ろっきぃさんさんの旅行記

三内丸山遺跡で縄文時代にふれる。
- 1日目2016年8月13日(土)
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小高い丘の上にある特別史跡三内丸山遺跡。
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日本最大級の縄文集落跡です。
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「縄文時遊館」は三内丸山遺跡のビジターセンターです。
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青森に来たら一度は見たいと思っていました。
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縄文シアターでビデオを視聴し、ガイド付きで「時遊トンネル」を抜けて縄文遺跡へと入ります。
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縄文時代へタイムスリップです。
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丘の上に広がる特別史跡三内丸山遺跡です。
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地元のガイドはとても楽しい話をしてくれました。 案内板も随所にあります。
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これは「南盛土」です。
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「盛土」とは竪穴式住居を掘った時の土やゴミなどを置いた場所です。土器などが沢山見えます。
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竪穴式住居が見えます。
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よく柱の跡だけで復元できるものですね。
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子供の墓がありました。小さな壺に収められていたそうです。
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大人の墓は土葬だったようで、副葬品も出てきているそうです。
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長年住んでいたようで、高床式住居もあります。
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柱の跡はあるのに、囲炉裏の跡が無いので高床式だと考えられるそうです。
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高床建物が3棟あったようです。
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向こうには大きな建物が見えます。
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大型竪穴住居ですね。
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長さ10mほどのこの建物は、集会場と考えられて居るそうです。
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覆いのある建物には、大きな穴が6個ありました。中央には栗の木の柱の跡だそうです。
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直径1mほどの栗の木の柱の三階建ての建物だったようです。
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骨組みだけが復元されていました。 栗の木はロシアからの輸入で、何千万もかかったそうです。
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こんな高い建物は何に使ったのでしょうか? ロマンが広がります。
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少年に導かれて「さんまるミュージアム」へ行きます。
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翡翠の出土品があります。
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これは編籠(縄文ポシェット)で、縄文時代の技法を知る貴重な資料です。
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「大型板状土偶」は下に穴が開いていて、棒にさして飾ったのかもしれません。
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ガイドさん曰く、土器や土偶は子供の頃沢山出土していて、掘って遊んでいたそうです。
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「縄文ギャラリー」には沢山の縄文人が居ます。
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協力し合って生きていたのですね。
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縄文式土器作りは大事な仕事ですね。
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村を広げるために荒れ地を開拓したのでしょうね。
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子供も狩りの練習をしたのでしょう。
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時代は狩猟から農耕の弥生時代となっていくのですね。
三内丸山遺跡で縄文時代にふれる。
1日目の旅ルート
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