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こぼらさんの三重県の旅行記

伊勢神宮を支えた斎宮と田丸城

  • 家族(子連れ)
  • 2人
  • 芸術・文化
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斎宮跡と田丸城跡を見てきました。斎宮と田丸城は、時代や仕組みは違っていても、どちらも伊勢神宮を支える役割を負っていたので歴史的興味を感じたのです。 天皇家の氏神であり、全国の神社の頂点に立つ伊勢神宮を、天皇家と朝廷が崇敬するために設けられた斎王制度と斎宮。斎王とは、天皇が即位するたびに選ばれた未婚の皇女で、天皇の御名代として伊勢神宮に仕えました。また斎宮とは、斎王が起居した御殿や、斎王に仕える大勢の官人たちの役所・斎宮寮の総称です。近年の発掘調査で都のような町並みだった事が判明し、一部ながら復元・再現が進んでいると聞き、行ってみました。 次に、斎宮跡から近い田丸城跡を見てきました。田丸城も伊勢神宮を支える拠点でした。南北朝時代に斎王制度や斎宮が消滅した後、経済的基盤を失い衰退しつつあった伊勢神宮を管理下に置き維持をはかったのは、公家大名で伊勢国司の北畠氏でした。北畠氏が伊勢神宮掌握のために設けた拠点が田丸城だったのです。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代

1日目2019年6月16日(日)

明和町観光案内所

明和町(多気郡)

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初めて訪れた斎宮跡は、想像していたよりもはるかに広いエリアでした。 斎宮跡は、斎王が住んでいた御殿の遺跡だと思っていました。実際は、東西2キロ・南北700メートルにも及び、都のように碁盤の目状の区画を備えた官庁街の遺構だったのです。 広いエリアに、「斎宮歴史博物館」や「さいくう平安の杜」、「いつきのみや歴史体験館」など博物館や体験型学習館が点在しています。どのように見て回ったら良いのかわからず、まっ先に明和町観光協会に寄りました。期待通りに、散策マップや施設パンフを頂きました。

明和町観光案内所

明和町(多気郡)

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明和町観光協会の中の様子です。「今どこにいて、どこから見て回ればいいのか?」という不躾な質問にも、スタッフの方が資料を広げて丁寧に応対して下さいました。 スタッフの方が言うには、「初めて来る人は、皆さんが広さに驚かれます。」との由。戸惑ったのは私だけではないようです。

斎宮跡

明和町(多気郡)

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明和町観光協会で頂いた散策マップ「斎宮てくてくマップ」や、各施設のパンフです。「斎宮てくてくマップ」によれば、広い斎宮跡の見所を全て見て回るには、歩いて移動するだけでも50分程度かかります。7ヶ所ある見所を丁寧に見ていたら、少なくとも3時間は必要になります。 1時間ほどで見て回れるだろうと甘く考えていたので、今回は様子見で来たこととして、後日あらためて訪れ、じっくり時間をかけて楽しもうと決めました。

さいくう平安の杜

明和町(多気郡)

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斎宮の長官がいた正殿(中院)が再現されています。中院は、斎王に仕えていた主神司(かんづかさ)や膳部司(かしわでのつかさ)など13種の司が執務を行っていた外院と合わせ、斎宮寮庁の中心でした。発掘調査によって判明した場所そのものに再現されているそうです。 西脇殿では、正殿入り口に長官が立ち、前の広場には大勢の司や官人たちが並んでいる様子を、タブレットPCでリアルCG映像で見る事ができます。

さいくう平安の杜

明和町(多気郡)

「さいくう平安の杜」を   >

正殿の斜め前にある西脇殿。正殿と同じく、往時と同じ場所に再現されています。屋内での儀式や、儀礼にともなう饗宴が行われた建物と考えられています。 「さいくう平安の杜」の見学では、正殿には入れず、西脇殿に入ってボランティアスタッフさんの解説を聴きます。タブレットPCがハンディモニターとして用意されていて、平安時代の壮麗な斎宮寮庁の様子(小さな都のようです)を、見る方向を変えて立体的に見る事ができます。CGですが、とても良くできていて必見の価値有りです。

いつきのみや歴史体験館

明和町(多気郡)

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平成11年に開館し、平安貴族の邸宅がモデルの建物です。無料で入館できます。 見た時は、斎王の住まいであった内院(御殿)を復元したものかと思いましたが、平安時代の貴族の寝殿造り邸宅を再現したものでした。 斎宮が最も栄えて華やかだったのは平安時代初期のようですが、その頃の斎王や王朝人たちが楽しんでいた遊び道具や装束が屋内に展示されています。ボランティアの方の指導付きで、盤双六や貝覆いなど平安貴族の遊びを体験することができます。1日2回、平安貴族の装束を試着できるイベントも開催されています。 屋外には古代米を栽培している水田がありました。

いつきのみや歴史体験館

明和町(多気郡)

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屋内で一番目立っているのは、斎王が都から斎宮まで乗ってきた葱華輦(そうかれん)です。御輿の一種です。御輿の屋根のてっぺんにある飾りが、葱坊主の形をしているから、こう呼ばれるのでしょう。時間は限られますが、葱華輦に乗ることもできるそうです。 葱華輦の隣には盤双六を体験できるテーブルがいくつか用意されていました。奥では、畳敷きの上で貝覆いを体験しているご年配の方々がいました。いずれもルールを教えてもらわないとできませんので、ボランティアスタッフの方が指導して下さるようです。

斎宮跡

明和町(多気郡)

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「いつきのみや歴史体験館」の隣には「斎宮跡歴史ロマン広場」があり、斎宮史跡全体が10分の1スケールで再現されています。斎王が住んでいた御殿はじめ、斎王に仕えていた官人たちの官庁街であった斎宮寮の建物も含めて、10分の1スケールのジオラマで再現されています。 斎宮には建物がたくさんあった事が発掘調査でわかってきているものの、二つの謎があるのだそうです。一つは、ほとんど瓦が出土しないこと。もう一つは、礎石も出てこないことです。 そうです、斎宮の建物は掘立柱で桧皮葺き(または茅葺き)だったのです。発掘調査で、大小の約4,000棟もの建物跡が見つかりましたが、ほとんどが掘立柱の建物だったという事です。

斎宮跡

明和町(多気郡)

「斎宮跡」を   >

「斎宮跡歴史ロマン広場」にある斎宮寮の再現建物(模型)。高床式で、千木や鰹木を屋根に備えた建物がありました。社殿なのでしょうか。奥の平安時代風「いつきのみや歴史体験館」建物と見比べると、斎宮では飛鳥時代の建築様式が用いられ続けていたことがわかります。 伊勢神宮の正殿も飛鳥時代の神明造・掘立柱・桧皮葺きですので、斎宮も合わせていたのだろうと考えられています。掘立柱は柱が腐りやすい弱点がありますが、伊勢神宮には遷宮という制度がありますので、そんな心配はしなくて良いのです。斎宮も、神宮の遷宮や斎王の交替を機に建て替えられていたのかもしれません。

斎宮寮の敷地には、碁盤の目状の区画(方格地割)が施されていました。これも10分の1スケールで再現されています。このサイズだと、区画割りで売り出された宅地にしか見えません。しかし写真右手の建築群模型と見比べると、一つの区画にはいくつもの建物を建てられるだけの広さであった事がわかります。

斎宮のハナショウブ群落

明和町(多気郡)

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「いつきのみや歴史体験館」の近くには、古代米が栽培されている水田が広がっていて、休耕田とおぼしき場所にハナショウブが花を咲かせていました。6月の水田なので、水が溜まっていて近寄ることができないのが残念でしたが、より自然に近い形でハナショウブが見られました。 ちなみに写真奥に写っている建物について、右端が「さいくう平安の杜」の正殿で、左端が明和町観光協会が入っている建物です。

斎宮歴史博物館

明和町(多気郡)

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今年で開館30周年を迎える斎宮歴史博物館。斎宮跡にある施設の中で、ここだけは有料となっています。大人340円ですが子供は無料です。有料なだけの展示があり、斎王群行の旅を再現した映画(18分)と、斎宮跡の発掘調査や学術調査の成果を描いた映画(12分)は理屈抜きに面白いです。 斎王群行の映画では、斎王に任ぜられた幼い皇女が都を発ち斎宮に到着するまでの6日間を描いていて、いろいろな苦難があったことがわかります。もうひとつの映画は、学術調査の成果として、斎王や斎宮寮長官・勅使たちが話していた当時の宮中言葉が再現されていて本当に面白い。字幕で現代語訳が表示されますが、まるで外国語を話しているように感じました。 どちらも、王朝絵巻を見るような華やかな装束を着た俳優さんたちが演じていて、大河ドラマを見ているようです。

斎宮歴史博物館に入り、展示室前ロビーに立っています。正面奥には、暗闇の中で祈る斎王の後ろ姿が見られます。右側ホールは映画館兼展示室となっていて、2本の解説映画が上映されています。左側ホールは2つの展示室となっています。

斎宮歴史博物館

明和町(多気郡)

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左側ホールにある展示室の様子。奥には、御殿におられる斎王と命婦の等身大人形が、きらびやかな装束をまとったリアルな姿で展示されています。 斎王が都から斎宮に赴く旅は「斎王群行」と呼ばれますが、群行のジオラマや、供奉たちが着ていた装束も展示されています。群行のジオラマが上出来です。

斎宮歴史博物館

明和町(多気郡)

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斎宮御殿におられる斎王と命婦の等身大人形がリアルで素晴らしい!小倉百人一首に描かれている姫君そのものです。 斎王は、伊勢神宮に頻繁に赴いて、王家の繁栄を祈っていたというイメージがありますが、実際はそうでもなかったようです。斎宮は伊勢参宮道沿いにあったので、その気になれば伊勢神宮に毎日通い続けることもできたのでしょうが、実際に赴いて祈るのは年に3回だったといいます。 都から遠く離れた場所で日々を過ごさなくてはならない斎王は、盤双六・貝覆いなど都の王朝人と同じ遊びをし、時には斎宮周辺の海辺や野山に出かけて楽しんでいたようです。

すいーとぴー玉城店

玉城町(度会郡)

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田丸城跡の近くにある、お好み焼き屋さんです。おしゃれな建物で、ちょっと見は洋食レストランかケーキ屋さんのようです。「すいーとぴー」という名前も、お好み焼き屋さんとは思えません。

大阪風お好み焼き(20センチ)。ピザのクラストのように、直径サイズが選べます。16センチと20センチです。鉄板の上ではなく、鉄製の器にネタを注いで焼いているようです。その意味では型に入れて焼くケーキのようです。

すいーとぴー玉城店

玉城町(度会郡)

「すいーとぴー玉城店」を   >

広島風お好み焼き(20センチ)。これも鉄製の器にネタを注いで焼かれています。とろみのあるお好み焼きソースの上に、格子状に振りかけられているのはマヨネーズなのですが、ケーキを飾るジャムやホイップクリームに見えます。まるでスイーツ扱いです。店の名前が「すいーとぴー」となっている理由かもしれません。味は、中にソース焼きそばが入っていた事を除けば、普通の広島焼きでした。

お好み焼きを食べると150円で追加できるホットコーヒー。お好み焼き屋さんで出されるコーヒーとは思えない出で立ちです。味も本格的なエスプレッソでした。

村山龍平記念館

玉城町(度会郡)

「村山龍平記念館」を   >

朝日新聞社を創設した村山龍平氏の記念館です。入館無料です。 村山龍平氏は高校野球を創設した人でもあり、記念館のすぐ近くにある田丸城跡を史跡として保存・公開することに尽力した人でもあります。このため、記念館には田丸城の歴史を解説する資料も展示されています。 織田信長の次男・信雄が建てた天守閣と城郭全体の復元模型は、田丸城跡に行く前に見ておくべきです。

村山龍平記念館に展示されている田丸城郭の模型。田丸城は平山城ですが、低い山(玉丸山)の上に北の丸・本丸・二の丸が連郭式に並び、さらに城主の居館があった三の丸を備える立派な城郭だったことがわかります。

田丸城郭跡をぐるりと取り巻くように設けられた遊歩道。写真正面に写っている斜面は、北の丸を囲んでいる土塁です。北畠親房によって築かれた頃の田丸城は、土塁と空堀そして柵に囲まれた中世風の砦だったことでしょう。この砦が、伊勢神宮が衰亡するのを防いでいた時代があったのです。 南北朝の争乱によって斎宮が消滅すると、伊勢神宮の広大な所領を取り込むべく、南朝と北朝が争奪戦を繰り広げました。南朝の重臣であった北畠親房が、北朝方の足利尊氏の侵攻に抗すべく造営したのが田丸城でした。

遊歩道を歩いて田丸城の西側にまわり、北の丸と本丸の間の空堀を歩いて、本丸の北東隅へ向かっています。石垣が二段になっています。下の石垣は、積み上げられた石が小さく、北畠氏が築いた頃の城壁だったと思います。南北朝時代の田丸城は、おそらく土塁と柵と館だけの簡素な構成だったのでしょう。上にそびえるのは、織田信雄が築いた近世城郭としての本丸城壁。上下の石垣の様子が、まるで違っています。

田丸城跡

玉城町(度会郡)

「田丸城跡」を   >

本丸の北東隅の石垣。野面積みです。最近見た城の中では浜松城と松江城に野面積みが多用されていて、田丸城と似た雰囲気でした。 中世の城郭として土塁と柵がもっぱらの砦だった城が、織田信雄によって大改修され、近世城郭に形を変えていった事がうかがわれます。

田丸城跡

玉城町(度会郡)

「田丸城跡」を   >

本丸の北東隅から南を見ています。手前の石垣は2段になっていますが、上段は天守台です。奥に見える二つの石垣も本丸のもの。二つの石垣の間に本丸虎口があります。左手の林が二の丸跡です。思っていたよりも規模が大きく、驚いてしまいました。

田丸城跡

玉城町(度会郡)

「田丸城跡」を   >

南東方向から見た天守台。天守南側の出入り口には附櫓らしい構造物があったようで、天守台から出っ張るように石垣が積まれています。その傍らに、どういう謂われがあるのか、ソテツが生い茂っていたのが印象的です。 村山龍平記念館にある天守の復元模型を見ると、松江城天守の附櫓のように出入り口を覆う大きな建物ではなく、土塀と小さな櫓だったようです。

田丸城跡

玉城町(度会郡)

「田丸城跡」を   >

南西方向から見た天守台。石段は上に進むに従って幅が小さくなります。出入り口の前を囲んでいた土塀(附櫓?)は、石段の頂上で切れており、そこに設けられた狭い扉を通らないことには天守に立ち入る事はできなかったようです。 残念なことに天守は、織田信雄が城主であった時代に、失火により焼失してしまい、以後再建されることはなかったといいます。

熊野街道・初瀬街道・参宮街道

玉城町(度会郡)

「熊野街道・初瀬街道・参宮街道」を   >

田丸城天守台から西を望んでいます。青々として美しい田園の向こうに、奈良の山々が見えています。写真手前石垣の奥に見えている山が倶留尊山(1,037m)で、中央に見えているのが三峰山(1,235m)、その左が高見山(1249m)です。 倶留尊山と三峰山の間を伊勢本街道が通っており、この田丸城に向かって東へ伸びてきていました。写真左手の方向からは熊野街道(和歌山別街道)が北東に伸び、この田丸城付近で伊勢本街道と合流していました。写真右手の松阪では伊勢街道と初瀬街道が合流し、斎宮をかすめて伊勢神宮に向かっていました。田丸城と斎宮とは近く、田丸城は全ての伊勢参宮道が合流してくる場所にあったのです。田丸城は、全国から伊勢神宮にやってくる人々や武将たちを管理する事ができる要衝だったのです。

熊野街道・初瀬街道・参宮街道

玉城町(度会郡)

「熊野街道・初瀬街道・参宮街道」を   >

田丸城天守台から本丸広場と和歌山街道を望んでいます。和歌山街道は、奥の山の手前を通り、田丸城の近くで伊勢本街道と合流していました。 室町時代に伊勢国司となった北畠氏は、支える力を失った朝廷にかわり、有力公家として伊勢神宮を管理下に置きました。田丸城は、伊勢本街道・伊勢街道・初瀬街道・和歌山街道などの伊勢参宮道が合流する要衝に築かれており、参拝者を管理できました。加えて神宮の神職や御師を北畠の家臣とする事で周辺諸国による干渉を防ぎ、全国から伊勢にやってくる参拝者の安全を保障できたのです。田丸城は、伊勢神宮の維持発展に寄与していたのです。

本丸と二の丸とを隔てていた空堀と石垣。往時の空堀は今よりも深く、石垣の上にあった土塀との高低落差は大きかったと思います。

二の丸の南側石垣。往時は、参宮道から切り立つ石垣が見えたはずで、難攻不落の城ぶりを旅人に見せつけていたことでしょう。現在は、石垣のすぐ南にJR東海の参宮線が走っています。 現状は石垣の間に切れ目が作られ、そこに階段状の散策路が通してあり、すんなり二の丸に入ることができます。しかし往時は、二の丸を取り巻くように空堀や土塁・土塀が設けられていたことでしょう。

旧三の丸御殿奥書院

玉城町(度会郡)

「旧三の丸御殿奥書院」を   >

江戸時代初期に、田丸城と一帯は紀州徳川家の領地となり、伊勢神宮には奉行所が置かれ幕府が直接管理することになりました。紀州徳川家の付家老であった久野氏が田丸城主となり、田丸城は伊勢神宮を支える役割を終えました。 久野氏は田丸城三の丸に御殿を造営し、そこを居館としていました。明治になると田丸城は廃城となり、三の丸御殿も取り壊されて民間に払い下げられました。三の丸御殿の奥書院の一部が、近年まで農家の住宅として使用されており、これを移築保存したものが写真の建物です。 奥書院の一部が農家の住宅に造り替えられていたので、古民家と見た目が変わりません。

旧三の丸御殿奥書院

玉城町(度会郡)

「旧三の丸御殿奥書院」を   >

三の丸御殿と奥書院の見取り図と解説がありました。写真左上の見取り図のうち、薄茶色の線で囲まれた部分が奥書院でした。奥書院の右半分の一部が、現在残っている建物だと思います。書院の一部だけでも一軒家のサイズなので、三の丸御殿全体はどれほど広大だったか想像できます。

三の丸御殿奥書院の一部だった建物を斜め前から見ています。かつて歴史の表舞台に立ち、伊勢神宮を支えてきた田丸城で、残っている数少ない建物の一つです。 表が格子窓になっているので、もし2階に虫籠窓が付いていれば、古い町屋そのものの姿になってしまいます。格子窓は民家に改造された時に付けられたのでしょう。 大名クラスの住まいであった三の丸御殿や奥書院の往時の姿を、復元模型で良いから見てみたいものです。

伊勢神宮を支えた斎宮と田丸城

1日目の旅ルート

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