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Shotaさんの岐阜県〜愛知県の旅行記

明智光秀出生にまつわる城や墓、織田信長絶頂期の安土城址、コートールド展、円空館などを巡る

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「麒麟がくる」を見ていて、謎の多い光秀にまつわる地を見てみようと思い立った。あわせて信長の「天下布武」の象徴、安土城址も。ちょうど愛知県美術館ではコートールド展を開催中。関市の円空館も旅程に入れて回ってみた。

歴史ツウ Shotaさん 男性 / 70代

1日目2020年2月7日(金)
09:00-09:00

那古野城址

那古野城は今川義元の父、氏親が大永期(1521ー28年)に築城。天文7年(1538年)織田信秀が今川氏を追放、拠点を置いて那古野城としたと伝わる。嫡男信長はこの城で生まれた可能性が高い。名古屋城二の丸に石碑が建っている。

那古野城址

信秀は天文11年(1542年)頃、古渡城を築いて移り、以後、嫡子信長が居城したとされる。弘治元年(1555年)信長が清須に移った後は、織田信光が居城するも廃城となった。

09:00-09:00

名古屋城 二の丸付近

二の丸に位置する那古野城址から、現在修復工事中の名古屋城天守閣と現存する東南隅櫓(本丸辰巳隅櫓)を望む。

10:00-12:00

コートールド展

コートールド・ギャラリーはロンドン大学附属コートールド美術研究所の美術館であり、1932年、実業家のサミュエル・コートールドのコレクションを元に設立された。

10:00-12:00

コートールド展

クロード・モネ「秋の効果、アルジャントゥイユ」(1873年作・図録)モネはドービニーに倣い、アトリエとして整備した小舟を使っていた。アルジャントゥイユの町を望みつつ、水面のきらめきと変化を感じながら秋の色彩を描き出している。(図録)

10:00-12:00

コートールド展

エドゥアール・マネ「アルジャントゥイユのセーヌ河岸」(1874年作・図録)マネが妻と息子をモデルに夏らしい日差しやセーヌ川の煌めきを描き出した作品。水面が美しい。

10:00-12:00

コートールド展

ピエール=オーギュスト・ルノワール「桟敷席」(1874年作・図録)劇場の桟敷席を題材とすることは非常に新しい試みだという。お気に入りのモデル、ニニ・ロペスと画家の弟エドモンが主役を務めている。(図録)

10:00-12:00

コートールド展

エドガー・ドガ「舞台上の二人の踊り子」(1874年作・図録)ドガはバレエにまつわる作品を数多く残している。つま先やふくらはぎの筋肉など一瞬の動きを巧みに捉えた作品。

10:00-12:00

コートールド展

ポール・ゴーガン「メットの肖像」(1879-80年作・図録)ゴーガンの大理石の彫刻はこれを含め2点のみ。デンマーク出身の妻メットがモデル。襟や顔と髪の滑らかな質感に熟練した技術が認められ、ゴーガンのみの手によるかは疑問視されている。(図録)

10:00-12:00

コートールド展

クロード・モネ「花瓶」(1881年着手・図録)モネは本作品に着手してから、40年以上手元に置き試行錯誤を重ねたという。80歳になる頃、ようやくサインが加えられた。(図録)

10:00-12:00

コートールド展

エドゥアール・マネ「フォリー=ベルジェールのバー」(1882年作・図録)マネ晩年の傑作。シュゾンというバーメイドがモデル。鏡に映るメイドと客はやや右にずれている。モデルを浮き上がらせるためか…。(図録)

10:00-12:00

コートールド展

フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲く桃の木々」(1889年作・図録)ゴッホは「前景の葦の垣根に囲まれた果樹園では、小さな桃の木々が花盛りだ−この地のすべては小さく、庭、畑、庭(ママ)、木々、山々でさえまるで日本の風景画のようだ。だから、私はこのモティーフに心惹かれたのだ」と、ポール・シニャックに宛てて書いている。(図録)

10:00-12:00

コートールド展

ポール・セザンヌ「カード遊びをする人々」(1892-96年頃作・図録)この主題の作品は5点残っており、人数などに違いがある。左の人物のかなり小さい頭部、傾いたテーブル、ゲームを楽しむというより各々独立しているかのような二人、画家の意図は ? 。

10:00-12:00

コートールド展

エドガー・ドガ「右の足裏を見る踊り子」(1890年代蝋により制作/1923年頃鋳造・図録)ドガは不自然なこのポーズに10年以上挑み続け、油彩、パステルによっても試みている。バランスの妙。(図録)

10:00-12:00

コートールド展

ポール・セザンヌ「アヌシー湖」(1896年作・図録)画家がスイスとの国境近くに家族旅行をした際、描かれたもの。実際の景色通りではなく、「細部に至るまで入念に構成され」、配色がなされた作画だという。(図録)

10:00-12:00

コートールド展

オーギュスト・ロダン「花子」(1908年制作/1910年以降鋳造・図録)花子(本名 太田ひさ、1868-1945)は20年近くヨーロッパで活動し、人気を博した女優。ロダンは東洋的な身体つき、顔立ちに魅了され、50点を超える花子像を制作したという。(図録)

10:00-12:00

コートールド展

ピエール=オーギュスト・ルノワール「洗濯する女(小)」(1916年作・図録)72歳になって、ルノワールは彫刻に取り組み始めた。彫刻制作にあたり、万物の基本要素として「火」と「水」に注目、それぞれを鍛冶職人と洗濯する女性の姿で表したという。この作品はそのひとつである。(図録)

10:00-12:00

コートールド展

ピエール=オーギュスト・ルノワール「靴紐を結ぶ女」(1918年頃作・図録)ルノワール最晩年の作品のひとつ。この絵が、コートールドが絵画収集を始めるきっかけになったようである。

10:00-12:00

愛知県美術館コレクション

熊谷守一「麦畑」(1939年・昭和14年作・図録)作風が大きく転換した時期、熊谷は「そのころ気分が大きくなって太い線で区切ることができるようになった」と述べたという。(図録)

10:00-12:00

愛知県美術館コレクション

熊谷守一「漁村」(1954年・昭和29年作・図録)熊谷は写生する際の心得を、「観察している間に対象物がパッと消えなければいけない」と教えた。(図録)

10:00-12:00

愛知県美術館コレクション

熊谷守一「ほとけさま」(1950年・昭和25年作・図録)やわらかい、まるで観音像を思わせるようだ。絵はもちろんだが、字もいい !

10:00-12:00

愛知県美術館コレクション

アルブレヒト・デューラー「騎士と死と悪魔」(1513年作・図録)ここにもあった ! 先月のハプスブルク展でも見た作品。「メメント・モリ(死を忘れるな)」と騎士に告げる怪人そして悪魔。不思議な世界に引き込まれる。

10:00-12:00

愛知県美術館コレクション

エドヴァルト・ムンク「死と春」(1893年作・図録)この作品のベースには、両親と姉ソフィエの死があると思われる。「死とは、新しい生命が開花するための前提条件」であることをほのめかしているかのようだ。(図録)

10:00-12:00

愛知県美術館コレクション

エドヴァルト・ムンク「病める子」(1894年作・図録)ムンクは生涯を通じて同じテーマの作品を繰り返し描いている。それは姉ソフィアを幼くして結核で亡くした経験と結びついてる。(図録)

10:00-12:00

愛知県美術館コレクション

エドヴァルト・ムンク「接吻」(1895年作・図録)「読書する人や編み物する女のいる室内画を、もう描いてはならない。呼吸し、感じ、苦悩し、愛する、生き生きした人間を描くのだ」とムンクはノート(1929年)に記している。(図録)

10:00-12:00

愛知県美術館コレクション

グスタフ・クリムト「人生は戦いなり〈黄金の騎士〉」(1903年作・絵葉書)昨年のクリムト展以来の再会だ。ウィーン大学講堂の天井画を巡る論争を経験したクリムトが、自身を奮い立たせるように描いた一作ではないか。たとえ、傍目にはドン・キホーテのごとく映ろうとも…。

14:00-14:00

龍泉寺

名古屋市守山区

「龍泉寺」を   >

龍泉寺は延暦年間、最澄による開基と伝わる。濃尾平野を一望できる高台にあり、弘治3年(1557年)織田信行により竜泉寺城が築かれた。(『日本城郭大系 9』)円空仏を見たくて訪ねたが休館で見られず。

16:00-16:00

関市円空館

関市

「関市円空館」を   >

円空館では関市域の神社、寺、個人が所蔵する円空仏約290体の中から展示するものを選定し、年に3−4回借用して展示している。一回の展示数は30体ほどである。

16:00-16:00

円空館

瀟洒な円空館展示棟には円空仏のほか、弥勒寺跡や弥勒寺官衛遺跡、弥勒寺西遺跡からの出土品なども展示してある。

16:00-16:00

円空館

円空作「両面宿儺像」(千光寺蔵・図録)宿儺(すくな)は仁徳天皇代の飛騨の豪族で、千光寺の開祖とされる。飛騨の山地を開拓し、飛騨人を外敵から守ろうとしたと伝わる。

16:00-16:00

円空館

円空作「弁財天立像」(飛騨国分寺蔵・図録)室町期からの伝承によると、大黒天・毘沙門天・弁才天の三尊が一体となった像を最澄が祀ったことから、七福神の基となったという。この像には釘跡が多く見られることから、建築部材の転用とみられる。(図録)

16:00-16:00

円空館

円空作「善財童子像」(神明神社蔵・絵葉書)善財童子とは、『華厳経』の教える浄土、生きとし生けるものが個性のままに生命を輝かせて生きる世界、を求めて生きる人をいう。純粋に祈る姿には心惹かれる。

16:00-16:00

円空館

円空作「護法神像」(神明神社蔵・絵葉書)「護法神」とは仏教の教えである法を守護する仏たち。寺院などで外敵の侵入を防ぐ役割を担う。ザックリとした彫りが力強い。

16:00-16:00

円空の墓

円空は江戸前期(1632-95年)の修験僧であり、晩年をすごした地に眠っている。一説には生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、約5,300体ほどが発見されているという。それらの所在は北海道から奈良県にまで及んでいるが、愛知県内に3,000体以上、岐阜県内に1,000体以上残されている。

16:00-16:00

弥勒寺(関市)

飛鳥後期に創建され、その後廃寺となっていた弥勒寺を円空が再興し、自坊とした。その寺の遺構は史跡公園になっており、近くに現弥勒寺がある。本堂には「現代の円空仏」が多数奉納されている。

16:00-16:00

関鍛冶伝承館

関市

「関鍛冶伝承館」を   >

関鍛冶伝承館は文字通り、鎌倉期から受け継がれる関鍛冶の技を今に伝える施設である。関を代表する兼元・兼定などの刀剣、歴史的資料、カスタムナイフなど現代の刃物製品などが展示され、日本刀の作刀過程なども紹介されている。

17:00-17:00

小倉山城址(美濃市)

小倉山城は慶長10年(1605年)飛騨高山藩主金森長近が隠居城として築いた城。別名「小倉居館」。石垣と土塁が残っているのみである。(『日本城郭大系 9』)

19:00-23:00

邦和セミナープラザ

名古屋市港区にある総合スポーツ施設に併設されている宿泊施設。いかにも研修施設といった印象。大浴場もある。

2日目2020年2月8日(土)
09:00-11:00

安土城址

安土城は天正4年(1576年)信長が信仰の山であった安土山に築いた城である。(『日本城郭大系 11』)天主閣に向かう大手道と麓から段々に築き上げられている石垣の規模は他の城では見られない。天主もそれまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な造りであったと推測されている。

09:00-11:00

安土城 秀吉邸跡

大手道入り口の左手に羽柴秀吉邸があったとされる。

安土城 秀吉邸址

上下二段に分かれた郭で構成された、かなり大規模な屋敷であったことがうかがえる。下段郭の入口には壮大な櫓門が建っていた。

09:00-11:00

安土城 森蘭丸邸跡

森蘭丸邸は安土城中心部に入る黒金門の手前にあった。信長の近習、森蘭丸(森成利)は信長の家臣森可成の三男であり、本能寺で二人の弟、坊丸、力丸と共に討ち死にした。

09:00-11:00

安土城 天主閣跡

安土城の天主は近世城郭の転換点になったとされるが、具体的な形状については諸説ある。一説には、高さ33m、5重6階、地下1階で最上階は金色、下階は朱色の八角堂。内部は黒漆塗りで華麗な障壁画で飾られていたという。

09:00-11:00

安土城 三重塔

總見寺三重塔は棟札によると享徳3年(1454年)建立、天文24年(1555年)修理とある。信長が甲賀の長寿寺(甲賀市石部町)から移築したとされる。屋根は本瓦葺きで四隅に鬼瓦が見える。

総見寺 二王門

三間一戸楼門。 正面の柱間三間の中央を出入り口とし、脇間に金剛棚を設け、金剛力士像を祀るため仁王門と称す。元亀2年(1571年)建立と墨書があるが、天正4年(1576年)築城の際、移建したと伝わる。

総見寺 二王門

和様を主調とした一般的な形式ではあるが、下層中央の蟇股や木鼻は室町末期の特徴を表わす。

12:00-12:00

多羅城址(大垣市)

多羅城は慶長6年(1601年)高木貞利により築城。(『日本城郭大系 9』)高木陣屋とも称される。明智光秀は美濃の守護・土岐一族の出身であることが通説となってはいるが、生誕地については諸説あり、多羅城もその一つと考えられている。

14:00-14:00

桔梗塚(山県市)

光秀は山崎の合戦で死んだのではなく、ひそかに郷里山県市中洞に落ち延びて荒深小五郎の名で住んでいたとする伝説が残るのが、ここ「桔梗塚」である。

14:00-14:00

明智光秀の墓

桔梗塚にある明智光秀の墓。光秀は、土岐四郎基頼と地元豪族の娘との間に中洞で生まれ、後に明智城主明智光綱の養子となったと伝わる。

14:00-15:00

明智城跡(長山城跡)

可児市

「明智城跡(長山城跡)」を   >

明智城は13世紀、土岐頼基により築城。(『日本城郭大系 9』)その後土岐氏は「明智」と改名、約200年間、代々の居城とした。光秀誕生の地ではないかとされる。

14:00-15:00

明智城址(可児市)

『美濃国緒旧記』によると、明智(土岐)次郎頼兼が康永元年(1342年)明智城を築き、光秀の代まで居城したとあるが、明智城(可児市)と明知城(恵那市)のいずれで光秀が生まれたのか、裏付ける資料はない。

14:00-15:00

明智荘

城址の一角に展望台が設けられ、明智荘を見渡すことができる。近くの天竜寺には光秀の位牌と明智氏歴代の墓所があり、毎年法要が営まれている。

16:00-16:00

明知城址(恵那市)

明知城は宝治元年(1247年)遠山左衛門尉景重により築城。(『日本城郭大系 9』)光秀は足利尊氏の御家人土岐一族の出身とされ、遠山氏の縁戚である可能性は種々の記録から考慮されるものの、生誕地である可能性は低いという。

16:00-16:00

明知城址

この城の特徴的なのは「畝状空堀群」と呼ばれる遺構である。斜面に平行するように設けられた横堀と、斜面を直行するように設けられた複数の竪堀の組み合わせである。起源は明確ではない。

17:00-17:00

岩村城址(恵那市)

岩村城は文治元年(1185年)加藤次景廉が築いたとされる。(『日本城郭大系 9』)標高721mの城山山頂に位置するこの城は、日本三大山城の一つに数えられ、全国の山城の中でももっとも高い所にある。

17:00-17:00

岩村城址

岩村城からは高原盆地にひらけた東美濃一円を遠望できる。美濃と信濃、三河の勢力の接する地にある岩村城の存在意義はきわめて大きかったと思われる。

明智光秀出生にまつわる城や墓、織田信長絶頂期の安土城址、コートールド展、円空館などを巡る

1日目の旅ルート

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