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Yanwenliさんの滋賀県の旅行記

レンタサイクルで湖国を満喫。

  • 夫婦
  • 2人
  • 史跡・歴史

1日は高月駅を起点にして、湖北の観音巡りを楽しみました。それぞれ特徴のある観音像に感激しました。もう1日は堅田の湖族の郷資料館から、堅田の町を巡りました。自転車で湖国を満喫した2日間でした。

神社ツウ Yanwenliさん 男性 / 60代

1日目2018年8月17日(金)
18:00-19:00

今年は仕事が忙しく、なかなか休みが取れません。なんとか合間を見つけて湖国の旅に出かけました。1日目は移動のみ。長浜市で宿をとりました。

2日目2018年8月18日(土)
10:00-11:00

高月観音堂(大円寺)

長浜市

「高月観音堂(大円寺)」を   >

前日に長浜に宿泊したので、この日は朝から観音巡りに出かけられます。まずは高月駅の案内所で電動アシスト自転車をレンタル、高月観音堂に向かいます。湖北の観音様は、地域の方々が大切に守っていらっしゃいますが、無住職の寺も多く、地域の有志の方が交代で公開のための当番を務めていらっしゃいます。そのため、拝観するには事前の予約が必要なところが少なくありません。高月観音堂もその一つです。自転車を借りるのに手間取り、拝観をお願いしていた時間よりも少し遅れましたが、担当の方は笑顔で迎えてくださり、熱心に説明をしてくださいました。ここには十一面観音がいらっしゃいます。開祖伝教大師最澄の作と伝わりますが、技法や表現などから室町時代の作とみられるようです。今回、拝観した観音像の中で、もっとも素朴な仏様で、温かい雰囲気が感じられました。

10:00-11:00

西野薬師堂(充満寺)

長浜市

「西野薬師堂(充満寺)」を   >

高月観音堂から西へ、西野薬師堂を目指しました。以前、テレビ番組で十一面観音信仰は水害と関わりが深いと紹介されていました。その番組でも取り上げられていましたが、たびたびこの地を襲っていた水害を防ぐため、江戸時代の後期に、山の下に琵琶湖までの放水路が掘られました。「近江の青の洞門」とも呼ばれる「西野水道」です。その「西野水道」がこの近くにあり、見学することができます。さて、肝心の西野薬師堂ですが、ここも拝観にするには事前の予約が必要です。前々日に予約したときにだいたいの時間を確認され、「着いたら電話ください。」とのことで、到着して待つこと1分ほど、この日の当番の方が開けてくださいました。このお堂には名前の通り、薬師如来と伝わる仏様と十一面観音がいらっしゃいます。どちらも国の重要文化財にしてされています。薬師如来の方は珍しくその象徴ともいえる薬壺をお持ちではありません。平安時代中頃の作らしく、肩から腰にかけての流れるような衣紋が美しいのが印象的です。十一面観音様はやや重厚な印象を受けますが、腰をややひねった美しいお姿をされています。こちらは平安時代初期の作とみられています。さらに脇侍の十二神将像も魅力的です。何度も戦火をくぐり抜けて今に伝わる仏様を拝見し、地元の方々の信仰の深さが感じることができました。

10:00-11:00

正妙寺

長浜市

「正妙寺」を   >

このお寺は西野薬師堂と同じ敷地にあります。管理をされているのは、薬師堂とは異なる集落の方々のようで、薬師堂を拝観している間に連絡をしてくださり、待つことなくこちらも続けて拝観することができました。このお寺には、全国で唯一という千手千足観音がいらっしゃいます。実際には足は千本ありませんが、その独特のお姿は拝観してよかったと感じました。写真では何度か見たことがありましたが、写真で見るのと実際のお姿を拝するのとでは雲泥の差があります。江戸時代の作らしく、像全体に漆箔が施されています。お顔は憤怒の相で、頭の上に化仏を載せていらっしゃいます。あまり大きな像ではありませんが、その大きさ以上に迫力を感じる仏様です。

11:00-12:00

赤後寺

湖北に広がる田園地帯の中に、小高い丘があり、湧出山(ゆるぎ山)と呼ばれています。その丘の麓に木々に囲まれて赤後寺の本堂が建っています。ここには、聖観音像と千手観音がいらっしゃいます。二体ともに平安時代初期作とされ、国の重要文化財に指定されています。また、二体とも手が欠けていらっしゃいます。戦火から仏様をお救いする際に欠けたものだといいます。痛々しいお姿ではありますが、表情はどちらも凛とされており、やや暗いお堂の中に立っていらっしゃることもあり、厳かな雰囲気を感じます。また、このお堂には多くの絵馬が残されていますが、そちらも見応えがあります。

12:00-13:00

東アジア交流ハウス雨森芳洲庵

長浜市

「東アジア交流ハウス雨森芳洲庵」を   >

赤後寺から石道寺に向かう途中、近道だと思ってたまたま雨森の集落を通りました。どこか懐かしい感じのする、風情ある町並みの一角に、この雨森芳洲庵があります。雨森芳洲は、この地出身の江戸時代中期の儒学者で、朝鮮通信使を通して善隣外交を実践した人だといいます。語学も堪能で、通訳なしに朝鮮や中国の使節と話ができたので、江戸幕府と朝鮮の間に入って、難しい問題をまとめ上げたのだそうです。現在でも地元の方から篤く尊敬されている人です。写真は雨森芳洲庵ではありません。雨森の町並みです。

13:00-14:00

石道寺

長浜市

「石道寺」を   >

井上靖がその著書の中で「美人が一人立っている。」と表現した十一面観音は、やや坂を登った山腹のお堂にいらっしゃいます。唇にやや朱が残っていること、水瓶を持つ指の柔らかさなど、井上靖が「美人」と呼ぶのもうなずけます。平安時代中期の作としては、状態がよいのに驚かされます。このお堂には他に鎌倉時代作の持国天・多聞天などがいらっしゃいます。なお、ここは予約なしでも拝観することができます。

13:00-14:00

世代閣(戸岩寺収蔵庫)

長浜市

「世代閣(戸岩寺収蔵庫)」を   >

こちらも予約なしで拝観できます。しかし、地元の方々が共同で管理されているところは変わらず、案内してくださった方からその苦労をいろいろと伺いました。仏像の他に軸や屏風なども管理されていて、時々展示の入れ替えもなさるのだそうですが、なかなか修復のためのお金が工面できないそうで、ここの見学料などでまかっていらっしゃるとのお話でした。また、立派な収蔵庫を建てられたのは、以前、仏像の盗難にあったためで「(その仏様は)もう、日本にはないでしょう。」と寂しそうにおっしゃっていました。普通は己高閣から見学するようですが、団体の先客があり、こちらから先に案内してくださいました。平安時代初期作とされる十一面観音は、石道寺の仏様と比べると重厚な印象ですが、腰をややひねり、水瓶を持つ美しいお姿をされています。この収蔵庫で印象的だったのは七仏薬師如来と兜跋毘沙門天です。七仏薬師如来はその名の通り七体の仏様で、それぞれその表情が面白いと思いました。兜跋毘沙門天は渡来仏とかとも言われていて、両腕は失っておいでですが、その表情に味わい深いものがありました。

13:00-14:00

己高閣・世代閣

長浜市

「己高閣・世代閣」を   >

もう一つの収蔵庫、世代閣には世代山戸岩寺の仏様がお祀りされています。奈良時代作という薬師如来像は平安仏とは異なり、少し異国的な印象です。それにしても、幾たびの戦火の逃れてよくぞ残ったと思います。この収蔵庫では特に魚籃観音が印象的です。観音は三十三の姿に変えてこの世に現れ、衆生を救うとされていますが、魚籃観音はその三十三観音に数えられます。こちらの魚籃観音は、上半身が裸で下半身に裳をまとい、左手に魚籠を提げていらっしゃいます。その独特なお姿に魅せられました。もう一つ、十社権現(神像)が印象的でした。十体そろっておられるのは珍しいらしく、丁寧にお姿を拝見しました。この十社権現といい、同じ敷地にある神社といい、神仏習合の寺であったことがわかり、興味深く感じました。この後、高月駅に戻り、近江塩津駅経由で今夜の宿がある雄琴温泉を目指しました。

3日目2018年8月19日(日)
10:00-11:00

湖族の郷資料館

大津市

「湖族の郷資料館」を   >

3日目、宿のバスでおごと温泉駅へ。一駅だけ湖西線で北上し、堅田駅。路線バスに乗り、日祝日のみ停車する「浮御堂前」で下車すると、目の前が湖族の郷資料館です。ここで電動アシスト付きのレンタサイクルを借り、堅田の町の探訪に出発です。自転車に乗るほどもなく、本福寺に着きます。ここには芭蕉句碑があるので立ち寄りました。「病雁の夜寒に落ちて旅寝かな」という有名な句で、字は芭蕉の真筆と伝わります。寺を辞し、すぐ路地を入ったところにある其角邸跡の碑を見て、浮御堂へ向かいました。

10:00-11:00

浮御堂(海門山満月寺)

大津市

「浮御堂(海門山満月寺)」を   >

浮御堂の現在の建物は新しいものですが、浮御堂自体は古くからあり、一休、蓮如が滞在、芭蕉や、一茶、広重、北斎等も訪れ、多くの詩歌、絵画を残しています。この日は天気が良く、浮御堂からの眺めは最高でした。琵琶湖から吹いてくる涼しい風も心地よく、朝早い分、空いてもいたので、しばらくぼんやりと水面を眺めていました。

10:00-11:00

天然図絵亭庭園(居初家)

浮御堂から「堅田十六夜の弁」の碑に向かっている途中で、歴史を感じさせる建物があったので、湖族の郷資料館でもらった地図で確認すると、「天然図絵亭」とあります。なんだろうと思っていると、中から人が現れて、「見学ですか?」と訪ねられたので、そのまま見学することになりました。休日のみ予約なしに見学できるとのこと。大したことはあるまいと高を括っていたのですが、案内されて驚きました。琵琶湖とその東の山々を借景にした庭園の見事なこと。小ぶりながらもよく手入れされていて、植栽なども全体を邪魔しないように植えられています。庭に面して茶室があり、そこからの眺めが額縁に入った絵のように見えることから天然図絵亭と呼ばれているのだとか。ちょうどいい眺めの場所に座椅子が置いてあって、ゆっくり景色を楽しめるようにしてありました。浮御堂からの眺めとはまた違った楽しみがあると感じました。また、ここの茶室は少し変わっていて、炉が部屋の中ほどにはなくて、部屋の隅にあります。この部屋を作る時に、ここが茶室であるとあまり強く主張しすぎないように配慮されたものだという説明でした。事前に知らずに立ち寄りましたが、とても充実した時間を過ごすことができました。

13:00-14:00

神田神社

大津市

「神田神社」を   >

天然図絵亭から「堅田十六夜の弁」の碑を訪ねました。芭蕉は、この文章を書いた前夜にも観月を楽しみましたが、翌日も興趣なお尽きず、堅田の浦に舟を出して月を賞しました。その折のことを綴ったのが「堅田十六夜の弁」で、浮御堂を遠目に望む琵琶湖畔に碑が建てられています。昼間なので、月見の感興は湧きませんが、しばし景色を楽しんで次の目的地に向かいました。その後もいくつか文学碑をひろい、せっかく電動アシストの自転車を借りたのだから少し遠くまで行こうと、神田神社を目指しました。ここには国の重要文化財指定の本殿があると思って訪ねたのですが、それらしい標示がありません。 おかしいと思ったら、この地には神田神社が2つあって、こちらは下の神田神社と呼ばれている方で、重要文化財があるのは上の神田神社だということが分かりました。さらに遠くなってしまいますが、せっかくここまで来たのだからと、そちらも訪ねることにしました。上の神田神社の本殿は、さすがに重要文化財だけの風格があります。下の神田神社の方も檜皮葺で、これが重要文化財だと言われると、そうかと思ってしまうほど古い建物の雰囲気は持っています。両方訪ねてよかったと感じました。

14:00-15:00

勾当内侍の墓

大津市

「勾当内侍の墓」を   >

山手にある神田神社から湖畔へ戻り、勾当内侍の墓を訪ねました。勾当内侍は南北朝時代の武将、新田義貞の妻で、義貞死後は出家して尼となったと『太平記』に語られる女性です。小さな祠の後ろにある小さな石組みが勾当内侍の墓でした。

14:00-15:00

出島の灯台

大津市

「出島の灯台」を   >

勾当内侍の墓からさほど遠くない出島の灯台に来ました。ここからは琵琶湖大橋を間近に眺めることができます。灯台の横にベンチがありゆっくりすることができます。

14:00-15:00

祥瑞寺

大津市

「祥瑞寺」を   >

さて、今回の旅の締めくくりです。芭蕉句碑があるということで、この寺を訪ねました。訪ねてみて、ここに来て本当によかったと感じました。なんと言ってもお寺の雰囲気が抜群です。暑さが続いて苔はやや枯れ気味でしたが、木々の緑は濃く、苔の中に続く石畳の道も涼しげでした。ここを最後に今回の湖国の旅は終わりました。自転車を返すとき、レンタル料を少しおまけしてくださいました。今回、高月では、当初タクシーで観音巡りをしようかと思っていましたが、思わぬ発見もあり、自転車ならではの良さを実感しました。堅田では見所が比較的狭い範囲に集中しているので、レンタサイクルは必要ないかなとも思いますが、限られた時間で見て回るには有効であると思われます。琵琶湖大橋を渡るのもいいかもしれません。みなさんも是非、自転車を活用した旅を検討してみてください。

1日目の旅ルート

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