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よし@兵庫さんの兵庫県の旅行記

須磨の史跡を巡るみち

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3月10日に 加古川ウォーキング協会で 「美しい日本の歩きたくなるみち 500選 兵庫 須磨の史跡を巡るみち」の ウォークがありました。リーダーの為 その下見を 個人的に 再度 2月26日に 行ってきました。コースは・・須磨浦公園→敦盛塚→安徳帝内裏跡→現光寺→須磨寺→知慧の道→綱敷天満宮

兵庫ツウ よし@兵庫さん 女性 / 60代

1日目2019年2月26日(火)

須磨

「須磨」を   >

集合場所は、JR須磨駅南口です。

須磨

「須磨」を   >

駅付近にある「恵比須神社」

須磨浦公園

神戸市須磨区

「須磨浦公園」を   >

「須磨浦公園」の案内板です。 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町にある公園。 歴史的には源平の古戦場、一ノ谷の戦いの地としても知られ、神戸市指定有形文化財の「敦盛塚」などの史跡がある。また、与謝蕪村、松尾芭蕉、正岡子規、高浜虚子などの句碑も園内に設置されている。 サクラの名所としても知られ、神戸市の「花の名所50選」にも選ばれている。

須磨浦公園

神戸市須磨区

「須磨浦公園」を   >

「史跡 敦盛塚」の案内板です。

一の谷合戦800年の碑

神戸市須磨区

「一の谷合戦800年の碑」を   >

「一の谷敦盛卿」の標識です。

須磨浦公園

神戸市須磨区

「須磨浦公園」を   >

「一の谷合戦800年の碑」の後、「須磨浦公園」に戻ります。

須磨浦ロープウェイ

神戸市須磨区

「須磨浦ロープウェイ」を   >

「須磨浦公園」の近くに 「須磨浦ロープウェイ」乗り場があります。

須磨浦山上遊園

神戸市須磨区

「須磨浦山上遊園」を   >

「須磨浦山上」の梅が 綺麗とのことです。

安徳帝内裏跡伝説地

安徳天皇は、平清盛の娘の建礼門院徳子を母として生まれた悲劇の幼帝です。1180(治承4)年に2歳で即位しましたが、 1185(寿永4)年、壇ノ浦の戦いで平家滅亡とともに祖母二位尼にいだかれて入水したと伝えられています。この伝説地には、一時内裏がおかれたとのいい伝えがあり、 安徳天皇の冥福を祈って安徳宮がまつられています。 江戸時代には松尾芭蕉も訪れています。

安徳帝内裏跡伝説地

「安徳宮」の説明板です。

安徳帝内裏跡伝説地

「モルガン灯龍」の説明板です。

潮音寺(一の谷不動尊)

「磨崖仏」の説明板です。

山陽電車須磨駅

駅内にある モニュメント

関守稲荷神社

兵庫県神戸市須磨区にある神社。祭神は稲倉魂神。 名前の由来は、源兼昌が詠んだ百人一首のうちの一首に登場する須磨の関があったとされる場所に神社を建てたことから来ている。

村上帝社

「村上帝社」の説明板です。 兵庫県神戸市須磨区にある神社である。村上天皇を祀る。 この神社の創建について、次のような伝承がある。平安時代末期、琵琶の名人であった藤原師長は唐に渡って琵琶の奥義を極めたいと思い、都を出て、須磨まで来た。その夜、村上天皇と梨壺女御の霊が現れ琵琶の奥義を伝えたので、師長は入唐を思いとどまり、名器「獅子丸」を埋めて都に帰った。この伝承を題材として能の「絃上」(玄象)が作られた。この伝承に基づき、土地の人が村上天皇を祀ったのが当社であると伝えられる。 師長が琵琶を埋めたという琵琶塚は前方後円墳で、現在は一部面影をのこすものの山陽電鉄本線の線路によって二分されている。

村上帝社

「謡曲「玄象」(絃上)と村上帝社」の説明板です。

須磨寺(福祥寺)

神戸市須磨区

「須磨寺(福祥寺)」を   >

須磨寺の御朱印です。 須磨寺で頂いたのは、2回目です。

須磨寺(福祥寺)

神戸市須磨区

「須磨寺(福祥寺)」を   >

須磨寺の御朱印帳です。

須磨寺(福祥寺)

神戸市須磨区

「須磨寺(福祥寺)」を   >

「神戸六地蔵巡礼帳」を頂きました。

須磨寺(福祥寺)

神戸市須磨区

「須磨寺(福祥寺)」を   >

「新霊供養の地蔵巡りは古来3か年続けることになっています」とのことです。

須磨寺(福祥寺)

神戸市須磨区

「須磨寺(福祥寺)」を   >

御朱印帳を頂いたためなのか、「神戸六地蔵巡礼帳」を頂いたためなのか、どちらかわかりませんが・・ 御朱印集めは、去年2月から始めました。 その間、いろいろなお寺に行きました。 須磨寺で 「お線香」を頂きました。 お線香を頂いたのは、初めてです。 今まで 「お線香」について、深く考えたことはなく、お寺に行っても(墓参りは別ですよ)、あげていませんでした。 「お線香」を頂いたことをきっかけに いろいろと調べました。 この後、お寺を訪ねた時は、「お線香」をあげることにしています。

須磨霊泉

須磨寺の近くにあります。

須磨知慧の道

別名「須磨寺前商店街」です。

須磨知慧の道

「弘天さんの由来」の説明板です。

須磨知慧の道

旗もあちらこちらにあります。

須磨寺前商店街

「須磨寺前商店街」の入り口です。

綱敷天満宮

神戸市須磨区

「綱敷天満宮」を   >

綱敷天満宮の御朱印です。 綱敷天満宮の御朱印は、毎月 変わることは知っています。 ですが、今回 年によっても 変わること 知りました。 去年も 2月に行っています。 絵も 言葉も 変わっています。

和田岬灯台

「旧和田岬灯台」の説明板です。 兵庫県神戸市の和田岬に建てられた灯台である。1964年(昭和39年)に和田岬から須磨海浜公園に移設保存されている。 1867年(慶応3年)4月幕府は英国との間で結んだ大坂条約の中で5基の洋式灯台の建設を約束した。和田岬灯台はこの中の一つで兵庫の開港を前に設置されたものである。 初代の灯台は1871年(明治4年)に完成し、1872年(明治5年)10月1日に初点灯された。このときの建物は八角型の木製灯台で、後に1884年(明治17年)二代目となる鉄製灯台に改築され、1963年(昭和38年)に廃灯になるまで神戸初の水族館「和楽園水族館」や和田岬砲台などのあった和田岬に設置されていた。 現在残る鉄製の灯台は「日本の灯台の父」と称されるイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンによって設計されたもので、高さが15.76メートルの三階建て、初代とは異なって六角形の形をしている。またこの2代目灯台は現存する日本最古の鉄製灯台で歴史的文化財的価値が高く、1998年(平成10年)には旧和田岬灯台の名称で国の登録有形文化財に登録された。 地元周辺の住民には「赤灯台(あかとうだい)」の愛称で親しまれている。

和田岬灯台

登録有形文化財です。

和田岬灯台

近代化産業遺産です。

和田岬灯台

「国登録有形文化財 旧和田岬灯台」の説明板です。

須磨海浜公園

神戸市須磨区

「須磨海浜公園」を   >

「須磨海浜公園案内図」です。

現光寺

「源氏物語」の主人公光源氏の住居跡と伝えられ、もとは「源氏寺」ともいわれていました。境内には松尾芭蕉の三段切の名句「見渡せば 眺むれば見れば 須磨の秋」の碑や正岡子規の句碑があります。寺の近くに「藩架」とか「ヤグラ」という字名が残されていることより、古代の須磨の関跡だともいわれています。

現光寺

「明治天皇須磨御休所」の石碑です。

現光寺

「謡曲「須磨源氏」と現光寺」の説明板です。

現光寺

「風月庵跡」があります。

現光寺

「須磨の関跡」の石碑です。

現光寺

「史跡 芭蕉翁之句碑」の石碑です。

1日目の旅ルート

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