たかちゃんさんの北海道〜鳥取県の旅行記

2019日本遺産 北海道三笠・赤平
- 夫婦
- 2人
- 史跡・歴史
今回は普通の人から見ると少しマニアックな旅(ドライブ)ではないかと思います。堅い話で申し訳ありませんが、今年の5月に文化庁が認定する2019年度の「日本遺産」が発表されました。北海道からは『本邦国策を北海道に観よ!〜北の産業革命「炭鉄港」〜』と題した北海道中部にある空知地方の旧炭鉱都市、そして製鉄で発展した室蘭市、それらを輸送した港町小樽市の熱心な取り組みが評価されてこれら一体の都市が日本遺産の認定を受けました。特に炭鉱については私もかねてから関心のあった分野だったので今回三笠・赤平の過去に訪れていない場所も含めて散策(探検?)してきました。単に産炭地の栄枯盛衰としてだけでなく産業遺産として歴史的な価値を再確認できたような気がします。

北海道ツウ たかちゃんさん 男性 / 70代
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- 3コメント
- 1日目2019年6月14日(金)
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
幌内炭鉱跡を訪れました。春にも来たのですがその周囲の変わり様にはびっくりです。木々や雑草が生い茂り全容をとらえられない施設も多かったです。でも三笠市のジオパークの案内図はとても見やすく分かりやすいのでありがたいです。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
整地等で使ったのでしょうか。緑が生い茂る中に小型の重機が捨てられたように置いてありました。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
直径が20mくらいありそうなシックナーという施設の跡です。 石炭が含まれた水を浄化するためのものだそうです。草木をかき分けてここまで来ました。雑草が生い茂りちょっと離れると存在自体がわからない場所です。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
4月28日に訪れたときの同じ場所の写真です。これだとほぼ全容がわかります。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
選炭場にある積み込みポケットの台座だったそうです。半分から下は見えませんが柱の形はかなりゆがんでいます。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
4月28日のときの写真です。雰囲気が全然違いますね。一見古代ローマ遺跡を思わせる形状です。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
この左奥に常磐抗の坑口があって、これは採掘した石炭をベルトコンベアーで巻き上げる施設だったようです。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
4月28日の同じ場所の写真です。このときは周囲にはまだ一部雪も残っていました。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
野草のフランスギクが一面に咲いています。よくマーガレットと言う人がいますが種類が違い野原や山に咲く外来種です。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
選炭場の微粉を乾燥させる施設だと思われますが、ほぼ姿はわかりません。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
角度は少し違いますが同じ場所の4月28日の写真です。こんなに違います。
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10:00-11:00
旧幌内炭鉱跡
石炭または関連の機材を運んだのでしょうか。木製のトロッコが草むらの中にぽつんとありました。木は半分腐れかかっています。
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11:00-12:00
幌内炭鉱の閉山で閉鎖された旧変電所跡です。横には幌内神社があります。
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11:00-12:00
1919から年から1989(平成元)年まで稼働していました。当時は夕張市の北炭清水沢火力発電所から送られてきた電気を変電していたそうです。レンガ造りのモダンな建物で当時としてはかなりインパクトのあるデザインだったと思います。
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11:00-12:00
建物のすぐ横には昔のままの送電線が張り巡らされています。そばには陶器のガイシも散らばっていました。
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11:00-12:00
旧幌内神社
変電所のすぐ横の階段を登ると幌内神社があります。神社本殿の建物自体はもうありませんが、神社があったことを示す真新しい石碑だけが建っています。ただこれもかつての神社がなくなったことを惜しむ個人の方が寄贈されたもののようです。強風による倒木が生々しく残っていました。
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11:00-12:00
旧幌内神社
1対の狛犬が鬱蒼とした森の中で睨みを効かせています。
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11:00-12:00
旧幌内炭鉱常盤抗
神社から5分ほど歩くと1938年に掘削の効率化のためにベルト斜坑として開抗した常盤坑があります。
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11:00-12:00
旧幌内炭鉱常盤抗
ここには本抗と副抗の2本の坑口がありました。赤く錆びたパイプが坑口から出ていましたが、帰宅後調べてみると坑道の中のガス抜きのためであることがわかりました。以前は目視できるほどガスが出ていたこともあったそうです。ガス爆発等の危険と隣り合わせだった炭鉱の怖さを改めて感じました。
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11:00-12:00
坑口神社
常盤抗のすぐ横に坑口神社がありました。神社といっても小さな鳥居と祠だけのささやかなものです。事故がつきものの炭鉱では安全を祈願する神社の役割はとても大きかっのでしょう。
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12:00-13:00
更科食堂
三笠市
市内幾春別地区にある大正15年創業の趣ある佇まいの昔懐かしい食堂です。周辺にはいくつもの大きな炭鉱があったので、大正、昭和、平成と時代を重ねる中どれほど多くの炭鉱マンや家族たちがここに通ったことでしょう。今も人気のお店で札幌や道外からもお客さんが訪れ、週末などは待ち時間もあるようです。
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12:00-13:00
更科食堂
三笠市
そばをいただきました。はじめに海苔をよけてたれなしの蕎麦のみでいただきましたが香りはそこそこです。きれいな真っ白な更科蕎麦で手打ち感があり、のど越しはよかったです。
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12:00-13:00
何回も訪れていますが、三笠に来るとやはりここは外せませんね。1900年開抗、1971年に閉山した奔別炭鉱ですが、当時東洋一と言われた立坑櫓の存在感は圧倒的です。ただ、公開日ではないので敷地の外からしか見学できないのが残念でした。
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12:00-13:00
全長100mほどあるホッパー(精炭された石炭を貨車に積み込むための施設)がとても迫力あるのですが、敷地外からは木や草に覆われて一部しか見えません。
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12:00-13:00
前回4月28日の敷地内公開日の写真です。見比べて下さい。むき出しの錆びた鉄骨が当時の爆発の生々しさを物語っています。
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12:00-13:00
4月28日のホッパーの中央部の写真です。あちこちのとトタンが剥がれてきて崩壊寸前のような気がします。
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12:00-13:00
これも4月28日のホッパーの写真です。昨年まで許可を得ると中にも入れたそうですが、今年からできなくなりました。老朽化から考えると当然かもしれませんがとても残念です。私はこういう朽ちた歴史遺産が大好きです。惚れ惚れするほど美しく感じます。
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12:00-13:00
4月28日のホッパー横から見た写真です。中には入れませんが外側から見える内部を撮影しました。白く対称的なギリシャ建築のような柱、カビの生えた天井、崩れ落ちそうなトタン屋根。私にとっては美の極致です。たくさんの炭鉱マンたちが煤けて真っ黒になった顔で汗を流しながら働いていた姿が目に浮かんできます。
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12:00-13:00
三笠市博物館本館裏の幾春別川の橋を渡り、歩いて10分程の場所にあります。2週間ほど前に訪れたのですが、熊出没のために橋の手前で立ち入り禁止になっていました。まあ北海道の旧炭鉱跡は全てがこんな場所です。以前も出かけた所がよく熊情報で立ち入り禁止になっていました。私も熊除けのために出かける際は毎回ホイッスル持参で鳴らしながら歩きます。鈴もありますが、それよりも効果があると思いますよ。
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12:00-13:00
幾春別炭鉱は1886年に開鉱し1957年に廃鉱となった炭鉱でかなりの歴史があります。この櫓も1920年完成で現存するものの中では道内で最も古い立坑櫓です。
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12:00-13:00
今回一番訪れたかった場所です。雪解けの時季にも来ましたが、再訪です。「天空の城ラピュタ」の最初に出てくる鉱山のような雰囲気に似ている感じがとても好きです。周囲の緑と赤錆びた鉄骨との対比がたまらないですね。
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12:00-13:00
櫓の隣にはレンガ造りの立坑と巻揚室があります。
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12:00-13:00
巻揚室の壁にはツル植物が覆ってきていました。これからさらに広がっていくのでしょうね。まさに自然と人工物が共生している空間です。
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12:00-13:00
巻揚げの機械にもツルが巻きついてきています。新緑と産業遺産の融合がいい雰囲気を醸し出しています。もう1か月もするとすべて見えなくなるかも知れませんね。
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12:00-13:00
巻揚室の中ですが、ほとんどの機械は撤去されています。元々は白い壁だったのでしょうが、カビや苔が生えてきたりしてかなり変色しています。
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12:00-13:00
オートでは暗すぎるのでカメラの露出はプラスにしています。薄暗い空間の隙間から眩しい光が室内に届きます。・・・・・・静寂の世界です。
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12:00-13:00
赤黒く錆びた頑強な巻揚機が歴史を感じさせます。
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13:00-14:00
昨年完成した旧住友赤平の炭鉱遺産施設ですが、前回の訪問は資料館の見学だけでした。今回は是非ガイド付き見学ツアーに参加したいので急いで移動し、13:30の開始時刻にぎりぎり間に合いました。
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13:00-14:00
他の旧炭鉱遺産と違って枯れてさびれた雰囲気が全くありません。今でも稼働していそうなりっぱな外観です。
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13:00-14:00
はじめに資料館でこの旧住友赤平炭鉱の概略と見学ツアーの注意事項の説明を受けてからヘルメットをかぶり、立坑の中へ進みました。
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13:00-14:00
すごい!広い!新しい!予想を超えた驚愕の世界です。今すぐにでも動き出しそうな機械がいっぱいです。ここは1938年に開抗し1994年に閉山するまで稼働していた比較的新しい炭鉱でした。
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14:00-15:00
坑口から坑内へと人を運ぶトロッコです。多い時で5000人の従業員がいたそうです。
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14:00-15:00
立坑の中はほとんど傷みがなくきれいでした。開抗当時で20億円(現在で換算すると200億円だということです)かかった施設だそうです。事故らしい事故もほとんどない優秀な炭鉱でした。
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14:00-15:00
立坑の櫓は高さが約44m、深さは650mです。
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14:00-15:00
もちろん火気厳禁なので坑内に入る炭坑夫の人たちはほぼ裸同然でライターやマッチ等の危険物を所持していないかどうかのチェックを受けたそうです。
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14:00-15:00
立坑の2階にも案内していただきました。左の人間と比べても巻き上げ機のとてつもない大きさがわかると思います。この機械を動かして人や物を地下深くまで運んでいたのですね。
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15:00-16:00
制御室のような場所がありました。
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15:00-16:00
すぐ横には博物館にあるような懐かしい電話機もあります。
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15:00-16:00
閉山時の1994年のカレンダーがかけてありました。時間が止まったまま25年が経過したのですね。国のエネルギー政策の変更によって仕事を失い、故郷を離れた方もたくさんいたのでしょうね。
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15:00-16:00
20年以上前までこれらのメーターで抗内のシステム管理をしていたのでしょう。ただ、見た目は本当に新しいです。ピカピカの機材です。
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15:00-16:00
別棟の倉庫にも案内していただきました。すさまじく大きな採炭機械です。私たちはややもするとつるはしや手持ちのボーリング機械をイメージするのですが、ここは最新式の技術や機械を取り入れていたようです。
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15:00-16:00
自走枠のダブルレーシングドラムカッターという採炭の機械です。各部品ごとに坑内に運んで現場で組み立てたそうです。採掘した後、運搬車も連結して運べます。こちらではこのような最新式のハイテク機材がたくさん展示されていました。ガイドさんのお話では、北海道の炭鉱にはまだまだ莫大な埋蔵量の石炭があるそうです。しかし、現在日本では何億トンもの石炭を海外から輸入して工場等で利用しているそうです。採算の問題なのでしょうが、このような最新式の機械が使われないまま眠っている現実を考えると何か割り切れない気がしました。でも、今回現在の日本の発展を築いた原動力である石炭の歴史をより深く学べたことは私にとってとても良い体験となりました。
2019日本遺産 北海道三笠・赤平
1日目の旅ルート
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