楽殿は青木村ばかりではなく、上田盆地、浅間山山系まで見渡すことができる絶景の場所だ。相撲の土俵もあり、地域の人々の親睦に役立ってきただろう。現在の里社からは子檀嶺岳の山頂付近が見えるだけだ。青木村は古代の「塩原牧」で、自然豊かな中で軍馬が放牧されていた。

16:00-17:00

戀渡神社

田沢から青木まで下り沓掛温泉方向に右折、沓掛温泉入口手前を右折して県道181号線を入奈良本へ。「東山道」の標柱に古そうな鳥居や石碑がある「戀渡神社」がある。鬱蒼とした林の中を熊でも出ないか恐る恐る上ると車道でも上れることがわかる。神社の名前から恋人達が訪れるよう。

16:00-17:00

保福寺峠

上田市

「保福寺峠」を   >

戀渡神社から30分位で保福寺峠となる。晴れていれば北アルプスが見える。青木村と松本市が共同して建てた万葉歌碑がある。「信濃路は 今の墾(は)り道 刈りばねに 足踏ましなむ 沓(くつ)履(は)け我が背」。(巻14−3399作者未詳)信濃路の場所も不明であり、当時開かれたばかりの木曽路との説もあり、同じ歌碑が美濃国(岐阜県)から神坂峠を越えて信濃国(長野県)に入った神坂神社などにもあるらしい。 夕日を追いかけて山道を上ったが、行き会う車もなく非常に不安だった。松本市(旧四賀村)側に降りてほっとした。次回はゆっくりと温泉にでも入りながら巡りたい。

古代科野(信濃)の国府・国造をさがす上田市の旅 その2

1日目の旅ルート

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